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概況

江戸時代の浅草は、庶民信仰の浅草寺を中心に、見世物と大道芸の奥山、歌舞伎の猿若町、行楽の墨田川など、多様な遊びが集まる「江戸唯一の盛り場」で、明治以降も銀座にその地位を明け渡す昭和初期まで、東京一の盛り場でした。浅草の賑わいの中心は、「浅草公園」(明治6年~昭和26)でした。*1

浅草公園周辺には花街も生まれました。*2

浅草第六区には、明治19年頃から、東京府の命令に従って、奥山にあった見世物小屋が続々と移転し、奥山時代と変わらぬ見世物小屋が並ぶ一方、新たに「登高遊覧施設」が登場しました。明治23年に誕生した凌雲閣(りょううんかく)、通称「十二階」は、長く浅草のシンボルとなりまた。*1

浅草一丁目1アリゾナキッチン 2フランス座 3三定 4仲見世 5古物商店 6外国人用ゲストハウス 7大人のオモチャ屋 8尾張屋本店 9神谷バー 10蛇骨湯 西浅草三丁目11韓国エステビル 12どぜう「飯田屋」 浅草2丁目13ひさご通りの看板 14ひさご通りのかつら屋さん 15ビジネスホテル 16ラブホテル 17ロック座 18凌雲閣 19初音小路 20旅館 21一富士旅館 22正直ビアホール跡 23浅草世界館 24浅草寺の公衆トイレ 25浅草観音温泉 26浅草観音温泉 27焼肉店の路地 28花やしき 浅草三丁目29猿之助横町のスナック街 30猿之助横町の路地 31浅草三業会館 32料亭都鳥 33料理店「一直」 34「浅草ニュートルコ」跡地 35かつての私娼街 36芸妓屋街 37食堂「筑波」 浅草四丁目38曙湯 花川戸一丁目39浅草地下街 浅草六丁目40猿若町 西浅草二丁目41ホテル「幸和」 42西浅草のラブホテル街 雷門一丁目43旧紙漉町 雷門二丁目44サンバカーニバル 吾妻橋一丁目45通称うんこビル

参考文献

*1 中村実男 昭和浅草映画地図 明治大学出版会 2018
浅草公園の誕生と六区の隆盛
P.2 江戸時代の浅草は、庶民信仰の浅草寺を中心に、見世物と大道芸の奥山(観音堂の西から北の区域)、歌…
*2 浅草見番 浅草見番 公式ホームページ リンク
浅草見番の歴史 浅草寺の北に広がる浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつです。 古…

タクソノミー(分類)

地図・年表(参考文献)

浅草公園及び付近

浅草公園区割り図

火災保険地図をもとに作成。

1873年 公園制度の誕生

1873年(明治6年)、政府(太政官)から出された布告(「府県は公園に見合う土地を選定して申し出よ」という通達)が公園制度の発祥である。これに従って、東京府は太政官に対して、浅草寺(浅草公園)、寛永寺(上野公園)、増上寺(芝公園)、富岡八幡宮(深川公園)、飛鳥山(飛鳥山公園)の5カ所を公園として伺い出…

1878年 「公園出稼仮条例」布達

(戊辰戦争時の)上野の戦争で山下(上野山の東側の麓一帯)を追われた諸興行場が奥山にながれこみ、浅草公園の奥山の出店・小屋掛けの総数は250を超えていた。(やむなく、現状を認めるかたちで、)明治11年10月12日に「公園出稼仮条例」が布達され、従来の奥山の門限(午後6時)の延長(午後12時)が規定されたが、これ…

1885年 銘酒屋の誕生

銘酒屋の誕生は、十二階の開場よりも以前に遡る。明治18年(1885年)に奥山の見世物小屋や料理屋が六区へ移されたとき、奥山に8軒の銘酒屋が出現した。この銘酒屋は明治24、5年頃には発展の翼を東京市中へ広げていき、音羽の護国寺、谷中の寺町、深川、本所、本郷の丸山福山町、などに撒き散らされた。これら東京市中…

1890年 凌雲閣(十二階)開場

凌雲閣(十二階)は,明治22年(1889年)10月に建設計画が発表され、十二階は、明治23年(1890年)の4月から7月にかけて上野公園で開催された第三回内国勧業博覧会の遊覧客をあてこんで同年の1月に建設が始められていたが、予定より大幅に遅れて、博覧会が終わってから4か月後の同年11月に、ようやく開場に漕ぎつけ…