上町五丁目の通りに面して路地の入口があります。

建物に挟まれた細い空間が続きます。

路地を抜けると、突然、広場に出ます。

ここは、共同の物干し場のようです。現在の町では、忘れ去られてしまった「共同空間」が現在も健在です。*1

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.41
上町五丁目の通りに面して路地の入口があります。

建物に挟まれた細い空間が続きます。

路地を抜けると、突然、広場に出ます。

ここは、共同の物干し場のようです。現在の町では、忘れ去られてしまった「共同空間」が現在も健在です。*1

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.41
今回は、高知(高知県高知市)の町並みと風俗を散歩します。
山内一豊が築いた高知城は、現在は高知県庁がある町の中心部です。旧本町筋は、城下町がつくられたとき、最初にできた基本となる道路です。現在も市電が走る高知市の中心市街地です。

交差点に、白ポストがあります。

白ポストは、駅前に設置されているケースが多いのですが、高知の白ポストは、県庁前の交差点に設置されています。

上部の帽子のような形状とコンクリートの台座。郵便ポストにそっくりです。

北新町から須賀川沿いを歩いていくと、凹凸神堂があります。
凹凸神堂は、世界最高の性文化財資料館です。*1

お前とわたしは石臼夫婦。重ねて廻して子をつくる。

石臼を散りばめた庭園があります。

中央の大きな石臼の上には、男性のシンボルが...。

【参考URL】
*1 多賀神社、凹凸神堂ホームページ
ソープランド街の南側に、東浜恵比寿神社があります。

正面の鳥居の左右の柱には、「一天泰平」、「萬民快楽」と刻まれています。*1

玉垣には、新地睦会に所属する戦後の特飲店45軒の屋号が刻まれています。*1

右から、「敷島」、「三日月」、と彫られています。「敷島」は、八重垣遊廓時代にもあった妓楼の屋号です。*2
「三日月」は、1970年の住宅地図*3 に記されている「旅館三日月」*4のことでしょうか。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.84
*2 南博:近代庶民生活誌.第14巻(三一書房,1993)P.143 「全国遊廓案内」
*3 善隣出版社:ゼンリンの住宅地図 高松市(善隣出版社,1971)P.13
*4 風俗散歩(高松):城東町の赤線時代の建物(2009.5)
土庄町の通称「迷路のまち」と呼ばれているあたり。

肥田牛乳の牛乳箱。肥田牛乳は、小豆島地元の乳業メーカーです。

別の場所にあった肥田牛乳の牛乳箱。

こちらの箱は、牛乳瓶入りです。

土庄町本町の西光寺から南西にむけて、迷路のような曲がりくねった路地が続いています。
この界隈は、「迷路のまち」として紹介されています。*1

木製消化器箱のある民家。

大ぶりの箱は迫力があります。

消火栓もレトロです。

【参考URL】
*1 小豆島迷路のまち実行委員会:迷路のまちホームページ
今回は、土庄(香川県小豆郡)の町並みと風俗を散歩します。土庄(とのしょう)は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島の西北部に位置します。
土庄港のバスターミナル脇には、「二十四の瞳」に登場する大石先生と12人の子供たちのブロンズ像があります。

土庄へは、高松港からフェリーで約1時間です。

土庄港に、白ポストがあります。大石先生がこれを見たら、さぞかし、びっくりされることでしょう。

横から見ると、ピサの斜塔のように傾いています。

JR京浜東北線山手駅のすぐ近くにある根岸外国人墓地。

明治35年に開設されました根岸外国人墓地は、現在は、きれいに整備されていますが、長い間、忘れ去られていた外国人墓地でした。昔、ここには小さな木の十字架がびっしりと立てられていました。そのほとんどは、戦後間もない時期に死んだ嬰児で、進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれたハーフです。その数900体。*1

1999年、片翼だけの「天使の翼」を模した像が建立されました。*1

おびただしい数の十字架は一掃されましたが、片翼の天使は、歴史の真実を語り伝えてくれています。*1

*1 横浜タイムトリップ・ガイド制作委員会:横浜タイムトリップ・ガイド(講談社,2008)P.116,P.127
国道23号線から1本海側の通り、この通りをまっすぐ行くと、若宮公園を経て三谷海水浴場へ行き着きます。

道路沿いの民家に、西宝牛乳の牛乳箱があります。

西宝牛乳は、三河三谷の乳業メーカーです。

牧場直営。

神宮小路の一画にある共同便所。

手書きで「便所」と書かれた木製看板。

手洗い場。

便所から見た神宮小路。

女子大小路から脇道にはいったところ。

街の風運動。

コンドームの自販機です。

ストップエイズ。

仁王門湯の隣に駐車場となっている空き地があります。銭湯の煙突が見えます。

銭湯の脇は、路地になっています。

生活感あふれる路地です。

昔はこういう雰囲気の路地がたくさんあったのだと思います。

鶴見駅から鶴見線で一駅目の国道駅は、鉄道ファンに人気のある駅です。カーブを描いている鶴見線の高架下に駅の改札口があります。

トンネルのような独特の形状をしています。

改札口は、木製です。

ガード下は、ここだけが昭和のまま時間が止まった様な雰囲気です。

真栄原社交街にある一見何の変哲もない自販機。

夜になると、赤いネオンが煌々と輝きます。

よく見ると、自販機内の蛍光灯に赤色のフィルムが巻きつけられています。
ちょんの間と言えば、店の入口のネオン管を連想しますが、真栄原社交街では自販機も艶っぽい色で誘ってきます。ネオン管の誘惑に負け、この自販機で「さんぴん茶」を購入してしまいました。

ちなみに、普通の自販機はこんな感じです。(大謝名にて)

沖縄には、亀甲墓(かめのこうばか)と呼ばれる独特の形状のお墓が町のあちこちにあります。
大山から真栄原に至る途中の大謝名二丁目にある亀甲墓は、道路に面した見やすい場所に2基、向き合うように並んでいます。

亀甲墓は、俗に母胎をかたどったものであると言われています。人は死ぬと再び元のところへ戻るという期元思想のあらわれといわれています。*1

道路を挟んだ向かい側に、もう1基あります。

こちらの亀甲墓は、白く塗られているのが特徴です。

【参考文献】
*1 渡邊欣雄,岡野宣勝,佐藤壮広,塩月亮子,宮下克也:沖縄民俗辞典(吉川弘文館,2008) P.144-P.145
今回は、備後府中(広島県府中市)の町並みと風俗を散歩します。
東京都や京都府にも府中という地名がありますが、今回は広島県の府中です。府中へは、福山駅からJR福塩線に乗り約45分です。

駅前に白ポストが設置してあります。

比較的シンプルなデザインです。

読まない・見せない・売らない。偶然だと思いますが、郡山で見かけた白ポストの標語(三ない運動)と同じです。*1

【参考記事】
*1 風俗散歩(郡山):駅の地下道の白ポスト(2008.7)
スナックやパブが並ぶプレージャータウン。路地の角にニューハーフパブがあります。

ニューハーフパブ店の入口にたまごの自動販売機があります。(手前には風俗雑誌も)

生みたて!!新鮮たまご。自動販売機には、生産者の農家の名前も記されていて、新鮮なたまごであることがわかります。

近くの別のパブの看板。「食べてGo卵」。美味しい卵料理の店です。

風俗店が乱立する国道2号線沿いに託児所(夜間保育)があります。

「夜の保育」の看板。

入船町2丁目の飲み屋街「プレージャータウン」。ここにも託児所があります。

乳児(ニュージー)ランド。福山の飲み屋街が南半球の美しい島を思い起こさせてくれました。*1

【参考文献】
*1 勝谷誠彦:色街を呑む! 日本列島やりつくし紀行(祥伝社,2003)P.139
青森市街南部の旭町通り。

「マニア向けビデオ、本、おもちゃ」の貼紙があります。

その上には、バイアグラの貼紙。

貼紙に書かれている浪館通りのモスバーガー附近に行ってみましたが、おもちゃやさんは見つかりませんでした。残念。

呑み屋街の「駅前天国」。

現在は、営業している店は少ないようです。

通路は曲がって奥へ進みます。

奥にある公衆トイレ。青色に塗装されています。

国道14号線沿いにあるNTTのビルから少し南へ入ったところに、運河跡の入口があります。

運河跡の脇には遊歩道が続いています。

この運河跡は、澪(みお)と呼ばる川と海を結ぶ流路で、かつては海から魚を運ぶために利用されていました。船橋には、このような澪が数多くありました。12
せり出す母屋がアジアンチックです。*2

裏側の道路側から母屋を見たところ。

【参考文献】
*1 船橋市広報課:悠遊散歩道(船橋市広報課,1996)P.7-P.8
*2 散歩の達人(2001.10)P.12
今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みと風俗を散歩します。
船橋駅の西側、旧遊廓の近くにある海神稲荷神社。「???にご注意!!」の看板。

経年変化で見えにくくなっていたようです。斜めから見ると、”チカン”の文字が見えました。

遊廓跡地近くの路地。

京成船橋駅前のパチンコ店前。

今回は、鶴岡(山形県鶴岡市)の町並みと風俗を散歩します。
駅前のサンロード日吉商店街。

商店街を散歩していると、「コンドーム」の看板が目に飛び込んできました。

薬局の前に設置してあるコンドームの自販機の場所を示す看板でした。

珍しい型の自販機です。看板がピンク色と自販機のピンク色をコーディネートしているようにも思われます。
販売されている商品は、山之内製薬のコンドーム「La Pure」です。

近くに葡萄畑がある温泉街の南側の稲荷神社。

「ここは神社。神聖な場所です。」と手書きで書かれています。

聖母マリア像でしょうか。ここで糞をさせるとは、神をも恐れぬ所業です。

側溝に水が流れていないと不便です。

津志田は、盛岡から南東に約4キロにある町です。町を南北に国道4号線が貫いています。
江戸時代、盛岡藩は、津志田に藩公認の遊廓を文化・文政期(1810~1820年)と嘉永期(1850~1854年)の二度にわたって設置しました。*1

遊廓があった場所の南端にあたるの津志田の交差点の角に大国神社があります。
大国神社は、遊廓と同時に津志田の総鎮守として設置されました。*1

社の中には遊女や楼主がおさめた献額(絵馬)があります。遊女たちの「諸顕成就」献額は、金色できらびやかだが、裏には苦界に身を沈めた宮古、鍬ヶ崎の遊女名が連なっていたそうです。*2

大国神社の案内板。「当時津軽町と称したこの地は遊廓が繁盛した。」と説明されています。

同じ盛岡藩内には、鍬ヶ崎に非公認の遊廓がありましたが、鍬ヶ崎の遊女は、津志田遊廓に出稼ぎに行くこともあったそうです。*1
【参考文献】
*1 武林 弘恵:歴史.105(2005.9)「盛岡藩の遊廓をめぐる社会関係について」P.71,P.97
*2 小島俊一:陸中海岸こぼればな史(トリョーコム,1986)P.95-P.96
*3 風俗散歩:鍬ヶ崎遊廓(2008.9)
八幡宮へ向かう通り沿いに、古い木造民家があります。入口に水色の牛乳箱があります。

岩手牛乳の牛乳箱です。都道府県名を冠した乳業メーカー名は、重みがあります。

一本北側に路地を入ったところ。

ウルトラプロセスは、高温殺菌のことですが、ウルトラデラックスとは何でしょうか。

鍬ヶ崎上町から西側の斜面を登ったところに常安寺別院があります。常安寺別院からは、宮古湾を遠望することができます。港町らしい風景です。

坂道の途中に、黄色牛乳箱があります。(写真左側)

伊藤牛乳の牛乳箱。

箱の側面には、「宮古市新川町」と書かれています。地元の牛乳メーカーでしょうか。

瀬上駅近くに青柳神社があります。

森林の中に大きな社があります。

境内の社の裏手に、多くの石祠がありますが、そこに性崇拝の跡が見られます。やはり、遊廓町としての名残と思われます。*1

女神(女陰)。

【参考文献】
*1 小林金次郎:ふくしま散歩 福島郷土文化風物誌 県北編 改訂版(西沢書店,1977)P.184
旧中仙道から北側に路地を入ったところに、於菊稲荷神社があります。

於菊稲荷神社の名称の由来は、今から250年前に隆昌を誇った新町宿の大黒屋とう宿屋にいた遊女のお菊からきています。お菊は重い病にかかりましたが、この社で一心に祈願したところ病が回復しました。*1

遊女が献額した絵馬が残されています。

かむろつき遊女の参詣図

【参考文献】
*1 「上州路」編集部:月刊上州路 No.251 P.38「新町の観光スポット」(1995.3)
*2 千木良英一:月刊上州路 No.251 P.16-P.17「新町宿のれこれ」 (1995.3)
高田には、「高田市街図」*1 を見ると、駅の北側に栄町遊廓の場所が記されています。それによると北本町二丁目の「一本橋」を渡ったところに遊廓がありました。

幅の広い道路で囲まれた一画が、遊廓があった場所です。

現在は、遊廓の面影はありません。

遊廓の北側にあった水路。

【参考文献】
*1 高田市街図(高田新聞社印刷部,1930)
仲町六丁目付近。民家や商店が建ち並びますが、ここでも雁木造りが延々と続きます。

雁木造りの柱に牛乳箱があります。

目立つ位置に取り付けられています。

前と後ろに取り付けられた牛乳箱。

今回は、郡山(福島県郡山市)の町並みと風俗を散歩します。JR福島駅は、新幹線が停車する駅だけあって、駅舎は立派です。

ローカル線のプラットフォームへの乗り換え途中の地下道に、白ポストがあります。

正面には、オ-ソドックスな標語。

影に隠れて見えない側面には、三ない運動の標語。

仲間町の路地。古い民家があります。

森永の牛乳箱があります。

箱の側面には「フルーツヨーグルト」。

箱の中央部分の「ホモ」のマーク。

料亭街近くに福島稲荷神社があります。稲荷神社としては、規模が大きい方だと思います。

大きな狛犬があります。

狛犬の台座に「三業組合 福島見番」の文字が見えます。

待合や料亭の屋号が多数刻まれています。

金刀比羅神社には、妓楼の屋号が刻まれた玉垣が残っています。明治42年刊行の「柏崎華街志」の「柏崎華街細見記」*1 には、「港楼」、「豊島楼」、「都楼」など、20の妓楼の屋号が掲載されています。
港楼の玉垣。

豊島楼の玉垣。

金刀比羅神社は、2007年(平成19年)7月16日に発生した「新潟県中越沖地震」で被害を受け、翌月の8月9日に玉垣の撤去作業が行われました。*2
撤去された玉垣の跡が残っています。

山積みにされた玉垣。「都楼」と刻まれています。今回の地震で貴重な玉垣が多数失われたようです。

【参考文献】
*1 小田金平:柏崎華街志(1909) 附録P.5-P.6
*2 神道青年全国協議会ホームページ:新潟県中越沖地震対策本部の設置
遊廓跡地の西隣に金刀比羅神社があります。

金刀比羅神社は、遊廓と密接な関係があったようです。神社の敷地に遊廓の歴史を記す碑があります。

境内に大きな社殿はありません。2007年(平成19年)7月の新潟県中越沖地震の影響かもしれません。

神社の境内から、遊廓跡地方面を見たところ。

-----新花町と金刀比羅神社(碑文)-----
柏崎の花街は、明治時代、現在の西本町にありました。西から風が吹く柏崎にとって盛り場が町の西側に位置するのは火種を常に風上に抱えている状態であり、度々大火に見舞われました。付近一帯の貸座敷がすべて消失した1911年の桐油屋火事を契機に県からこの地に貸座敷運営許可を与えられ、四国讃岐の本殿より遷宮された金刀比羅宮を基点に遊廓や料理店などが新たに建設されました。
長岡駅の西側に位置する殿町三丁目界隈は、飲食店などが集中する繁華街です。

花の町通りのアーチに、「客引き排除推進のまち」と書かれた垂れ幕があります。

この看板は、繁華街のあちこちにあります。

ある雑居ビルの看板。

京町のちょんの間街には、「コンパニオン募集」などの貼紙があちこちに貼られています。今尚、現役である証とも言えそうです。

「アルバイト募集」の貼紙。

郵便ポストにも貼紙。

「新京町料飲協同組合」の貼紙。

今回は、門司(福岡県北九州市門司区)の町並みと風俗を散歩します。
鹿児島本線始発駅である門司港駅は、駅舎のみならず門司港駅一帯が「レトロ」地区として有名です。

電話ボックスもレトロなデザインですが、その右隣にもう一つレトロなボックスがあります。

レトロ調の白ポストです。

ポストの上にデザインされているのは、国指定重要文化財の「旧・門司三井倶楽部」の建物でしょうか。

新小岩駅近くの繁華街には、新旧の風俗店が散在しています。

人妻性感コース。

マッサージ店の看板。

「女性様入口」と書かれた貼り紙。

新小岩のルミエール商店街のアーケードの支柱は、ご覧の通り根元がさびついています。犬の小便は鉄をも溶かす威力です。

ドラッグストアの支柱。

立小便の名所?。

「ニャンとも...」ネコ語で書かれた微笑ましい張り紙です。

今回は、西川口(埼玉県)の町並みと風俗を散歩します。

駅前に客待ち禁止区域を説明した看板があります。

なぜか、風俗店の名刺が看板の左下に挟まってます。

ビルの前で見かけた看板。

西柳ヶ瀬は、風俗店が多いためか、客引禁止の看板があります。

ビルが独自に設置している看板もあります。

「何人も...」という変わった言い回しの看板。

夜になると、客引きの人たちが近寄ってきます。看板の効果はあまり無いようです。

エリザベス会館の人たちは、かなまら祭りでは人気者です。撮影をせがまれ、それに応じています。

女装している人たちは、何の違和感もなく、かなまら祭に溶け込んでいます。

神輿が戻ってくると、地べた祭りが始まります。エリザベス会館の人たちが中心となって、地べたに座って酒盛りをするという企画です。

地べた祭は、この光景は奇妙なタイムスリップのような感覚を覚えます。かなまら祭の起源は、川崎の娼婦たちが神社の男根を持ち出し、境内で宴会を開いたのがはじまりとされます。祭りの主役が娼婦から女装愛好家に代わり、今、ここで繰り返されているわけです。*1

【参考文献】
*1 杉岡幸徳:日本トンデモ祭(美術出版社,2005)P.28-P.29
今回は、川崎大師の町並みと風俗を散歩します。
毎年、4月の第1週の日曜日にかなまら祭が行なわれます。

まずは、紀伊國屋神輿。かなり大型です。

続いてエリザベス神輿。こちらはずいぶんと小振りです。担ぎ手はエリザベス会館*1 の皆さんたちです。

最後にかなまら神輿。神輿を左右に大きく揺さぶるパフォーマンスは見ごたえがあります。

天祖神社周辺の路地には、たて看板が乱立しています。

痴漢・変質者注意の看板。

この界隈には、変態者が出没するようです。

いろいろな看板があります。

亀戸天神の裏手に天祖神社があります。

「城東三業組合」の玉垣があります。

亀戸には、私娼宿の組合である「亀戸遊園地組合」がありました。組合の規約として1軒に2人以上の私娼を置かないというのが原則でした。*1
「亀戸遊園地」の玉垣が2本、「亀戸遊園地 総代 吉田金兵衛」の玉垣が1本、全部で3本あります。
「楽天地」、「新天地」という名前はよく聞きますが、「遊園地」というのは初めて耳にする呼び名です。もちろん、この「遊園地」は大人向けの遊園地です。

亀戸3丁目 女性の名前の玉垣。

【参考文献】
*1 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181
亀戸駅の北側に亀戸七福神の一つである香取神社があります。桜が満開です。

東側の鳥居の柱に「昭和三年十一月 亀戸三業組合」と刻まれています。
亀戸が花街として発展したのは、寛政年間で、水野越前守の大改革により、深川から亀戸に逃げ延びた芸者たちにより形成されたのが始まりで、その後、亀戸天満宮(亀戸天神)に参詣する人たちを相手にするようになり、急激に発展しました。*1

東側の玉垣にも「亀戸三業組合」があります。

「天神裏有志者」の玉垣。亀戸には、明治43年頃から既に私娼宿が出来ていて、大正8、9年頃が全盛で、私娼は1,000人位いたと推測されています。*2
玉垣の「天神裏有志者」とは、私娼宿の有志かもしれません。

【参考文献】
*1 東都芸妓名鑑(南桜社,1930) 「亀戸花街の沿革」
*2 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181
南小岩8丁目の住宅街。この付近には、数多くの犬糞看板を見かけます。

手書きの貼り紙もあります。

いろいろなタイプの貼り紙があります。

「東京都新生活運動拠点地区」作成のホーロー看板。

散歩雑誌等で紹介されている牛乳店と貸本屋の建物。

雪印牛乳の看板はほとんど判読できない状況です。

谷中の現役の牛乳店。

ホモちゃんマークに出会うことができました。

JR五反田駅西口から100mぐらいのところの路地。古い店舗が軒を連ねています。

路地からは、JR山の手線が見えます。

レストランの建物の脇に消火器箱があります。

都内では、めずらしい木製の箱です。

今回は、五反田(東京都品川区)の町並みを散歩五反田の有楽します。五反田の歓楽街「有楽街」の近くに、昔の雰囲気が残る路地があります。

カラオケ店の隣に古い民家があります。

明治の牛乳箱。

JR五反田駅から徒歩5分の大都会に、牛乳箱が残されているは貴重です。

地下鉄千代田線湯島駅近く。日本語、韓国語、中国語で書かれた客引き禁止看板。

東京都の条例改正に伴い、店の前に従業員が立つことが禁止されることになりました。これによって客足が遠のいては困るので、このような説明書きがされているのでしょうか。

明るく楽しい町づくり。

ボッタクリ禁止看板。隣に賃貸マンションのビラがありました。

寄居町の「四つ角」交差点の一つ北側から北西方面に伸びる路地。

「東京サイハテ観光」*1 の中里さんは、この小路のことを「すぐに終わる短い道だが、トタンにモルタル、色もいいし、それにカーブもあり、ここには路地の要素がギュッと詰まっている。」と評しています。

スナック群は数年前に店を閉めましたが、そうと知らなければ今夜も店が開くと思うほどのそのままの状態です。*1

逆方向(北側)から。

【参考文献】
*1 中野純,中里和人:東京サイハテ観光(交通新聞社,2008)P.79-P.78
今回は、渋川(群馬県渋川市)の町並みと風俗を散歩します。
渋川は、伊香保温泉の入口に位置する町です。渋川駅からは、赤城山が望めます。

渋川駅前。

「悪書追放」と大きく書かれた白ポストがあります。

幅も奥行きもたっぷりサイズの大型です。隣のコインロッカーと比べるとその大きさがわかります。

宇都宮城址近くの本丸町。静かな住宅街です。
宇都宮の赤線は、中河原(現在の中央五丁目)と「新地」の2ヶ所にありました。*1

木造2階建ての民家。

「赤線跡を歩く(ちくま文庫版)」*2 に写真が掲載されている街頭消火器のある家です。
木村聡さんは、中河原のバーのママさんから聞いた情報をもとに、「新地」はこのあたりにあったとしています。*2

「街頭消火器」の名にふさわしい、大型の箱です。

【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性・街ガイド(季節風書店,1955)P.103
*2 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.175
熊本市街の南側に位置する二本木町に二本木神社があります。ここに、明治時代にできた二本木遊廓の名残をみることができます。

本殿への石畳参道を中に一対の狛犬が相対しています。

台座に、「二本木娼妓有志者中」と寄進者名が右から書かれています。*1

寄進年月は、明治三十九年十月です。
終戦当時、陸軍中尉だった二本木遊廓を知るTさんは、「召集令状がくると皆二本木へ行きよりましたなぁ。あの頃の客は兵隊がほとんどで、それも明日は戦地へ向かうという時は行きましたな。戦後になると米軍が行きよりましたな。太とか黒人兵が意気揚々と歩きよりました。」と当時の様子を振り返っています。*1

【参考文献】
*1 猪飼隆明:遅咲きの女たちの遺言(熊本出版文化会館,2006)P.359-P.360
島原市街の南側(蛭子町)。国道251号線路沿い。

島原牛乳の木製牛乳箱。箱の側面には「ミネビタ牛乳」と書かれています。

別の場所(深江駅近く)にあった同型の島原牛乳の牛乳箱。

縦型の島原牛乳の牛乳箱。

大師堂の天如塔の周囲の玉垣のうち、入口の階段の所の玉垣が最も大きな玉垣です。
この玉垣の正面側に名が刻まれている阿南トンキン(ベトナム)の和田氏は、当地域における日本娼楼の先駆者でした。また、「高谷マサ」は、数多いからゆきさんの中でも飛びぬけた成功者でした。*1

バンコクから寄進の玉垣。
「富士ホテル」、「旭ホテル」は、いずれも「ホテル」と名乗ってはいますが、実態は日本人が経営する女郎屋でした。*1

シンガポールからの寄進による玉垣に名を刻む米井虎一郎は、侠客の一人であったと伝えられ、日本人共同墓地を管理・運営するために組織された共済会の有力メンバーでした。*1

同じく、シンガポールからの寄進の東境セイ(玉垣では東京セイ)は、からゆきさん出身でしたが、女郎屋の経営者となりそこで貯えた資金をいち早くゴム栽培事業に投資して大儲けをしました。本田シツはマバラー街54番、原ロツタは、スプリング街21番で娼家を経営していました。*1

シンガポールでは、女郎屋の経営者は女性に限られるという当局の方針があり、「からゆきさん」出身の女性が富を貯え社会的に上昇していくきっかけを与えていましたが、多くの場合、男(チンタあるいはピンプ(=嬪夫)と呼ばれた)の側が実権を持っていました。この中で東境セイだけが、実験を持った女郎屋の女経営者でした。*1
【参考文献】
*1 倉橋 正直:愛知県立大学文学部論集. 一般教育編. (通号42)(1993)「島原市の大師堂への寄進者の初歩的調査–「からゆきさん」研究の基礎史料」P.5-P.6,P.10-P.11,P.20-P.25
大師堂の天如塔(からゆきさんの塔)の周囲には、たくさんの玉垣があります。天如塔の底面は正八角形になっていて、角の部分には大きめの玉垣が配置され、ここには寄進した額の大きなからゆきさん関係者の名前が刻まれています。
玉垣(120人)と周囲の石柱(12人)のに刻まれた外国在住者を分類すると、マレーシア(34人)、ベトナム(26人)、シンガポール(25人)、インドネシア(14人)、ビルマ(14人)、中国(8人)、タイ(4人)、韓国(3人)、ロシア(2人)となります。*1

アンナンは、ベトナムの総称で、漢字では、通常「安南」ですが、ここでは「阿南」と書かれています。トンキンは、ベトナム北部を指す呼称です。*1

写真の玉垣は、マレーシアの地名が刻まれています。*1
コウラカンサ(クアラ・カンサー Kuala Kangsar)
トロノ(Tronoh)
スポテノ
タパン(タパ Tapah)

同じく、マレーシアからの寄進の玉垣。
カラン(Karang)
カラシコワラ
マラッカ(Malacca)
スレンバン(Serenban)
の地名が確認できます。*1

【参考文献】
*1 倉橋 正直:愛知県立大学文学部論集. 一般教育編. (通号40)(1991)「からゆきさんの遺跡–島原の大師堂」P.30-P.33
島原市内の南側の大師通りに、理性院大師堂があります。

本堂の横を行くと、灯台のような形をした奇妙な塔が現われます。
この塔は、「天如塔」、別名を「からゆきさんの塔」と言います。*1
「からゆきさん」とは、「唐人行(からひとゆき)」または、「唐ん国行(からんくにゆき)」という言葉が縮まったもので、幕末から明治期を経て第一対戦の終わる大正中期までの間、主に東南アジア方面にまで出かけて行って、外国人に肉体をひさいだ海外売春婦のことです。*2
玉垣には、寄進者のからゆきさんとその関係者の名前が刻まれています。

天如塔と玉垣は島原市の有形文化財に指定されています。

天如塔を建立したのは、島原で活動していた僧の広田言証師です。広田言証師は、1906年末から2年半、インドへ巡礼したとき、東南アジアの各地でからゆきさんと出会い、不幸にして異境の地で果てた娘たちのために供養を行いました。これが娘たちの帰依を呼び、からゆきさんたちの心ののよりどころとなり、多額の寄進を得、そのお金を日本に持ち帰り、天如塔を建立しました。*1

【参考文献】
*1 倉橋正直:島原のからゆきさん(共栄書房,1993)P.94-p.100,P.159-P.170
*2 山崎朋子:サンダカン八番娼館(筑摩書房,1972)P.7
今回は、島原(長崎県)の町並みと風俗を散歩します。京都-長崎を結ぶ寝台特急あかつき号に乗り、諫早(いさはや)駅に朝8時に到着。島原鉄道に乗り換えて約70分。島原駅で下車します。
駅前から島原城の天守閣が望めます。

島原城をデザインした駅舎

駅舎の前に、白ポストがあります。

鉄製の頑丈なポストを壊す人はいないだろうと思いますが、このような注意書きがポストの上部に書かれています。

旧猪崎新地(福知山遊廓)の奥まったところに、城山へ続く石段があります。

石段を登っていくと、荒廃した神社があります。

燈篭に、「明治四十四年十二月吉日 猪崎新地 芸妓中...」と書かれています。遊廓の関係者が寄進したものと思われます。

神社から、旧猪崎新地方面を見たところ。遠くに音無瀬橋が見えます。

仲之町を裏門に向かって進むと、吉原神社*1 に行き着きます。

普段は人影まばらな吉原神社ですが、浅草名所七福神の一つであるため、初詣の人たちで賑わっています。

料亭松葉屋の取り壊しに伴い、松葉屋の庭にあった久保田万太郎の句碑が、吉原神社に移されました。*2
久保田万太郎は、浅草田原町の生まれの文人で、浅草の雷門の近くにも句碑があります。おそらく料亭の松葉屋に頻繁に遊びにきていたのでしょう。

「この里におぼろふたたび濃きならむ」と刻まれています。普段は見えず、水をかけると白く細い文字が黒い石肌に浮かびあがる「白粉彫り」という技法で彫られています。*1
この日は、すでに水がかけられていたのでしょうか。最初から白い文字がくっきりと現れていました。右下に小さく、「万」の一字があります。

【参考記事】
*1 風俗散歩:入谷~吉原(2005.9)吉原神社
【参考文献】
*2 石井妙子,渡辺憲司:東京人(都市出版,2007.3)P.46 「遊女の残り香を探して」
上七軒の毘沙門町の路地。木造家屋が残っています。

側面の板が無くなっている牛乳箱。

蓋は、箱の上に置いてありました。

京都に多い井上牛乳の牛乳箱ですが、こちらは、フロント開閉型のタイプです。

阪急十三駅の西側にの通称しょんべん横丁。十三のディープスポットです。大衆居酒屋「十三屋」は昼間から賑わっています。

少し奥へ進むと、「アナバ」(吾菜場と書きます。)。圧倒的なカオス感。

反対方向から。

阪急線の壁(写真左側)と飲み屋街の間の狭い路地。

十三の栄町(さかえまち)繁華街。多数の案内所があります。

「たこナビ」「ジャパネットたかお」、ネーミングもユニークです。

名案内「コナン」。

アルサロ「ふうりゅう」近くの案内所。

ストリップ劇場「十三ミュージック」の裏手の路地。音楽と威勢の良い掛け声が建物(写真右手)からもれ聞こえてきます。(写真の奥は木川本町商店街)

大田牧場の牛乳箱がありました。

ポストと仲良く並んでいます。

ストリップ劇場近くの別のお宅の壁に取り付けられていた牛乳箱。何とも絵画的です。

天神町で見かけた古びた雑誌屋さん。

店の前に、古びた自販機が4台も並んでいます。

このボタンを押して雑誌を選ぶ仕組みだったようです。

現在でも、成人向け雑誌の自販機を地方都市なでで見かけることがありますが、この自販機では、プレイボーイなどの週刊誌が販売されていたようです。

朝日町にある飲み屋街の「新天街」。全面タイル貼りの公衆トイレがあります。

小便をするところもタイル貼りです。

きちんと整理された清掃用具。

清掃当番表。

新宿二丁目、靖国通りに面して成覚寺(じょうかくじ)があります。ここは、新宿の遊女たちと関係深い寺で、一名「投げ込み寺」といわれました。*1

入口の石段を下ってすぐ左側の塀下に旭地蔵があります。旭地蔵は、内藤新宿の遊女と武士や町人たちが、なさぬ恋を悲しんで玉川上水へ身投げして心中した者たちのために建られた供養塔でした。*1

台座には18名の男女の戒名が並べて刻んであります。*1

「貸座敷」と刻まれています。

【参考文献】
*1 芳賀善次郎:新宿の今昔(紀伊國屋書店,1970)P.70-P.72
立石駅近くの住宅地。手作りの「チラシおことわりします。」の貼紙があります。

あるお宅の郵便ポストの「チラシ厳禁」の貼紙。葛飾区が作成したもので、「ビデオや風俗営業の宣伝チラシおことわり」と書かれています。ピンクビラなどが投げ込まれ、葛飾区が対策に乗り出した時期があったのでしょうか。

「ゆすり、押し売り厳禁」のホーロー看板。昭和の初期には、こういうのが横行していたようです。

ドロボー撃退の貼紙(「赤外線発射装置付」)。科学技術の進歩はこういうところにも生かされているようです。
近い将来、ピンクビラの投げ込みを撃退する装置も発明されるかもしれません。

いろは通りに面したスーパ-マーケット。多くの買い物客で賑わっています。
昭和30年代までは、この場所に「玉の井文映」という映画館がありました。現在のスーパーはその建物を利用しています。*1

スーパーの奥に、稲荷神社があります。

病死した玉の井の娼婦や水子の供養をする稲荷神社です。*1

永井荷風の記念碑があり、荷風が描いた地図が掲示されています。

【参考文献】
*1 小針美男,川本三郎:追憶の東京(河出書房新社,2006)P.10
蕨は、風俗系の貼紙が多い町です。陸橋の下の自転車置き場付近は、多種多様な貼紙が貼られています。

「バイ@グラ」の貼紙。

デリヘルの貼紙。

こんな貼紙もありました。(駅西口の電信柱にて)

今回は、蕨(埼玉県)の町並みと風俗を散歩します。
JR蕨(わらび)駅は、赤羽と浦和の間に位置し、東京への通勤圏です。

東口のエスカレーターを上りきったところに、求人雑誌の棚の後ろに大切に置かれている箱があります。

白ポストは、東京近郊では、ほとんど見かけません。都会の駅に設置されているのは貴重だと思います。

白い箱。いいネーミングです。紺のラインがアクセントになっています。

三好二丁目の雲光院。

門を入ったすぐ右手に、庄司甚内の墓があります。*1

庄司甚内は、吉原の創始者です。江戸の発展を見て、京都や大阪と同じように遊廓をつくることを、慶長17年(1612年)に幕府に申請、元和3年(1617年)に許可を得て、現在の東京都中央区に遊里を建設し、吉原花街を開設しました。*1*2
吉原は、明暦3年(1657年)に消失し、浅草千束村に新しい遊廓がつくられ、これを新吉原と称しました。

庄司甚内は、正保元年(1644年)69歳で没し、雲光院に葬られました。

【参考文献】
*1 江東区教育委員会:江東区の歴史(江東区教育委員会,1976)P.137
【参考記事】
*2 風俗散歩(人形町):元吉原(2005.11)
根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295
門前仲町の東寄り。巴橋をわたったあたりに牡丹住吉神社があります。

ビルとビルの間に住吉神社があります。案内板によると、このあたりは、深川七場所のひとつである佃があり、後に、辰巳花街として栄えました。

玉垣には、寄進した料理屋などの名前が刻まれています。

洲崎、二楽の名前があります。洲崎の人たちが信仰していたようです。

【参考文献】
*1 中沢けい:私だけの東京散歩 下町・都心篇(作品社,1995)P.31
鳩の街のメイン通りから路地を入ったところ。廃屋があります。

朽ち果てた入口の扉。

銭湯の松の湯近くの路地の奥まったところにある廃屋。

木造モルタルでありながら、この曲線美。

京島から曳船へ向かう途中の静かな住宅地に、古い電柱が残っています。

レトロな感じが漂います。

福地電気工業。

電柱の裏側。「山口ガーデン通り」と書かれています。昔は商店街だったのでしょうか。

京島三丁目には、長屋住宅が散在しています。

木製の物干し竿受けがあります。

昭和の住宅の風景です。

かつては、長屋住宅が連なっていたのだと思います。

いなげの浜に隣接する稲毛海浜公園は、デートスポットであるらしく、アベックを狙う犯罪が多発している模様です。

いわゆる「アベック狩り」というやつでしょうか。

野球場のバックネット裏の松林には、痴漢・暴漢注意の看板。くぼ地の地形になっていて、人目につきにくい場所です。

テニスコート裏にも同じ看板。
「野球場裏はハッテンの場所」という情報もあります。*1

【参考文献】
*1 斎藤靖紀:別冊宝島(1996.11)「ウラ東京観光 決定版!」P.184-P.186 「ゲイのための無料ハッテンバ紹介」
三崎港から横須賀方面へ向かうと、かつて景勝地として知られた八景原があります。ここは、断崖絶壁となっていて、立ち入り禁止の看板が立っています。

そこには、供養塔が海に向かって建てられています。

ここは、明治時代、遊女たちが投身自殺をした場所のようです。

眼下には、美しい海が広がっています。

三崎港近くの通り矢と呼ばれる場所に来ました。船の修理所などがある場所です。

古いアパートの窓に取り付けられている木製消化器箱。

この町には、消火器箱がたくさんあります。

大きく赤い箱は目立ちます。

歌舞伎町の新宿区役所通り近く。

通りには、ラブホテルがあります。デリバリー系の風俗店にも活用されている模様です。

ラブホテルの脇の路地に、木製の電柱が残されています。

電柱に、「横断歩道は手をあげてわたろうよ!」の貼り紙があります。歌舞伎町の怪しい通りで、このような清く正しい貼り紙にお目にかかるとは思いませんでした。

あけぼの町飲食店街の規模からいって、公衆トイレは必須です。

飲み屋の建物に囲まれた中庭のような場所にあります。

綺麗に清掃されています。

トイレから外を見たことろ。

ある古い民家の入口付近。

鹿野牛乳の牛乳箱。六ツ葉のクローバー?とでも呼べそうな特徴のあるマークです。真ん中の「K」は、鹿野の「K」でしょうか。

菊水旅館の裏口にあった伊藤牛乳の牛乳箱。牛のマークです。

酒田の牛乳箱は、種類が豊富です。ある旅館の入口にあった田村牛乳の牛乳箱。可愛らしい女の子のキャラです。

駅から信濃川を渡った稲荷町に、湊稲荷神社があります。

伝承によれば、男の方は右の高麗犬、女の人は左の高麗犬を、願意(ねがいごと)を心にねんじながら回し、祈願したといわれております。

高麗犬の台座は回転する仕組みになっていて、実際に手で回すことができます。(けっこう力がいります。)

和船の出入りで新潟港がにぎわっていたころ、港に入る船の船乗りは花柳界に遊び、その夜、遊女に送られて船に帰るのが新潟の風俗でした。
遊女たちは、毎夜船乗りが遊びに来てくれることを願い、夜中、ひそかに湊稲荷神社に行き、
社頭の高麗犬の頭を西の方に向け、西風が吹いて港口が荒れ、
海がしけて船が出帆できず、船乗りが夜ふたたび遊びに来てくれることを祈りました。

円山町のラブホテル街。若いカップルやデリヘルに利用されているようです。

現在も少量ながら、電柱にピンクビラが貼り付けられています。

電柱や街路灯の支柱は、ピンクビラが貼られては剥がされを繰り返したためか、塗装が剥げてあばた状態になっています。

通学路の電柱に貼られたピンクビラ。

旧道から脇道を一本入ったところに倉賀野神社があります。
境内の入口の玉垣は、もともとは、冠稲荷神社(三光寺稲荷)にあったものが移されたものだそうです。*1

倉賀野宿の飯盛女は、寛保2年(1742年)に1軒2人づつを旅籠屋に置くことが許可されたのがはじまりで、明治中頃までその営業を続けました。*1
「升屋内はな、やす、ふじ」、「金沢屋内里津、ひろ、きん」、「新屋奈美、玉屋内ふじ」などと刻まれた玉垣がそのまま残っています。*1

升屋内はな、やす、ふじ。

また、元紺屋町の糀(こうじ)屋藤治郎、田町の桐屋三右衛門、ほか、高崎宿の名ある商家、職人の名もあります。*2

【参考文献】
*1 高崎郷土花街史 P.51-P.52,P.61
*2 倉賀野神社入口にある案内板
旧道沿いのお宅。宿場町らしい風情のある佇まいが残っています。

栗本牛乳の牛乳箱があります。

牛乳箱としては珍しい、横ストライプのデザインです。

別のお宅にあった、栗本牛乳の牛乳箱。こちらは、保存状態良好です。

今回は、倉賀野(群馬県高崎市)の町並みと風俗を散歩します。
倉賀野駅は、JR高崎線高崎駅の1つ隣(東京寄り)の駅です。

改札口近くに白ポストがあります。丸型です。

「悪書」と書かれています。

郵便ポストの似た丸型のポストです。

神田川から通りを一本入ったところに、篠塚稲荷神社があります。

正面の石柱。東京柳橋組合の名前があります。

側面の玉垣。両国花火組合、料亭の「いな垣」、「田中屋」の名前が刻まれています。

両国花火は江戸の年中行事になり、主催者である柳橋の名前は全国に知れわたりました。両国花火は、柳橋の広告塔のようなものでした。*1

【参考文献】
*1 牧太郎:東京人(2000.6)「柳橋」江戸からの芸者町の灯が消えた (特集 芸者さんに会いたい 新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、東都五花街探訪) P.72-P.73
旧水茶屋の通りにある質屋の脇の路地。この先に緑色の箱が見えます。

みどり牛乳の牛乳箱。箱の色はもちろん緑色です。

植木鉢で飾られた美しい路地が残っていました。ここにも牛乳箱があります(写真右下)。

牛乳箱も植木鉢で飾られています。

柳町では、元文5年(1740年)に選擇寺(せんちゃくじ)が旦那寺となり、遊廓でなくなった遊女のなきがらは、この寺に葬られました。*1

戒名もなく、無縁墓地に葬られる遊女が多い中、唯一、角屋の遊女雪友(二十才)は墓が建てられています。博多における唯一の遊女の墓です。*1

雪友は、他の遊女とは異なり、別格の扱いをされていたようです。

雪友は、文久元年(1861年)6月27日にこの世を去りました。*1

【参考文献】
*1 井上精三:博多風俗史遊里編(積文館書店,1968)P.67
中洲から那珂川沿いの道を南に行った住吉橋の交差点にある薬局です。

強烈な印象の巨大看板。

天神にある赤ひげ薬局。とにかく巨大です。

絶倫粉エンペラー。

防火水槽のある路地※1 から脇道に入ったところにある緑色の牛乳箱。
やまぐち県酪のイメージキャラクター「ベルちゃん」のロゴマークは、時代とともに変遷しました。*1
・昭和42年:ベルちゃんが登場!
・昭和50年:シモラク
・昭和55年:酪農牛乳BELLCHAN
・平成6年:やまぐち県酪
こちらの牛乳箱は、酪農牛乳BELLCHANです。

シモラク牛乳+ベルちゃん。

山口県酪+ベルちゃん。

緑色の木の格子と米屋の看板がよく調和しています。

新地西町の奥まったところにある路地。理容室や米屋があります。

この路地を進んでいくと、営業中の食堂があります。

路地の雰囲気と調和した風情のある建物です。

コンクリート製の防火水槽でしょうか。凝った装飾がほどこされています。
