市川市スポーツセンターの入口。

ここに、筋骨隆々としたスポーツマン2人のブロンズ像が建っています。

「感激」と名付けられたこの作品は、1952年のヘルシンキオリンピックで日本唯一の金メダリストの石井庄八(レスリング)同ギンメダリスト上迫忠夫(体操)の両選手が共に当時市川市在住者であったので、感激をこめて制作されたものです(案内板より)。

ヘルシンキオリンピックは、日本にとっては、第二次世界大戦後初(16年ぶり)の参加でした。

市川市スポーツセンターの入口。

ここに、筋骨隆々としたスポーツマン2人のブロンズ像が建っています。

「感激」と名付けられたこの作品は、1952年のヘルシンキオリンピックで日本唯一の金メダリストの石井庄八(レスリング)同ギンメダリスト上迫忠夫(体操)の両選手が共に当時市川市在住者であったので、感激をこめて制作されたものです(案内板より)。

ヘルシンキオリンピックは、日本にとっては、第二次世界大戦後初(16年ぶり)の参加でした。

今回は、国府台(千葉県市川市)の町並みを散歩します。
市川市は、軍隊がきて発展した町で、その中心は国府台の根本商店街でした。「根本」とは、根の本であり、一番はじめを意味しています。*1

駅前の商店街「根本発展会」。

常盤湯があったあたり。*2
現在は駐車場となっています。

常盤湯の裏側に、2~3軒飲み屋があり、兵を相手とする女達がいた。「モンパリー」という店があり、ぜんざい屋も2軒位ありましした。*1

市川市は、軍隊がきて発展した町である。その中心が根本商店街である。「根本」…
13図
・市川二業組合
白山下交差点すぐ、赤い看板に新三陽の文字。昭和12年創業。80年の歴史ある老舗町中華があります。*1

チャーハンやラーメンなど、幅広いメニューが揃っています。

テーブル席。

エビチャーハンとビールを注文。

小石川植物園の正門を入り、本館の建物を過ぎると四角形の敷地に囲まれた植物分類標本園があります。

植物分類標本園には、ドイツの分類学者エンゲラーの分類体系に従って、約500種の植物が植えられていて、南から北へと植物が配置されています。1

標本園で見かけたトクサ(砥草、木賊)。

日本各地には、木賊(トクサ)に由来した地名も存在します。かつて、帯広の大通り以西には木賊(とくさ)が群生し(木賊原という地名があり)、「木賊原遊廓」※1 があった伏古別川の川下には、現在も木賊が生い茂っているそうです。*2

P.173
植物分類標本園は、ドイツの分類学者エンゲラーの分類体系に従って、…
白山3丁目にある小石川植物園。

植物園の正門近くに、ソテツが植えられています。

池野成一郎のソテツ精子発見の記事が載ったのは、平瀬作五郎のイチョウ精子発見記事の載った次の号(明治29年11月20日刊行の植物学雑誌第119号)です。イチョウとソテツ精子発見は、日本人が成し遂げた世界的快挙でした。*1
明治政府は、殖産興業を進め、1877年の東京大学創立の主目標も「先進諸国に追いつくこと」でした。イチョウの精子発見、ソテツの精子発見は、当時の西洋人にはなし得なかったことが日本人によって行われた最初の大発見でした。*2

上から見たソテツ。

平瀬作五郎のイチョウ精子発見の記事は、明治29年(1896年)10月20日に発行された…
P.1
明治政府は西洋文化を取り入れ近代化する方向に進んだ。それは同時に科…
都営地下鉄の春日駅近く。一葉碑※1 が建つKSビル(紳士服のコナカが入るビル)から、白山三業あった方面への道を進みます。

しばらく歩くと、丸山福山児童遊園があります。

公園内にある、旧町名(丸山福山町)の案内板。

一葉日記の一文が紹介されています。
「隣に酒うる家あり。女子あまたいて、…遊び女に似たり。常に文書きて給われとて、わがもとに来る。ぬしはいつも変わりて、そのかずはかりがたし。・・・」

曙坂※1 から、さらに坂を下っていく途中。

路上の一部に井戸の区画が設けられています。

井戸ポンプは、現在も生活用水として使われています。

慶和製作所製の井戸ポンプ。

本駒込3丁目にある徳源院。

ここに、「太古遺跡」の碑が建っています。

明治26年(1893)、不動堂(動坂目赤不動)改修の際、地下から多数の土器、石器塔が出土し、人類学教室の坪井教授により、アイヌ人種よりさらに前の太古の人類の「コロボックル」の時代のものと判定され、この碑が建てられました。*1

碑には、日本太古の人類コロボックル時代の器具が掘出されたことが記されています。*1
「明治廿六年発巳八月中当初不動堂修繕之際、此所之地下、五・七尺之間において古代之土器及び雷斧石(らいふせき)之類数品掘出得たり。大学人類学教授坪井正五郎君に鑑定を乞い、其日本太古の人類コロボックル時代の器具たるを知れり。コルボックル、アイヌ人種の前にありて、今を去る三千有余年と云、真に考古学の要品と言うべし。因って此中の異品をえらみ、額面に製し、当不動堂及び浅香町南谷寺に安置の目赤不動堂前に収め、且つ坪井君の解説をも添えたり。探古の雅君に一覧をたまわらば拙〇幸甚となす所なり。
明治28年乙未6月大吉祥
当山玉〇謹述」

白山の東洋大学のあたりは、以前は、駒込曙町と言われていた場所で、江戸時代は、鶏声ヶ窪と呼ばれていました。曙町※1 の名は、「鶏声」から出た名です。

京華学園女子校の前に、鶏声の井(鶏声ヶ窪のいわれ)の碑が建っています。

夜毎に鶏の鳴き声がするので、掘ってみると、金製の鶏が出てきたのが鶏声の名の由来です。*1

碑の表には楽翁公の松平定信の歌が刻まれています。*1
鶏声の井旧跡 「白河楽翁公歌」
筒井津々 いつの暁
久みそめて
鶏のハ声の
名にやたつらん

今回は、白山(東京都文京区)の町並みを散歩します。
西片2丁目7と14の間に、石段の坂の「曙坂」があります。

曙坂は、この場所から少し離れた場所の旧地名の曙町(江戸時代は、鶏声ヶ窪と呼ばれていた)に由来します。昭和22年に石段坂に改修されました。(案内板より)

坂の登り口の右横に建つ「曙坂 昭和二十二年竣工」と記されたた石標。

上から眺めた曙坂。
