房総横断道路から北へ入った通り。

銭湯の桜湯があります。

ペンキで書かれた「桜湯」の文字

傍らには、桜の木。屋号の由来の木でしょうか。

せんとう・きょうどうよくじょう
房総横断道路から北へ入った通り。
銭湯の桜湯があります。
ペンキで書かれた「桜湯」の文字
傍らには、桜の木。屋号の由来の木でしょうか。
上野3丁目のビル街。
銭湯の燕湯は、国の登録有形文化財に指定されている貴重な銭湯です。
ビルの1階部分が宮型銭湯となっていますが、建物全体はビルになっている独特の建築です。
銭湯の裏側の通り。
幕張駅の北東側。徒歩5分のところにある銭湯の鈴の湯。
昔ながらの銭湯です。
銭湯には、破風屋根の軒下に細かな細工の懸魚(けぎょ)を見かけることがありますが、鈴の湯の場合は「鈴」のオブジェです。
「鈴の湯」と書かれた煙突。
江戸川区松島の住宅街の中にある銭湯の「旭湯」。
都内ではめずらしい、昔ながらの銭湯です。
中庭には金魚が泳いでいます。
建物の南側。
蔵前橋通りの南側。浅草橋5丁目に、銭湯の鶴の湯があります。塀や建物の壁面は鮮やかな水色に塗られています。
鶴が彫りこまれた懸魚は見事です。
料亭の建物のような意匠。
入口。
銀座線稲荷町駅近く。
銭湯の寿湯。
本格的な銭湯ですが、内部は改装されている部分もあって快適です。
入口。
JR根岸線石川町駅の西側。中村川の南側の住宅。
ビル型銭湯の小山湯。
階段を下りると入口です。反対側の入口にも通じていて、建物の両側から入れる構造になっています。
小山湯の木製看板。
元町中華街の南側にある「恵びす温泉」。写真奥は首都高速です。
3階建てのビル。
赤い文字で「恵びす温泉」と書かれた看板。
階段を上った2階が銭湯です。
川崎南町の南側、貝塚二丁目の住宅街にある銭湯の「吉の湯」。
2つの建物(左側はコインランドリ)の間の通路の先が銭湯の入口です。
コインシャワー。
銭湯の建物は、道路の東側に面しています。
羽黒神社の東側の住宅街。レトロな食堂がある通りです。
銭湯の松の湯。
本格的な宮型銭湯とは言えませんが、入口部分に唐破風のようにデザインされた庇。
現在は休業中のようです。
煙突。
志村坂上の城山通りを西へ進むと、銭湯の「熊の湯」に行きつきます。
前面部分は改装され、「湯ーとぴあ熊の湯」という名称になっています。
西側から見た外観。後方部分は昔のままの建築が残されています。
東側から。
成増駅から練馬駅行きのバスに乗って約10分。埼玉県和光市にある銭湯の「浩乃湯」。
昭和レトロな銭湯です。
玄関。
内部も昭和レトロです。
白山花街があった白山一丁目の南側の通り。
銭湯の富士見湯があります。
現在は、一時的に休業中です。
手書きの看板。
小田急線の東北沢駅近くにある煙突のあるビル。
マンションの建物の1階は銭湯の石川湯です。
入口。
風情のある暖簾。
横浜線古淵駅から徒歩約10分。
昭和四十一年創業、町田で一番歴史ある銭湯です。*1
昔ながらの銭湯の風情のある煙突。
平成二十八年十二月、リニューアルオープンしたそうです。*1
銭湯でありながら、スーパー銭湯のような近代的設備です。
船橋市本町3丁目(京成船橋駅と大神宮下駅の中間あたり)に、銭湯の松の湯があります。
何かの工場を思わせるような建物。
煙突も大型です。
入口。
かつて花街だった佐原信用金庫前の通り。銭湯の煙突が見えます(写真左奥)。
銭湯の入口は、砂利道の路地です。
洗濯機が並ぶ向こう側が玄関です。
銭湯の玄関。
佐原市街にある金平湯。
住宅街の中にあります。
現在は、「まちぐるみ博物館」として利用されています。
鮮やかな青色のタイル
JR下総中山駅の東側にあるビル銭湯(写真左奥が総武線の高架です)。
天然鉱泉「滝の湯」。
総武線の車窓からも見える滝の湯の煙突。
建物の北側の通り。
JR下総中山駅南口から100mの場所にある桔梗湯。
まるで、高級クラブのような佇まいです。
残念ながら、つい先日閉店したとのことです。
桔梗の紋。
国道14号線沿いにある銭湯の紅梅湯。
大型の建物に高い煙突が特徴です。
入口。
隣には、マンションの建物(写真左上)が迫っています。
船橋駅の東(京成大神宮下駅近く)にあるビル銭湯の宮の湯。
片持ちの外階段を持つ3階建てのビルです。
1階に、コインランドリーが併設されています。
宮の湯の煙突。
JR総武本線の東千葉駅から、約100m。「東千葉入口」交差点のとろこに、銭湯の喜代の湯があります。千葉市近郊では、数少ないレトロ銭湯です。
入口脇にはコインランドリーが併設されています。
隣接する駐車場からの遠望。
煙突。
新小岩駅の北。駅前の繁華街からは離れた住宅街に銭湯の千代の湯があります。
シンプルな外観。
レトロな銭湯でありながら、ハイカラな感じの銭湯です。
浴室の背景は、常夏の海をイメージした海岸の絵。天井は、水色、グリーン、肌色の3色模様、と独特の雰囲気です。
コインランドリーが併設。
JR小岩駅から北へ徒歩約10分。昔ながらの銭湯の吉野湯があります。
南側の駐車場から見た建物。
入口。
脱衣場の格子天井。立派です。
千住5丁目にある銭湯の梅の湯(現在は廃業)。
かつては、昭和初期の建築で、外観、脱衣場をほぼ新築時の姿のまま残す貴重な銭湯でした。*1
オゾン浴泉
北側見た建物の外観と煙突。
南側の駐車場から。
西小岩の武蔵湯。総武線の車窓からも見える銭湯です。
美しい煙突。
入口にはタイル絵。
最近、内装リニューアルされたらしく、床やロッカーは綺麗で快適です。
廃材置き場。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
入口のシャッターには、富士山の絵。
お湯は木材で沸かしているようです。
煙突。
西五反田の住宅街。写真の左手は小学校の運動場です。
見事な破風の屋根の外観。大型の建物です。内部は天井が高く開放感があります。風呂桶が木製であることも魅力の一つです。
昔ながらの銭湯です。
短く太い煙突。
足立区千住柳町にある銭湯の金の湯。
外観は、近代的銭湯のように見えますが、内部は昔ながらの銭湯です。
玄関の傘立て。
真っ白の煙突。「金の湯」の文字が目立ちます。
西小山駅南東側の商店街。スーパーサミットの前にある東京浴場。
ビル型の銭湯ですが、レトロな雰囲気を出しています。
白い四角い煙突。
ビルはマンション兼ねている大きな建物です。
中野区弥生町の住宅地にある清春湯。
建物は、重厚な造りです。
煙突には、温泉マークのみ。シンプルです。
破風の部分にも温泉マーク
国道14号線(千葉街道)沿いの歩道にある「鷺沼温泉」。
昭和4年から80年間営業している銭湯です。
映画のセットでも見ているかのような脱衣場。
浴場は、さらにレトロです。
銭湯の裏側。地元の方の話によると、昔は重油で沸かしていたが、最近は供給が多い廃材で沸かしているとのことです。
大塚駅南口。サンモール商店街を進み、天祖神社のさらに先にビル銭湯の記念湯があります。マンションの1階が銭湯の入口です。
シンプルな記念湯の看板。
脱衣場の天井には宇宙の絵が描かれています。
玄関マットにも宇宙の絵。
月島西仲通り商店街※1 の北側に位置する佃島は、関東大震災にも第二次世界大戦にも被害を免れた。昔ながらの下町の面影を残す地域です。*1
佃小橋から大きな煙突付きマンションが見えます。
近くには「つり船」の店。
ビルの1階が銭湯です。
大栄マンションの東側は堀です。
旅荘※1 があった小路を抜けると大木戸子ども園の前の商店街に出ます。
新宿区の都心にありながら、レトロ感満載の銭湯です。
現在は、銭湯は休業し、商店の建物として活用されているようです。銭湯脇のコインランドリーは営業中です。
脇の小路。
JR中央線武蔵小金井駅北口からバスで5分。小金井公園の敷地の中に、江戸東京たてもの園があります。
江戸東京たてもの園は、1993年、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目的に開園しました。*1
商店などの建物が建ち並ぶ東ゾーンの奥にある銭湯の子宝湯。1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられました。*2
格天井(ごうてんじょう)など、脱衣場は日本の伝統建築の空間。浴室はタイル張りなど、洋風の雰囲気が強い、いわゆる「東京型銭湯」の特徴*2 を持ち合わせています。
ガラス戸を介した縁側。*2
東京学芸大の東側。道路沿いを進むとまるで軍艦のような外観の煙突を持つ建物が現れます。
鉄筋コンクリート3階建てです。
建物は、工事用事務所も兼ねているようです。
雑然とした感じの銭湯の入口。
西東京市南町1丁目にある松の湯。商店街の中にあります。
都内では少なくなりつつあるレトロ銭湯です。
簡易な懸魚。
ロケットのような形をした煙突。
三鷹駅の南側。三鷹市下連雀3丁目に、周囲をビルに囲まれた銭湯の春の湯があります。
マンションの建物の1階のビル銭湯。
これより先、土足禁止です。
清潔な店内。
東急百貨店の西側。商店やブティックもまばらになり、住宅街になるあたり。吉祥寺では、よろづ湯※1 と並ぶレトロ銭湯の弁天湯があります。
弁天湯の煙突。
脱衣場の窓には、裸婦が磨りガラスで描かれています。
レトロなかさ入れ。
本牧の繁華街の北側。見晴トンネルの近くの閑静な住宅街。
細い道の奥まったところに銭湯の泉湯があります。
昔ながらの銭湯の佇まい。
ステンドガラスと暖簾。
和田町駅の西側の仏向町にある横浜温泉黄金湯。
「天然化石海水型」と看板に書かれています。
落ち着いた感じの脱衣場。
風呂釜。
平塚市立野町にある銭湯のよねの湯
郊外の住宅地の中にある銭湯です。
水色の暖簾をくぐると、男湯と女湯で左右に分かれています。
煙突。上部が火の見櫓のような特殊な形状をしています。
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
土手通りを紙洗橋交差点から南西方向に折れ、100mほどのところに銭湯の鶴の湯があります。
レトロな雰囲気の残る銭湯です。
入口。
ラドン風呂の装置と傘入れ。
宮西町3丁目にある銭湯の旭湯。大型の建物です。
本日は休業日のため、シャッターが閉じられたままになっています。
建物の側面。
裏側へ回ると大きな煙突を見ることができます。
浅草六区の繁華街の中。銭湯の「蛇骨(じゃこつ)湯」の看板があります。
路地の奥まったところにあります。
蛇骨湯の入口。
券売機には、英語、中国語、韓国語の表記があります。外国人観光客の利用も多いようです。
蒲田駅南口の「ホテル末広」は、昭和27年開業で、当時は「温泉旅館」でした。開業時は「玉屋」という旅館でしたが、手相占いに見てもらったところ「末広」が良いというのですぐに名前を、「末広旅館」変えました。当時、隣には「白蘭」というキャバレー(後のキャバレー「モンテカルロ」)があって、バンドの生演奏が旅館にも聞こえ、華やかな雰囲気でした。*1
日帰り温泉(90分1100円)は、銭湯のように黒湯温泉を味わえます。
待合室には、小沢昭一さんが少年だった頃のふるさと蒲田の地図などが展示されています。
待合室では、冷たい麦茶がサービスです。
参考文献】
*1 交通新聞社:散歩の達人(2012.6)P.9 「ホテル末広が語るあの頃の活気と風情」
武蔵小山駅の西側。目黒本町5丁目にある銭湯の富士の湯。
落ち着いた感じの入口。
裏へ回ると立派な煙突を間近で見ることができます。
脱衣場から見る庭園。
西門商店街の東側にある相模浴場。
昔ながらの銭湯です。
裏側から見ると、大きな建物と煙突が目を引きます。
長いハシゴが取り付けられた煙突。
武蔵小杉の今井湯。コインランドリーが併設です。
コインランドリーと銭湯の入口がつながっています。
側面にも入口があって、入口の脇にはクリーニング店が併設です。
水色で「今井湯」と書かれた煙突。
鮫が橋の北の若葉にある戒行寺坂。
坂の登り口に銭湯の若葉湯があります。
コインラインドリー併設です、
銭湯裏の煙突。今は、隣が空地になっているので、煙突全体を見ることができます。
門前仲町駅の南側。巴橋から、銭湯の建物が見えます。
重厚な建物。
銭湯の入口。
裏側にも通りがあります。こちらからだと、立派な煙突が見えます。
東急東横線の綱島駅と大倉山駅の中間あたり。大曽根商店街沿いに銭湯の大平館があります。
一見、普通の商業ビルですが、路地の奥に銭湯の入口があります。
風情のある玄関付近。
煙突には、「ラジウム温泉」と書かれています。
丸山の入口を山ノ口とよぶのに対し、丸山の上手を山頭といいます。*1
山頭には、山頭温泉という銭湯があって、丸山が盛んな頃、山頭温泉の利用者は丸山の芸者衆や女性たちが中心で、寄合町の社交場でもありました。*1
かつて遊郭があった界隈に建つ銭湯です。
玄関のアール状のひさし。
【参考文献】
*1 長崎文献社:長崎丸山に花街風流うたかたの夢を追う(長崎文献社,2007)P.25
巣鴨駅近くにある銭湯のおとめ湯。
1954年に創業し、中庭のある銭湯として親しまれながら、今年6月に60年の歴史に幕を下ろしました。*1
正面入り口の唐破風・蒔絵は、当時の銭湯経営者が華やかさを競った名残です。*1
内部の様子(9月1日の見学会にて撮影)。
洗い場からは、中庭を鑑賞することができます。
【参考文献】
*1 東京新聞 2013年8月18日
麻布十番の古川の東側に広がる住宅街の路地の突当りに銭湯の小山湯があります。
小山湯は、大正十年建築の都内で一番古い銭湯でしたが、平成18年に廃業しました。屋号の小山湯は、かつてこの地が三田小山町と呼ばれていたからと推察されます。*1
入口が独立して付属している構造は、他にあまり類を見ない様式です。*1
2階部分の装飾が見事です。花街の建築を見ているようです。
東京に宮造り銭湯が登場したのは、大正12年の関東大震災の復興期なので、小山湯は、それ以前の建築様式で建てられました。*1
銭湯脇の石段を登ると、煙突が見える場所に出ます。
【参考文献】
*1 町田忍:銭湯遺産(戎光祥出版,2008)P.53
板橋の仲宿通りに、銭湯の花の湯があります。唐破風が前面に押し出されているので、すぐに見つけることができます。
唐破風の右側が入口になっています。
花の湯の煙突。
待合室には、布袋様?の石像と燈籠があります。
あずま通りの中ほどに、銭湯の日の出浴場があります。
こじんまりとした暖簾が郷愁を誘います。
玄関部分には、宝船のタイル絵があります。
裏側から見た銭湯の建物の全景。
神楽坂の見番通りに面した駐車場の奥に銭湯の煙突が見えます。
路地の階段を下っていくと、銭湯の熱海湯があります。
緑に囲まれた玄関。
堂々とした木造建築です。
検番(渋谷三業会館)があった円山町の坂道から神泉駅へ向か下り坂が分岐しています。
円山町の背後は急な坂道になっていて渋谷の深い谷底に続いています。かつて、そこに「新泉」という泉が湧いていました。この谷の全域がかつての火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が多数住み着いていました。彼らは泉の湯をわかして「弘法湯」という癒しの湯を提供していました。*1
「弘法湯」は、江戸時代の文献にも出てくる古い共同浴場で、明治18年に佐藤豊蔵という人が経営権を譲りうけ、本格的なお風呂屋として機能し始めました。佐藤家は、のちに弘法湯の近隣地に神泉館という料理旅館を開業しました。料亭ができることによって芸妓屋が開業し、それから円山の花街が広く世間に知られるようになりました。神泉館は空襲で消失し、廃業。その後は銭湯としての「弘法湯」の営業となりました。*2
火災保険地図*3 によると、この駐車場の奥のあたりに銭湯の建物がありました。
道路沿いに、「弘法大師 右 神泉湯道」と書かれた道標のような石碑が残っています。
「明治19年」と刻まれています。
【参考文献】
*1 中沢新一:アースダイバー(講談社,2005)P.64-P.65
*2 倉石忠彦:渋谷をくらす(雄山閣,2010)P.214-P.216
*3 都市整図社:火災保険特殊地図 渋谷区(3)道玄坂方面(都市整図社,1955-1958)
近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)の東側は、いわゆる「近鉄裏」と呼ばれるピンク街でした。
現在、近鉄裏のピンク街があった場所のほとんどは空地となり、銭湯の「よろづ湯」だけがぽつんと1軒営業中です。
昭和の雰囲気を今に伝える銭湯です。
高いビルに囲まれた銭湯の煙突。
今回は、尾久(おぐ、東京都荒川区)の町並みと風俗を散歩します。
尾久は、明治時代以前は農村(ムラ)でしたが、大正時代に急速にマチ化が進行しました。そのきっかけとなったのが、大正2年の王子電車(現、都電荒川線)の開通と翌3年に開業した「寺の湯」でした。*1
寺の湯は、碩運寺の住職松岡大機が鉱泉を掘り当て、「寺の湯」と称した温泉を開業したもので、のちに、「不老閣」として独立しました。やがてその人気にあやかるようにして、この地にいくつもの温泉旅館が開業し、このことが尾久三業の礎となりました。*1
こうして登場した花街・尾久産業地を中心に、その後は尾久地区の商店街が発展しました。*1
付近の電柱番号札には、「新地」の名が見られます。
【参考文献】
*1 八木橋伸浩:都市周縁の考現学(言叢社,1995)P.166-P.167
市内を流れる宮川に架かる中橋。擬宝珠や欄干をそなえる美しい橋です。
川沿いに、銭湯の中橋湯があります。
特徴のある煙突。
お湯は熱すぎず、ゆっくりできます。
末広町の二番街に、銭湯の桃の湯があります。
木造建築の銭湯です。
鮮やかな緑色の暖簾。
外観と同じように内部もレトロ感たっぷりです。
千束通り商店街から東側に入ったところに銭湯の曙湯があります。
なだらかな曲線の唐破風(からはふ)屋根と懸魚(けぎょ)と呼ばれる彫刻。
銭湯の後ろ側へ回ると煙突が見えます。
美しい漆喰塗りの塀。料亭のような佇まいです。
梅田四丁目にある銭湯の明美湯。大きな建物です。
入口には、「人工温泉」の看板。
「明美」というと、スナックの店名かママさんの名前を連想してしまいます。ロケットのような形の煙突。
牛乳石鹸の暖簾。
環状7号線から、1本路地を入ったところに、銭湯の「たぐち湯」の建物があります。
堂々とした外観です。
表へ回ってみますが、何か様子が変です。銭湯は廃業してお寺に換わっていました。
もともと銭湯の建物は、お寺とみまごうばかりの重厚な「宮造り」の建築様式を取り入れた建物が多い*1 ので、銭湯の建物がお寺の建物として再利用されるというのは納得のいく話です。
【参考文献】
*1 町田忍:銭湯の謎(扶桑社,2001)P.58
銭湯の「不動湯」。その名の通り、目黒不動尊の近くにあります。
鬼瓦には「不動」の文字。
堂々とした建物です。
天井が高く、柱も立派です。
岩亀稲荷の近くの商店街に、銭湯の「松島館」の看板があります。
狭いを路地を入ると、「松島館」の入口です。
紺色のシンプルな暖簾。
建物の一部に煉瓦が使われています。
反町公園の東隣の二ツ谷町の道路沿い。
銭湯の仲乃湯があります。
重厚さはありませんが、落ち着いた和風の佇まいです。
JR横須賀・東海道線の車窓からも見える煙突。
ジョイフル三ノ輪(三ノ輪橋商店街)に隣接して、銭湯の弁天湯がありあます。
道路に面した大きな看板。
銭湯の入口。午後1時から営業しています。
脱衣場には、立派な庭園があります。
大正時代、新開地と呼ばれた私娼街があった頃、娼婦たちは、午後3時頃になると新開地にある弁天湯へ出かけるのが日課でした。*1
【参考文献】
*1 三木克彦:北奇譚幻の銘酒屋街(三木克彦,2004)P.4
国立市街の南東のはずれに、銭湯のはとの湯があります。建物の前は更地になっているので、道路から建物の全景が見えます。
「サウナ」「コインランドリー」と書かれた看板。上から裸電球で照らされるようになっています。
入口付近。
入口の下駄箱。休業日の前日には、「明日は休業」の札がかかります。
東武線竹ノ塚駅の北東、伊興4丁目に、銭湯の「しのぶ湯」があります。
破風造りの立派な建物です。
入口に、ラドン発生機がど~んと置かれています。
待合室に入ると「見返り美人」がお出迎えです。
京成電鉄の中山駅から中山法華経寺までの参道が続いています。普通の商店街のような雰囲気で風情があります。
参道から東側の路地に、銭湯の国見湯があります。建物は場所柄、お寺のような重厚な建物です。
入口付近。脱衣場、浴場とも普通の銭湯よりはひとまわり広い立派な銭湯です。
建物を側面から見ると、その大きさを実感できます。
下総中山は銭湯密集地域です。駅周辺だけでも、松竹湯、国見湯、桔梗湯、寿湯、滝の湯、栄浴場など6軒あります。
駅近くにある松竹湯。
周囲はビルに囲まれています。
脱衣場はやや狭いですが、大きな鏡があるので広く感じます。サウナは無料です。
千駄ヶ谷の東京能楽堂の南側に銭湯の鶴の湯があります。
玄関付近。黄緑色のタイルがアクセントになっています。
美しい黒板塀が銭湯の東側を囲っています。
おなじみの温泉マーク。国土地理院の地形図の温泉記号で使用されているマークですが、銭湯でも定番です。
温泉マークは本来、地図のうえで、ここに温泉がありますよと示すためのマークですが、戦後、温泉マークが温泉以外の風俗営業施設に利用された時代がありました。温泉マークがくらげを逆さまにしたような形をしていることから「さかさくらげ」という隠語が発生し、「温泉マーク」「さかさくらげ」というと、当時の連れ込み旅館だと認識されていました。*1
【参考文献】
*1 金益見:ラブホテル進化論(文藝春秋,2008)P.10
柴又駅近くのレトロな看板建築の酒屋さん(現在は自販機)の向こうに、煙突が見えます。
銭湯の北野浴場です。
存在感の煙突。
現在は、コインランドリーとして営業中です。
新井薬師近く(上高田二丁目)の住宅街。
銭湯の花園湯があります。
コインランドリーとして営業中です。廃業してしまったのでしょうか。
裏側へ回ってみると、解体された煙突が見えました。
十条駅近くにある銭湯の久保の湯。
住宅街にある堂々とした構えの建物です。
特徴的なのは、入口に傘を入れる棚。
ミニ庭園もあって、のんびりできる銭湯です。
目白台(音羽の西側)にある月の湯。この日は「第4回 月の湯古本まつり」の会場として使用されました。
昭和の雰囲気漂う銭湯の内部。
富士山のペンキ絵が見事です。鯉のタイル絵もすばらしいです。
洗い場。
柏木田には、銭湯がたくさんあります。
妙栄寺の南側にある常盤湯。通りから東に入ったところにあります。
昔ながらの雰囲気が残っている銭湯です。
煙突。
木の温かみのある脱衣場。
猟師町の赤レンガの堤防付近から北側を見ると銭湯の入船湯の煙突が見えます。
羽田では海で働くため午後になると漁師たちが集まり汗を流し、銭湯は町の社交場になりました。110年前には営業していたと伝わっていますが、昔は団子湯といい、60年ほど前から入船湯になりました。*1
入口付近。
清潔感のある脱衣所。
【参考文献】
*1 大田区観光協会:大田区観光ガイド(ハーツ&マインズ,2007)P.37
神田神保町2丁目に銭湯の梅の湯があります。
都会のビルの谷間にある銭湯です。
マラソンのお客様向けの貼紙。皇居の周辺をマラソンした後、この銭湯を訪れるランナーの方々が、銭湯の需要を支えているようです。
内部は清潔そのもの。「ハイパワージェット」なる泡風呂は名前の通りハイパワーでした。
御殿場市街の北側に、銭湯の玉の湯があります。
町工場のような重厚な煙突です。右側は、銭湯の設備の建物です。
入口はシンプルなデザインです。
脱衣場は、畳のスペースがあって、くつろげます。
国道437号線から通りを1本入ったところ(神田町付近)に、銭湯の煙突が見えます。
現代風のお洒落な建物です。
入口の電球。「女」の文字もモダンなデザインです。
残念ながら、本日は休業でした。
今回は、武蔵新田(東京都大田区)の町並みと風俗を散歩します。
JR京浜東北線から東急多摩川線(旧目蒲線)に乗り換えて2駅目の武蔵新田駅で下車します。駅前の商店街は、買い物客で賑わっています。
駅から徒歩1分の商店街に面した場所に銭湯の森の湯があります。
銭湯らしい、大きな建物です。
鶴の絵が描かれています。
本町通4丁目交差点から南西に延びる通りを100mほどいったところに、銭湯の末広湯があります。
「サウナ」のネオン看板。
入口付近。
脱衣場に入ると、広い庭園が出迎えてくれます。
王子駅から線路沿いの道を赤羽方面へ行くと、銭湯の稲荷湯があります。近くには、江戸時代、参詣が盛んだった王子稲荷神社があることから、稲荷湯という名前になったのだと思います。
電車からもよく見える煙突。赤紫色で「薬草風呂」と書かれているのが特徴です。
建物を側面から見たところ。
入口のシャッターは閉まったままです。
JR駒込駅の北側、本郷通り沿いに銭湯の亀の湯があります。アーケードで全貌が見えづらくなっていますが、立派な破風造りの建物です。
周囲はビルに囲まれています。
入口の「亀の湯」の看板。大きめのサイズです。
天井についているレトロな扇風機が印象的でした。
浅草観音温泉に入ってみます。
銭湯は、男湯と女湯の入口が分かれているのが普通ですが、ここの銭湯の入口は一つです。ロッカーがたくさん並ぶ廊下を過ぎるとその先で、男湯と女湯の入口があります。
バンビの乗り物があります。しかし、横には、「バンビさんは動きません。」の貼紙。
脱衣所にある「マナーのお願い」の貼紙。
コンクリート造りで、天井が高いのが印象的です。天井は緑色、柱は赤色に塗られています。中央に円形のタイル張りの湯船があり、タイルで人魚の姿が描かれています。
浅草寺本堂の前を西へ向かうと浅草観音温泉の建物が見えてきます。建物の屋上には、「浅草観音温泉」と書かれた大看板があります。
左に、浅草ビューホテル、右に花やしきのタワーが見えます。
蔦の絡まる銭湯。
「男は黙ってサッポロビール」の看板。三船敏郎のCMが懐かしいです。
入口の横に、「極端に不潔な方、入場お断り」の貼紙があります。
川崎大師駅近くの食品スーパーのある通り。
銭湯の寿恵弘湯があります。
開店前の入口のシャターには、こんな絵が描かれていました。
魚と蛸が描かれたガラス絵。
今回は、亀戸(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
天神裏の旧赤線区域にある銭湯。
天神湯。
入口には、「ゆ」と書かれた暖簾。
古びた煙突。「サウナ」と書かれているのですが、ほとんど読み取れません。
京成電鉄小岩駅の近くに、銭湯の地蔵湯があります。
銭湯の建物の裏口付近。2階に汲み取り式トイレがある構造です。
銭湯の入口。
脱衣場と風呂場の間の窓ガラスに女性の絵が描かれています。
根津神社の近くに銭湯の山の湯があります。
根津生まれの荒川センさんの話によると、山の湯近くに昔共同便所があり、子供のころ順番を待っていたら、中から梅毒で鼻の欠けた、顔立ちの異様にくずれた元お女郎さんの老婆が出てきて、腰を抜かしたそうです。山の湯の近辺には、遊廓で働いていた人のたまり場のようなものがありました。*1
山の湯は、根津神社へ行く道の途中にあります。
瓦屋根のある佇まい。
歴史を感じさせる銭湯です。
【参考文献】
*1 森まゆみ:不思議の町根津(筑摩書房,1997)P.220
町の南側から見た、皆ヶ作の市街。銭湯の煙突が見えます。
入口付近。ブロック塀に書かれた「竹の湯」の文字がいい味を出してます。
銭湯の裏側は空き地になっていました。
女将さんが番台に座り、中央は衝立で仕切られています。内装は木材がふんだんに使われています。
銀座8丁目の金春通りのビルの1階に金春湯があります。金春湯の歴史は古く、文久3年(1863年)開業です。*1
場所柄、ご商売の人たちが店の始まる前や後に来ることが多いようです。*2
金春通りの工事現場のフェンスに大正10年頃の金春湯の写真が掲示されていました。
周囲は置屋や待合が並ぶ花街でした。*3
湯船には、12匹の鯉が泳ぐ様が描かれています。12ヶ月(金春湯に)来い(鯉)という意味だそうです。*2
お湯は、「熱い」と「ぬるい」の二択が可能です。「ぬるい」だと、のんびりとつかることができます。左側に「熱い」のプレートが貼られていますが、右側の「ぬるい」のプレートは剥げ落ちてしまっています。
【参考文献】
*2 田中見世子:東京人(都市出版社,2001.4)P.60-P.61「この街に生まれて暮らして」
*3 隼つばめ:荷風!(日本文芸社,2005.6)P.56-P.60「東京平成銭湯三昧」
【参考URL】
*1 こんぱるゆホムページ
鳩の街の商店街に、銭湯の松の湯があります。
道幅の狭い商店街なので、銭湯の入口に気がつかずに通り過ぎてしまいそうです。
裏に回ってみると、沢山の木材が置いてありました。
洗い場のタイル絵には、裸婦が描かれています。旧色街らしい銭湯です。
京成曳舟駅の南側の商店街。銭湯の曳舟湯の煙突が見えます。
歴史を感じさせる銭湯の建物です。
暖簾をくぐった向こう側には、市松模様のタイル。
千鳥破風の下には見事な透かし彫り。