京成船橋駅前の飲食店が密集する一画。

以前、このあたりには、ストリップ劇場の「ニュー大宝」がありました。*1

南側から。

建物脇の路地。

京成船橋駅前の飲食店が密集する一画。
以前、このあたりには、ストリップ劇場の「ニュー大宝」がありました。*1
南側から。
建物脇の路地。
京成電鉄船橋競馬場駅の北側。
中華料理「菜来軒」。
テーブル席。
五目炒飯を注文。大型の海老2尾とチャーシューそしてカマボコがトッピングされています。
ららぽーとTOKYO-BAYの南隣。
現在は、物流センターになっている東側に、ゆるやかなカーブを描く道路が南北に通っています。
この曲線は、かつての娯楽施設「船橋ヘルスセンター」のゴールデンビーチがあったあたりです。*1
「船橋ヘルスセンター」は昭和30年、大衆温泉としてオープンしました。 “日本一大きい、日本一面白い、日本一安い、温泉と海と娯楽の大デパート”をテーマに、温泉施設や遊園地、プールに海水浴、劇場、ゴルフ場、ボウリング場、アイススケート場、サーキット場、遊覧船等々、当時の常識では考えられないほど、広大な敷地にさまざまな“娯楽場”がありました。*1
船橋ヘルスセンターの閉園後、スキードームSSAWS(ザウス)がオープンしましたが、現在は、IKEA Tokyo-Bayになっています。
今回は、船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
京成電鉄船橋競馬場駅のプラットフォーム脇に、小さな小屋が建っています。
ブロック塀で作られた小屋の側面に便所煙突が取り付けられています。
便所煙突は、駅の階段脇にももう1基。入口にドアがある小さな小屋です。
啓正式自然回転除風器(便所煙突)は、風車の回転によって、便所などの円筒内部の空気を吸い上げ、外部に放出する装置です。その吸引力は強大ですが、同時に外部から侵入しようとする空気は羽状弁の作用により防止され、逆流することはありません。*1
啓正式自然回転除風器(便所煙突)*1 は、危険物倉庫用ベンチレータ*2 として、現在も製品供給されており、希少なものではありませんが、汲み取り式便所が主流だった昭和の時代の風景※1 を思い出させるものです。
P.156
自然回転除風器
風車の回転によって、外気との接触面に真空域をつ…
P.9
・特に強制換気を必要としないところや外気の流入が
少ないところ、…
湯河原駅近くのY字路にあるレストラン。
洋食の王道をいくメニューが揃っています。
昭和43年の創業以来、メニューを変えることなく、丁寧に、手間ひまかけて作られる洋食です。デミグラスソースは仕込みから約1週間かけてじっくり作ります。オムライスは、銀座で修業したマスターが守り続ける、昔ながらの卵でチキンライスを包むタイプ。*1
オムライスとビールを注文。
昭和43年の創業以来51年に亘って、メニューを変えることなく、丁寧に、手間ひま…
湯河原の「桜山入口」バス亭の近く。
3階建てのスナックと看板建築の建物があります。
2階部分には、紋章風の装飾。
スナック梢。
湯河原の和菓子店の「味楽庵湯河原本店」。
店の前に、人車鉄道の車両(復元)が展示されています。
相人車鉄道は、日本初の人車鉄道で、芥川龍之介の「トロッコ」の舞台にもなりました。当時、人車鉄道は予想以上に人件費がかさんだため、会社は動力化を計画し、同時に軌道もこれまでの610mmから762mmに広げ、軽便鉄道に変身させました。工事の完成は明治40(1907)年でしたが、「トロッコ」はこの改良工事中の話です。*1
車両の内部。3人ずつが向かいあって座る構造です。
湯河原の「見附町」バス停付近。
この坂道を登ったところに、湯河原芸妓屋組合があります。
湯河原芸妓屋組合。
湯河原芸妓屋組合がある場所から坂道を振り返ります。
千歳川にかかる藤木橋から北側の風景。レトロな建物が川沿いに弧を描くように建ちます。
光陽館の旅館としての創業は昭和16年。当時は木造3階建で終戦後傷病兵の世話をする看護婦たちが宿舎として利用していました。昭和43年、温泉観光華やかな時代に現在の建物に改築されました。*1
日帰り入浴ができます。
源泉かけ流しです。
今回は、湯河原(神奈川県足柄下郡湯河原町)の町並みを散歩します。
千歳川沿いの道がJR東海道線をくぐるあたり。
湯河原温泉の看板が見えます。
湯河原温泉の入口であることを知らせる大看板です。
JR東海道線の車窓からもよく見える位置に建っています。
武雄か駅から上総湊駅行きのバスに乗り、「大師口」バス停で下車。南側の坂を登ると、「燈籠坂大師入口」と書かれたトンネルに行きあたります。
トンネルを抜けると右手に見事な素掘りトンネルが現れます。
トンネルの上には、燈籠坂大師堂があり、この切通しトンネルは、大師堂へ続く参道となっています。*1
頭上注意。
上総湊駅から国道沿いに南に向かったところに、昭和レトロな雰囲気が特徴の「ニコニコドライブイン」があります。
店内。
価格は、リーズナブルです。
天ぷら盛り合わせとタンメン、ビールを注文。
上総湊駅で下車した国道沿いにさとみ寿司の看板が見えます。
長屋門のような造りの建物。
さとみ寿し。
房総寿司(1.5人前)とビールを注文。「房総寿司」は地元の魚だけが使われています。
富津市の山間部にある圓鏡寺。石段を登りきったところにお堂があります。
お堂の右手にある石造群。左側に恵比寿様。右側に女性の裸像。
手前には、陰陽石が安置されています。
石棒。
今回は、富津(千葉県富津市)の町並みを散歩します。
東京湾観音は、高さ56mの観音様で、昭和36年に建立されました。*1
観音様の後ろ姿。窓があるので、穴だらけです。
内部にらせん階段があって、頭部まで登ることができます。途中の腕のあたりは、小さな展望スペースになっています。
観音様遠望。
渚町の繁華街にある老舗喫茶店の「田園」。
創業は1959年です(店の看板より)。
クラシカルな雰囲気の店内。
中央には、大きな鯉が泳ぐ池が設置されています。
ナポリタンを注文。
昭和町の理容室の建物のある通り※1 を西へ入ったところ。「ムーラン座」の看板が見えます。
現在は休業中のようです。
入口。
静岡県の資料*1 によると、「ムーラン座」は、興行場として営業していたようです。
熱海駅の南側。昭和町の海よりの一画。
小窓がたくさんある理容室。
建物の角の部分が丸くなっているモダンなデザインです。
壁面のタイル。
竜宮閣※1 では、入浴ができます。入浴料は1,000円です。
こじんまりとした浴室ですが、少しの時間、貸切ることができます。
浴槽の壁面には錦鯉のタイル絵。
裸像。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
駅前の通りを西へ下ってすぐのところにある温泉旅館「竜宮閣」。昔ながらの旅館の佇まいです。
入口。
竜宮閣と書かれた燈籠。燈籠の脇は急な下り階段※1 になっています。
隣には、「三景荘」という旅館があります。
東海道線菊川駅(旧堀の內駅)の南方約400m位の処に、かつて、堀の內遊廓がありました。*1
東西の伸びる道路沿いに、古い建物が残る一画があります。*2
その昔、遊廓付近は茶畑であって、遊廓に遊びに行くことを茶畑に行くと言われていました。*2
配置図*2には、上に「道路」、下に「南」と書かれており、道路側に、南海楼、落合楼。南側に、金波楼、検梅と説明されいるので、この付近の通り沿いが遊廓地だった可能性もあります。
堀の内遊廓は靜岡県堀の内町字堀の內にあつて東海道線堀の內駅で下車し、南方約…
昔の川崎街道は菊川市役所の西側山裾を南下していた。天理教会横はT字路で右に…
今回は、菊川(静岡県菊川市)の町並みを散歩します。
菊川駅の南側。商店街の中に「赤レンガ倉庫」が建っています。
案内板によると、この赤レンガ倉庫は、明治33年(1900年)に建てられた製茶工場の一部、とのこと。
入口。
東側から。
島田市博物館の中庭。
「いたずらがき」と題されたブロンズ像が建っています。
子供たち。
へのへのもへじ。
昔懐かしいおもちゃのコーナーに展示されていた「ママレンジ」。「ママレンジ」は、本物のホットケーキも焼くことができました。
アサヒ玩具の創業は、戦後の昭和23年。昭和44年に業界初の電源を使用し、実際に料理が出来るという「ママレンジ(3900円)」を発売。玩具の歴史に新しいページを加えました。※1
エポック社のゲーム盤。※2
人気マンガ「巨人の星」にヒントを得て、開発された“消える魔球”が搭載された野球盤。打者の手前で球が落ちて消えてしまう魔球を投げることができます。*1
1970年代
オールスター野球盤BM型 魔球装置付き
“消える魔球”登場!
…
旧東海道沿いの大井川近くにある島田市博物館。常設展では、江戸時代後期の大井川の川越しの様子や島田の文化などが紹介されています。
島田出身とも伝えられる遊女、虎御前※1 が考案したともいわれる「島田髷」。※2
日本髪の名称の説明。
「島田髷」の様々な種類が展示されています。
島田駅近くの商店街。
日立の亀の子マークが残る店舗。
「日立チーェンストール」※1 の名を冠した電気店です。
店の上部の亀の子マークの隣には、「ポンパくん」。尾っぽの緑色がわずかに残っているのみで、塗装はほとんど落ちて、真っ白です。
ポンパくんは、日立が製造していたカラーテレビの宣伝マスコットで、昭和45年10月14日から「ポンパ列車」が品川駅を発車、全国を回り主要駅で展示会を開催し、216日間で約2万キロを走行し99万人の観客を動員しました。*1
P.34
昭和45年10月14日、鉄道記念日に合わせて、「ポンパ列車」が品川駅を発…
島田市街の旧東海道沿いの商店街にあるオモチャの「こどもや」。
城郭で見られるような塔のオブジェ。
プラモデル、おもちゃ、ゲーム。
レトロなおもちゃやさんです。
今回は島田(静岡県島田市)の町並みを散歩します。
からくり時計がある「おび通り」のあたりは、旧東海道の宿場の中心で、下本陣があった場所です。
「おび通り」から西へ50m。
ホテル割烹の建物の隣が駐車場となっていますが、このあたりに昔、遊廓の三河屋がありました。*1
島田には、中心街の二丁目の橋本屋と併せ、2軒の遊廓があり、遊女が8・ 9人いました。*1
お堀端通りから小田原城方面に向かった道路沿い。
町中華の「日清亭」。
年季の入った食品サンプル。
オムライスの大盛とビールを注文。
これまで、何度も巨大オムライスにチャレンジしてきましたが※1※2※3、その中でも巨大さでは群を抜いています。
小田原市中町の住宅街。
営業を始めてから約80年になる中嶋湯があります。*1
小田原の銭湯では最後の一軒となりました。
銭湯の側面。
入口のタイル絵。
小田原生まれの小説家の川崎長太郎は、昭和28・9年頃、カフェーや花街を題材にした作品(「抹香町もの」)でブームを巻き起こしました。*1
海岸寄りの場所に文学碑が設置されています。
代表作「抹香町」からの一節(冒頭部分)。
「屋根もぐるりもトタン一式の、吹き降りの日には、寝ている顔に、雨水のかかるような物置小舎に暮らし、いまだに、ビール箱を机代わりに、読んだり書いたりしている。」*2
防潮扉の向こう側は海です。
P.81
昭和13年に小田原へ引き揚げてくると、物置小屋に住み、みかん箱を机に…
P.53
川上竹六も、既に五十歳であった。弟がひとりあるだけで、女房子供なし…
本町2丁目の宮小路の風俗店のある通り。
「飛び出し坊や」の看板が設置されています。
今から50年前の1973年、高度経済成長期にあって子どもの飛び出しによる事故も多発していた状況を心配した滋賀県旧八日市市(現・東近江市)の社会福祉協議会が、「久田工芸」の久田泰平さんに声をかけ、日本初の「飛び出し坊や」が誕生しました。*1
作者の久田泰平(ひさだやすへい)さんのサイン。
浜町2丁目のかつての旅館街※1 の近く。
緑色のトタンの塀。
懐かしい便所煙突。汲み取り式便所が主流だった時代には、よく見られた風景です。
北側の通りから。
かつて、抹香町(まっこうちょう、現在の浜町2丁目)と呼ばれた旅館街。
現在も旅館だった建物が残っています。
こちらは、「石川屋」という屋号の旅館だったようです。*1
抹香町に自然に発生した私娼が昭和初期、移転し、これを俗に新開地といいました。※1
浜町1丁目の通り。
「十王町・抹香町」の石碑が建っています。
江戸時代、東海道に散在していた遊女屋は、明治36年、初音新地※1 に移転しましたが、今まで来やすく遊んでいた人たちの中には重苦しく感じ、遊興費も高かったので、それらの人々のために自然に発生したのが抹香町の私娼でした。昭和初期、新宿のはずれの元ゴミ捨て場であった地域に移転し、これを俗に新開地といいました。*1
川崎長太郎さんの抹香町は、この新開地のことですが、昔ながらの抹香町という名で呼ばれました。芸者などの揚げ代を線香代といいますが(線香をとぼして時間を計ったため)、抹香町とはまことにそれらしい名前です。*1
川崎長太郎さんの抹香町
江戸時代、東海道に散在していた遊女屋は、明治36年…
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原の遊女屋は江戸時代の飯盛女に始まるもので、明治35年まで東海道筋に散在していました。泉鏡花の「熱海の春」(明治35年1月)*1 には、「31日、小田原見物、遊女屋が軒を並べてにぎやかである。」とありますが、明治32年、遊女屋を旧古新宿(こしんしく)の海側の一角の指定地に集めるという措置がとられたばかりで、「熱海の春」が描かれた明治35年には、古新宿にすでに遊廓ができかかっていました。ところが、同9年9月28日、小田原一帯を大津波が襲い、この津波でほとんどできあがっていた遊女屋は跡たかもなく押し流されてしまい、指定地替えが行われ、新玉4丁目の一廓(初音新地)が指定されました。*2
昭和4年発行の「小田原全図」※1 によると、初音新地の北側には川が流れていました。現在は暗きょになっています。
暗きょは西側へ伸びています。写真左側(南側、現在のスポーツプラザ神奈中、旧神奈中ボウル*3)が遊廓があった側。
「初音」の電柱プレート。
P.281 現神奈中ボール、新玉交番のあたり。
三十日*2
初音新地
小田原の遊女屋は江戸時代の飯盛女に始まり、明治35年ま…
西より、金晶、宝来、東海、松本、菊本…参考記事
※1小田原(郷土文化館)小田原を紹介する資料の展示。初音新地。この記事を参照している記事
相模沼田駅近くの交差点の角にある大衆食堂の「てっぺん」。
「お食事処」と書かれた暖簾。
テーブル席が中心です。
海鮮丼を注文。ものすごいボリュームでした。
相模沼田駅の西側にある西念寺。門前に地蔵が建っています。
この地蔵像は、初音新地※1※2 の菊池楼主の次男が関東大震災で命を落としたのを悼み、七回忌に建立されたものです。*1
台座の後ろ側。
「小田原町初音新地菊池楼主」と刻まれています。
P.3
この地蔵像は、安藤政吉の次男が関東大震災で命を落としたのを悼み、父…
今回は、相模沼田(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
伊豆箱根鉄道大雄山線の相模沼田駅。
駅の柵にはレールが使われています。
レールを使った支柱。
反対側の支柱は木製です。
掛川駅前の肴町にある天ぷらの「天金」。
歴史を感じる店内。
サッポロビール赤星。
天丼を注文。天ぷらの盛りが凄いです。
現在の居酒屋の喜楽(もと酒場福八)よりダイモクヤ(もと石山商店、現在は「味蔵」)のあたりには、旧遊廓の建物(二階建ての長屋(46メートル))が建っていました。明治30年代の終わり頃、今の掛川座ができるまでそこにあった遊廓の建物を移転したもので、7,8軒の店があったそうです。*1*2
反対側(北側)
現在は、飲食店が入る商業ビルです。
建物の裏側。
P.33
紺屋町
西側の喜楽(もと酒場福八)よりダイコクヤ(もと石山商店)…
P.8
ダイモクヤ~㐂楽
掛川駅前の紺屋町の通り。
ルパン掛川店。キャバレーのチェーンでしょうか。
地下街入口。
地下街は、閑散としています。
今回は、掛川(静岡県掛川市)の町並みを散歩します。
掛川駅前の大通りに立つブロンズ像。
松田裕康作「陽春」。
ブラウスを着た女性の像です。
彫刻家の松田裕康さんの作品は、掛川市内に数多く設置されています。
「陽春」松田裕康
成田山新勝寺の出世開運稲荷大明神へ向かう参道に連なる玉垣は長大です。角海老寄進の玉垣があった場所※1 から、さらに北へ進んだあたりに、亀戸の城東花柳街が寄進した玉垣があります。
「新きね」は、昭和47年頃に存在した料亭です。*1
亀戸、待合、幇間、とあります。
浅草公園待合。
待合(東京都四谷区)と書かれています。
P.100
城東三業組合事務所(見番)があった建物。現在は、亀戸三丁目自治会…
新勝寺へ向かう商店街にある柳屋ラジオ店。
東芝のマスコットキャラクター「光速エスパー」(こうそくエスパー)の描かれています。
空を飛んでいるエスパー。
店の上部にある東芝のロゴ。
今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
般若通りへの入口のあたりにあるお食事処の「鳥伊勢」。
一番人気は「バクダン梅割り」。
「バクダン梅割り」は、宝焼酎25度のストレートに、梅のエキスを加えたもの。まさにバクダンです。
煮魚定食を注文。
鴨宮駅北口商店街。
御食事処「丸登(まると)食堂」。
ホッピーが飲めます。
丸登チャーハンを注文。チャーハンに八宝菜のような餡が掛かっています。
鴨宮駅は、JR小田原駅の一つ隣の駅です。
駅前に新幹線発祥の地の碑が建っています。
碑の上部には、初代新幹線(0系)の先頭車両。
新幹線の発祥地(鴨宮) [ ヒカリノフルサトカモノミヤ ]という歌もあります。
小田原市街にある「だるま料理店」は、明治26(1893)年創業の日本料理店です。網元であった、金沢出身の達磨(たつま)仁三郎が創業し、だるま大師の縁起にちなみ、屋号をだるま料理店と登録しました。*1
銭湯などで見る「折り上げ格天井」。
天丼とビールを注文。
天丼は、創業から続く名物です。*1
建物は大正12(1923)年の関東大震災により、創業時の主屋は倒壊しましたが、その後再建されました。*1
天王稲荷※1 に建つレトロ電柱。
現在は何も役割を果たしていないと思われますが、電柱だけが残っています。
電柱の中ほどには、何らかのネームプレートが埋め込まれていたと思われる窪みがあります。
支柱の根元部分。穴があいている部分には、電源のスイッチがあったのだと思われます。
浜町2丁目の浜町公民館の裏にある天王稲荷神社。花柳界から信仰がありました。*1
一番手前の大きな玉垣。上部が欠けていますが、「〇音新地」と読み取れます。
松の字の上部が切れていますが、「松本楼」と読み取れます。
松本楼は、小田原案内図(大正2年)に記載があります。*2
芸者さんの名のある玉垣。*1
初音新地は、泉鏡太郎(泉鏡花)の短編小説*3 にも登場します。
この神社は北向きに立っており、地元の人も不思議がっていたが、理由は不明。花…
初音新地。
東から、いろは楼、叶楼、菊本楼、松本楼、東海楼、宝来楼、金昌…
三十日参考記事
この記事を参照している記事
小田原城址の中にある郷土文化館。小田原を紹介する資料が展示されています。
人力車。
低学年用机と椅子。
昭和4年発行の「小田原全図」。初音新地の名が確認できます。
初音新地は、明治三十六年、東海道筋から現在の場所に移転して一廓を成したもので、妓楼は伊呂波楼、加納楼、菊本楼、松本楼、宝来楼、金昌楼の六軒ありました。*1
小田原初音新地は神奈川縣小田原町初音新地にあって、熱海線小田原駅で下車すれ…
小田原城址にある屏風岩こども遊園地。子供向けの乗り物のレールが敷設されています。
江戸時代の絵図に、小田原城の本丸の裏側に「屏風岩」の記載*1 があることから「屏風岩こども遊園地」と名付けられました(案内板より)。
昭和30年頃のこども遊園地(案内板より)。
石垣の上に乗り物が走っています。
今回は、小田原(神奈川県小田原市)の町並みを散歩します。
小田原駅から小田原城址方面へ向かう道の途中にあるJRの小田原保線区。
入口に小便小僧が立っています。
小便小僧の隣には、魚をくわえた鶴。
元気よく水が出ています。
くの字型の路地※1 の近く。
ここにも、疑似三階建ての建物が建っています。
この建物の隣(写真右隣り)には、以前は商家「千笑」※2 がありました。「千笑」の建物が無くなってしまったので、こちらの建物は狭小に見えます。
トタン建築。
中央町のくの字型の路地。
飲食店や料理屋が道の両側に建ち並んでいます。
Barの建物。
こちらから見ると三階建てに見えます。
糸川の南側の中央町のスナック。
建物の角の紋章。
かつての歓楽街の名残を感じる建物です。
「つたや」という屋号を確認できます。
旅館「竜宮閣」脇の階段路地。
急な階段。
下から見ると5階以上ある高層の建物であることが解ります。
「きくや」と読めます。
熱海は坂の多い町です。
ホテルのグランビュー熱海へ下る階段。
坂を下りきったところが三差路になっていて、グランビュー熱海の看板があります。
下から階段を見上げてみます。
湾曲したビル※1 が続く商店街に、美容室の建物が両隣のビルにくっついて建っています。
パーマ。キクチ美容室。
歴史を感じる入口のドア。
ネオン管の看板。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海駅前から南西方向に商店街の坂を下っていきます。
道路のカーブの形状に合わせてレトロなビルが建っています。
昭和39年、東京オリンピック開催のとき、狭かったメインストリーを拡幅するために共同でビルを建てたため、このように湾曲したビルがくっついて建っています。*1
昔ながらのお土産屋さんも健在です。
昭和39年東京オリンピックが開催するにあたって、当時狭かったメインストリーを…
馬橋駅前。
美容室前に、和服を着たマネキン。
マネキンは日章旗を背負っています。
傍らに日本人形。
馬橋駅前にある山長餅菓子店。
昭和39年創業の大福や団子などの昔ながらの和菓子をはじめ、いなりずし、のり巻き、などが自慢のお店です。*1
店内で食べることもできます。
「あんだんご」と「栗まん」を注文。お茶のサービスがあります。
新松戸駅からけやき通りを西へ向かった新松戸中央公園の近く。
「そば処けやき庵」は、昭和53年創業の日本そば店です。*1
重厚な座卓でビールを頂きます。
天ぷら蕎麦を注文。。
今回は、新松戸(千葉県松戸市)の町並みを散歩します。
常磐線の新松戸駅のホームから東側を見ると、「HOTELエクセリーヌ」の看板が見えます。
休憩2600円は破格です。
現在は休業中のようです。
屋上看板。
大井川鉄道の新金谷駅。
近鉄で走っていた特急列車(16000系)が大井川鉄道で活躍中です。この車両は、1966(昭和41)年竣工。2002(平成14)年譲渡され、2004(平成16)年大井川鐵道にて営業運転が開始されました。*1
普通列車なので、特急料金はかかりません。
大代川を渡ると、もうすぐ金谷駅です。
昭和40年代生まれ。大鉄普通電車の代表。
金谷の台地には、大井海軍航空隊があり、金谷町の大井川堤防西側に4軒の遊廓が造られました。*1
大井川堤防西側の金谷東1丁目。
製材所の敷地。
遊廓(軍慰安所)があった場所。*1
金谷遊廓=軍慰安所について
今回は、金谷(静岡県島田市)の町並みを散歩します。
金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあった宿場町です。
文政4年の旅枕五十三次に、「此宿飯盛、島田に同じ、川留の心得もまたおなじ」とある*1 ように、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、賑わいをみせ、飯盛女を置く飯盛旅籠屋もありました。
大井川近くに、「金谷宿川越し場跡」と案内板が建っています。
川越人足は、50人ずつ一番から十番まで組み分けされ、詰めていました。
輦台を担ぐ人足。肩車での川越しもありました。
かつての宿の位置を示す看板が掲げられています。
金谷も「此宿飯盛、島田に同じ、川留の心得もまたおなじ」にある通り。
アタミ・ロープウェイで山頂まで上ると、熱海秘宝館が出迎えてくれます。
熱海秘宝館の何が感動的かと言えば、ボタンを押せばちゃんと展示品が動き出すところで、他の秘宝館とは一線を画し、アミューズメント性が高いことです。*1
入口にある「妖妃マーメイド」は、かつては実際に動き、歌っていました。この歌の前には、マーメイドが「ようこそ秘宝館へ。あなたのいらっしゃるのをずっとお待ちしておりましたわ。」とささやいてくれました。*2
亀の置物。
エロティックな壁画とともに、芸能人のサイン入り色紙が掲示されています。
P.46
熱海秘宝館の何が感動的かと言えば、ボタンを押せばちゃんと展示品が動…
P.138
熱海秘宝館のテーマソングを歌う「妖妃マーメイド」が入館者を出迎え…
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海港近くにアタミロープウェイの山麓駅があります。
駅のあちこちに、「熱海秘宝館」の名が書かれています。
レトロなゴンドラに乗って山頂を目指します。
約3分で到着です。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みを散歩します。
熱海海岸に建つ「貫一お宮の像」。
貫一とお宮の別れの場面が描かれています。
金色夜叉の碑。
尾崎紅葉は、森鴎外と並んで明治を代表する文豪です。金色夜叉が熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れ渡りました(碑文より)。
伊豆長岡駅から東へ約1.5km。世界遺産で国指定史跡の「韮山反射炉」があります。
反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉。韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。*1
鋳台(鋳型)を置く場所。
24ポンドカノン砲。迫力があります。
伊豆長岡の温泉街の北側にある㐂むら。
餃子専門店です。
メニューは餃子(大、中、小)のみ。
ビールと餃子(大)を注文。餃子は、おまんじゅうのような独特の形をしています。
温泉場出逢い通りの北側。
パチンコ後楽園※1 が看板が残る通りを南側へ進むと、円柱型のビルが建っています。
スナックやバーが入居しているビルです。
入口。
健康マッサージと書かれた看板。エステの文字が消されています。
県道伊豆長岡三津線の道路沿い。
スナックが点在しています。
看板建築のスナック。
奥まった場所にあるスナックらしき建物。
温泉場出逢い通りから、県道伊豆長岡三津線を西へ進むと、南へ入る路地があります。
中華「白扇」と書かれた味のある看板。
たからや遊技場。「ボットル」「シャテキ」。
美容院。
今回は、伊豆長岡(静岡県伊豆の国市)の町並みを散歩します。
古奈の西琳寺の前に建つあやめ湯。
看板に「共同湯」と書かれている通り、地元の人々が日常的に利用する公衆浴場です。
絶世の美女「あやめ御前」にちなんで、あやめ小路、あやめ湯と名付けられているのだと思います。
源泉かけ流しの温泉を楽しめます。
浴場の裏側。
今回は、伊豆長岡(静岡県伊豆の国市)の町並みを散歩します。
温泉街から源氏山公園へ向かう登り道の途中に、広場があります。
「菖蒲御前」の像。広場奥の壁面がくり抜かれた場所に安置されています。
あやめ御前の案内板。かなり摩耗しています。
絶世の美女として誉れの高かったあやめ御前は、伊豆長岡の古奈の里におよそ800年前に生まれました。
滑河駅の北口にある椎名食堂。
名物は、利根川天然うなぎの「うな重」「うな丼」です。
最近、うな重は値上げされたようですが、それでも2,500円。ラーメンは350円です。
うな重とビールを注文。
今回は、成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
出世開運稲荷大明神へ向かう参道。
玉垣。
角海老の名があります。
台東区吉原京町と読めます。
富士山駅から西へ200mほどのところにある吉田うどんのふじや。
暖簾には、富士山牛玉印*1 が描かれています。
たくさんの芸能人などが訪れる名店です。
ビールと天ぷらうどんを注文。無料レンコンきんぴらは終わり次第終了です。
富士みち(本町通り)の途中。
金太郎製菓。
軒下に「菓子金太郎」の文字が見えます。
店舗の前面部分に、多数のホーロー看板が掲げられています。
富士吉田の上吉田地区は、富士山信仰の宿坊として発展し、今の御師の家が多く残っています(案内板:「上吉田御師宿坊の町並み」より)。
宿坊の入口には、このような石の門柱が建っています。
御師。
御師の家の中門。風格があります。
小室浅間神社(写真右奥の鳥居)の近く。
古い商店が建ち並びます。
レトロ電柱。
レトロ電柱は、数本並んでいます。
愛人の路地※1 を抜けて、さらに進むと目の前にコンクリートの建物が立ちはだかります。
モダンなデザイン。「フォーエバー」という名の店だったようです。
人魚の絵にSAUNAと書かれています。:
東側から。
新世界乾杯通りのゲート※1 から入り金寿司の脇を通り抜けると、「愛人」の看板。
その向こう側には迷路のような幅の狭い路地がクランク状になって続いています。
エアポート。Barセクシー。
クランク状の路地を反対方向から。
西裏通りを下っていくと、東側に「新世界乾杯通り」の入口の看板があります。
以前の「新世界通り」の看板※1 は、リニューアルされました。
入口看板を入ったすぐのところに建つ3階建ての木造建築。
伝統的な和風建築です。
金寿司。
今回は富士吉田(山梨県富士吉田市)の町並みを散歩します。
本町2丁目商店街からは富士山がよく見えます。
道路上に飛び出して撮影する人が後を絶ちません。
注意看板がたてられています。
本町2丁目交差点の北東側の角は、最も人気の高い撮影スポットになっているようです。ほとんどが外国人です。
本町7丁目の商店街にカラフルな看板建築の商店が連続する一画があります。
バイク関連の店。
店の入口に立つ警察官人形(上半身のみ)。
わずかに、唇の赤色が残っています。
島田市の本町7丁目の商店街。
黄色の事務機と白の美容室。
後ろから見ると、1階建ての看板建築であることが解ります。
駐車場の看板。
蓬莱橋から、北へ向かう通り。
雪印牛乳の牛乳箱。
「牛乳ビンも大切な資源です。お忘れなく受箱へ」
資源のことをコメントしている牛乳箱は珍しいです。
上蓋もきちんとしています。
蓬莱橋は全国有数の茶園である牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。大井川にかかる蓬莱橋は全長897.4mの木造歩道橋で、「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されています。*1
渡橋料は100円です。
橋の中ほど。島田大橋が見えます。
島田大橋から見た蓬莱橋。
今回は、島田(静岡県島田市)の町並みを散歩します。
島田市民病院(写真左奥)の道路を挟んだ向かい側(写真右)に「髪の塚」の碑があります。
「髪の塚」の碑。案内板によると、島田髷に由来するもののようです。
島田髷は、江戸時代寛文年間に東海道島田宿の遊女たちの始めた髪型で、しめつけ島田、やつし島田、投(なげ)島田、小万、腰折、小枝(さえだ)、きりずみ、結び、とりあげ、文金、つぶし、かけおろし、いたこ、吉原など、島田の名を付した髷が、江戸時代全期を通じ行われました。*1
島田髷は、現在ではおもに婚礼の髪型としてその伝統的美しさを継承しています。また、島田市では、島田髷を最初に考案した虎御前への感謝祭髷供養をかねた「島田髷祭」が毎月9月の第三日曜日に開催されます。(案内板より)。
「髪の塚」の碑にあるお地蔵さん。
成田から成田線にのって2駅目の滑河駅前にある大橋屋食堂。
「御休」と書かれた看板。歴史を感じます。
店内は、座敷とテーブルの両方。広くてゆったりとできます。
天丼を注文。
今回は成田(千葉県成田市)の町並みを散歩します。
成田山新勝寺境内にある釈迦堂は、1858建立の国指定重要文化財です。*1
狛犬。
台座には「新吉原」の名が刻まれています。
吉原講。
三島駅の南側。三島市民文化会館の裏あたり。
建物と建物の間にゲートと屋根が設けられています。
飲食店が連なります。
南側のゲート。
三島市街の歓楽街の入口近くに「白雪プラザ」のゲートが建っています。
ゲートの上には、富士山をイメージしたと思われるオブジェがのっています。
白雪プラザの看板。
看板の裏側。
三島市街を流れる桜側沿いに、三島ゆかりの文学者たちの文学碑が並んでいます。
十返舎一九「東海道中膝栗毛」の文学碑。
三島の宿に着いたところで、客引きをする宿場女との会話が描かれています。
三島の宿へつくと、両側よりよびたつる女の声々……
女「お泊りなさいませ、お泊りなさいませ」
弥次「エエ、ひっぱるな、ここを放したら泊まるべい」
女「すんなら、サア、お泊り」
弥次「あかんべい」
正岡子規の旅行記「旅の旅の旅」より。
三島の町に入れば小川に菜を洗う女のさまもややなまめきて見ゆ。
東海道中膝栗毛
三島広小路駅近くにある中華料理の幸華。
店内には、ブルース・リーの写真とヌンチャクを持った武道家のイラスト。
チャーシューメンとビールを注文。
裏口。
三島駅在来線ホームから新幹線ホームへ向かう通路にエスカレータが設置されています。
エスカレータは、途中で平坦(動く歩道)になり、その先で再びエスカレータになっています。
動く歩道とエスカレータが一体化した日本初のエスカレータで、「ゆうロード・三島」と名付けられました。
上から見た「ゆうロード・三島」。