吉原(石燈籠)吉原神社。水常、松葉など有力者が寄進。

吉原神社。吉原遊廓ゆかりの神社です。

境内にある石燈籠。

かつての吉原の有力者が寄進したものです。
水常は、大正期からある妓楼で、昭和33年の廃止時まで続きました。

鳥居に名が刻まれている伊藤常吉は、水常楼の楼主です。

吉原(千束いせや)「土手のいせや」の兄弟店。

今回は吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
金美館通り沿いの交差点の角。

天ぷらの「いせや」が営業中です。

暖簾には、〇に「天」の字。「土手のいせや」と同じです。

天丼とビールを注文。

参考文献

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茂原(人車軌道の展示)人が車両を手で押していた頃。

人車軌道(人が車両を手で押す軌道)の展示。

茂原と長南の間の人車軌道が開通したのは明治42年10月。茂原駅前を起点にして 長南の台向(現在の愛宕バス停)までの 約9kmの単線軌道が県道沿いに敷設されました。

人が車両を手で押していた頃の写真が残されています。

車両の内部。

参考文献

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茂原(サッカーゲームの展示)郷土資料館。

茂原公園内にある茂原市郷土資料館へは、茂原駅から徒歩(約1.5km)か、藻原寺バス停で下車し、向かいます。

展示室に入ると、天然ガスの説明コーナーがあります。

右手前にある昭和の茶の間の展示。

エポック社のサッカーゲーム(初期のモデル)の展示。
初期のモデルでは、ボールのコントロールが難しいものでしたが、最新版では、改良が加えられています。*1

スコアボードなど、リアル感を演出しています。

参考文献

*1
エポック社エポック社エポック社 リンク
サッカー盤 リンク

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島田(おもちゃの展示)“消える魔球”が搭載された野球盤。

茂原(大和屋食堂)大正時代から続く定食屋。

茂原の榎町通り商店街。

交差点の角に、大正時代から続く定食屋の大和屋食堂があります。*1

映画のロケにも使われたこともあるノスタルジックな雰囲気の店内。*1

メンチカツ定食とビールを注文。

参考文献

*1
映画「今はちょっと、ついてないだけ」in茂原実行委員会今はちょっと、ついてないだけロケ地マップ茂原市を巡る!千葉もばらロケーションサービス事務局2022

大和屋食堂。
大正時代から続く定食屋。ノスタルジックな雰囲気が伝わってく…

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茂原(ガス溜め跡)赤レンガ造りの基礎。昌平町稲荷神社の境内。

茂原では、明治時代、自家用の天然ガス井戸が数多く掘られ、「利用組合」という組織による天然ガス事業が営まれていました。昌平町稲荷神社の境内に、「茂原昌平町天然瓦斯組合」の痕跡が残されています。*1

境内に設置されたガス溜めの基礎(赤レンガ造り)の跡。40m³ほどの円形のタンクでした。*1

上から見ると、円形であることが解ります。

そばの石碑に、当時の「茂原昌平町天然瓦斯組合」の経緯、記録、組合員名が刻まれています。*1

参考文献

*1
茂原市長公室企画課ふるさと茂原のあゆみ茂原市
天然ガス利用組合

P.170
明治末期から昭和初期にかけて、茂原には「利用組合」という組織によ…

参考記事

茂原(ガス管橋)ガスタンクの近く。荒瀬橋の南。

JR線と並行する荒瀬橋から南側の遠望。

近くにガスタンク(現在塗装中)がある場所から、阿久川にガス管橋が架かっています。

太いパイプが3本。「天然ガスの町」茂原を象徴する風景です。

正式には「瓦斯輸送管専用橋」と呼ぶようです。昭和50年に作られました。

茂原(日立安房神社)旧日立製作所茂原工場の守護神。

茂原駅から一宮川に架かる「日進橋」を渡ると、通称「日立通り」と呼ばれる広いまっすぐな通りが続きます。

「日立正門」バス停。かつての日立製作所茂原工場の遺構とも解釈できるバス停です。

バス停の隣に、日立安房神社があります。

昭和29年10月13日、館山市の安房神社からの分霊により、日立安房神社が建立されました。*1

日立製作所茂原工場や関連会社の名が刻まれています。

参考文献

*1
日立製作所茂原工場茂原工場三十年史日立製作所茂原工場
日立安房神社建立

日立製削除の各工場にはそれぞれ守護神が祭られているが茂原工場にはそれがなか…

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茂原(浮世風呂)駅前の通り。現在は改装中。

今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
駅前の通り沿いにある「浮世風呂」。式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」からの連想でしょうか。

10室近くありそうな建物です。

現在は、改装中のようです。

入口を入ってすぐのところに、2階へ上る赤色の階段があります。

参考文献

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木更津(浅野作造の墓)「浅野様」と呼ばれた民間信仰。

木更津市吾妻1丁目にある極楽寺(平等院)。

ここに、幕末に幕府軍の一人として、官軍と戦い戦士した浅野作造の墓があります。
戦死した浅野作造の首級は木更津へ運ばれ、吾妻神社境内の路傍にさらされると、村人がその哀れさを忍び、路のほとりに小さな石をたて、お線香をあげて弔ったのが、いつの間にか「浅野様」と呼ばれ、民間信仰の対象になりました。*1

「浅野作造 源頼房」と刻まれています。

裏には「慶応四年辰年六月四日」「大正五年三月十八日改葬?」とあります。
大正時代になって、この地に墓が建てられたことが解ります。

木更津町鳥瞰図*2を見ると、吾妻神社の隣に、「浅野様」に記載があり、信仰を集めていた当時の様子が解ります。

木更津遊廓の遊女たちは、開店前のひととき、吾妻の浅野様へ参詣しました。*3

参考文献

*1
小原長太郎吾妻の昔むかし小原長太郎

浅野作造は当地方における佐幕方義軍の一人で官軍に対抗、横田で戦死。その首級…

*2
松井天山千葉県市街鳥瞰図聚海書林1989
木更津町鳥瞰図1932
*3
高崎繁雄木更津地名散歩新千葉新聞 連載新千葉新聞社
⑥ さかんだな1976.3.5

仲片町公会堂のあたりは昭和10年代は海だったところで、通称八幡屋のカシとい…

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