本町からさらに東を行くと海神の住宅地です。車が通れない狭い路地が縦横に走ります。中には自転車が通行するのがやっとの路地もあります。路地から、黒い煙をはく煙突が見えます。
煙突は、路地の先にある銭湯の稲荷湯でした。
稲荷湯の概観。
銭湯の入口の前は広場になっていて、そこに木材が置かれています。
本町からさらに東を行くと海神の住宅地です。車が通れない狭い路地が縦横に走ります。中には自転車が通行するのがやっとの路地もあります。路地から、黒い煙をはく煙突が見えます。
煙突は、路地の先にある銭湯の稲荷湯でした。
稲荷湯の概観。
銭湯の入口の前は広場になっていて、そこに木材が置かれています。
妓楼の建物の前の通り。
普通のコンクリートの電柱に混じって、レトロな電柱が残っています。
根元の部分。
今の電柱と違って、昔の電柱は雰囲気があります。
若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。
木の温もりが感じられる建築です。
奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。
玄関の明かり取り。
船橋市本町の閑静な住宅街。
路上に残るコンクリート製ゴミ箱。保存状態は良好です。
箱の側面には、何か文字が書かれているようです。
住宅街の風景に溶け込んでいます。
スナック街の奥まったところ。スナック店にストリプ劇場の案内板があります。
バスタオル姿の5人の女性と女性達に囲まれて幸せそうなおじさんの写真があります。「踊りの若松劇場へどうぞ。早朝10時より。すぐそこ→。」と書いてあります。
若松劇場。
女の子の写真が掲載されています。
今回は、船橋の町並みと風俗を散歩します。JR船橋駅南口から西へ20分ほど歩いた本町に古くからのスナック街があります。
バルコニーに装飾のある建物。1階がスナックになっています。
古びたスナック。入り口のドアが斜めにへこんでいます。
建物の角に入口があるスナック。
今回は、曳舟~鳩の街の町並みと風俗を散歩します。東武亀戸線に乗って、亀戸から曳舟方面へ向かいます。東武亀戸線は、二両編成の電車です。
氷川神社の参道から西側へ入った住宅街。
銭湯の菊水湯。レトロな銭湯です。
トタン屋根の銭湯。
残念ながら本日は、定休日でした。
後方にある煙突。
ソープランド街の南寄りに路地があります。現在は、路地の両脇に旅館や風俗店はありません。
「北銀座通り」と書かれた街路灯があります。
昔、旅館だった建物。
山口旅館という名前の旅館だったようです。
今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。
大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。
商店街といっても商店はあまり多くありません。
しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。
鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。
家の左側に水色の大きな円柱。
水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。
株は緑色です。
鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。
赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。
赤いタイルの円柱もあります。
黄緑、水色、赤(ピンク)。
水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。
賑わいのある商店街。
2階に物干し台のある商店(写真右)。
木造和風の佇まいの化粧品店。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
京島二丁目の住宅街。道路がS字カーブを描くようにして続いています。
一歩路地へ入ると昭和の空間が残っています。
木製の支柱と裸電球の街路灯。
コンクリート製の支柱に裸電球の街路灯もあります。
蛍光灯の街路灯。支柱は木のままです。
藤沢の風俗街。「小鳥の街(写真左奥)」※1 の建物のある通り。
奇抜なデザインの建物。
めずらしい「湯房」というネーミング。
入口の看板には、「ご入浴料金¥5,000、サービス料金¥2,500」と書かれています。
風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。
豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。
美しい入口の扉。
扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。
小鳥の街※1 の北側は、和風スナックや旅館が建ち並ぶエリアです。
和風スナック店。
仙成旅館。
水色のスナック店。
小鳥の街※1 の北側の奥まった場所。
両側に飲食街が建ち並ぶ一画があります。
和風スナックや小料理店が建ち並びます。
東側の和風スナック。
木造アーチのある飲食街を抜けると、スナック街が現れます。
居酒屋やスナック店が入る建物。ひよ子、せきれい。鳥にちなんだ店名が多いです。
「小鳥の街」と呼ばれているようです。
「小鳥の街」のネオン管
藤沢銀座の「飲食街in」の看板の一つ手前の路地を右手に入ると、木造アーチを持つ飲食街の建物があります。
内側から見たところ。このような空間が藤沢銀座と隣接して残っていることは驚きです。
「まりこ」という店の名前と思われる看板が軒下に残っていました。
裏面は蝶のデザイン。
今回は、藤沢(神奈川県藤沢市)の町並みを散歩します。
木造アーチ手前の細い路地。自動車が通れない道幅なので、犬の散歩などには最適なコースです。
木造アーチ入口の左側の電柱に犬のフン看板があります。ここから、さらに細い路地が続いています。
上の写真の電柱の犬のフン看板の奥に、住民が設置したと思われる「毎日犬のフンをさせにくる人」への「通行を禁ず」の看板があります。
この界隈は、犬のフン看板が多く、あちこちに貼られています。
ホテル「アルファイン」の近くにある狸穴公園。公園に公衆トイレがあります。
「きんかくし」があるのに、「男性用入口は反対側(道路側)にあります。」と書かれています。
「きんかくし」は、親子用トイレの子供用「きんかくし」でした。「この便器は幼児専用です。大人の方はご遠慮下さい。」と書かれています。高級住宅街らしい親切な公衆トイレです。
男性用(大人用)のきんかくしの上に貼ってあった注意書き。落書きの内容がユニークです。
ロシア大使館の裏にSM専用ラブホの「アルファイン」があります。
閑静な高級住宅街に異様な外装でそびえたっています。ホームページを見ると、各部屋に名前がつけられています。狂い十字架、羞恥破壊、拷問地獄、拷縛便器、排泄学園、奴隷市場、診察学園、.....。
表側の入口。不思議な洞窟のようなイメージです。
近くの六本木ヒルズとの対照が印象的です。
六本木から飯倉交差点を過ぎ、ロシア大使館東側の狸穴坂(まみあなざか)を下ります。狸やムササビが住む穴があったと伝わることからこの名前がついています。六本木は以外と坂道が多いところです。小高い丘が多く山の手と呼ばれていることが納得できます。
狸穴坂は、江戸の坂をまとめて書いている天和2年(1682)の「紫の一本」という本に書かれています。*1
明るい坂道を下ります。警備の警察官がいます。江戸時代、この付近は大名屋敷がありましたが、戦後は大使館の敷地に転用されました。
「ホテルアルファイン」と書かれた広告看板が電柱に貼られています。
昭和を感じさせる民家の佇まいがなんとも言えません。ここの電柱にも「ホテルアルファイン」の広告があります。
六本木交差点近くのビル。1階はショットバーですが、2階はSM関係です。
女性のオブジェがあります。
看板をみると、SMショップの店舗のようです。
入口のドアは赤いライトで照らされており、怪しげな雰囲気です。店員は女性です。
六本木交差点から外苑東通りを飯倉片町方面へ進むと、目の前に東京タワーが見えてきます。六本木らしい風景です。が、しかし、手前のビルの屋上に異様な建築物が設置されているのが目に入ります。
近寄ってみると、闘牛の角のようです。
異様な建築物の正体は、ドンキホーテが店舗の屋上に建設中の絶叫マシン「ハーフパイプ」ですが、地元の住民の反対(騒音、安全性)があり、使用されていないようです。
ドンキホーテの裏の六本木墓苑から見たところ。
今回は六本木の風俗を散歩します。六本木の交差点に「奏でる乙女」の像があります。この像の碑文に、昔、この地の小高い丘に六株の松が生えていたことから「六本木」と呼ばれるようになったこと、時代と共に繁栄を極めたが、太平洋戦争の空襲により美しい町並や樹々が一夜のうちに灰に帰したこと、その後の人々の努力により復興を遂げたことなどが書かれています。
「乙女の像」の近くに、ピンクチラシ回収ボックスがあります。
今ではめずらしくなった白ポストです。ピンクチラシ回収用として麻布地区が設置したもののようです。森ビル寄贈と書いてあります。
交差点の4つの角のうち、3箇所に白ポストが設置されています。喫煙コーナーも2箇所設置されており、麻布地区の環境浄化に対する取り組みがうかがえます。
人形町2丁目に末廣神社があります。
末廣神社は400年以上の歴史を持つ神社です。元吉原の総鎮守社として信仰されてきました。
神社に日本酒が奉納されています。末廣酒造という会社があるようです。
吉原移転後は、花街として繁栄したようです。
今回は、人形町(東京都中央区)の町並みを散歩します。
地下鉄の人形町駅を出たところの交差点。
歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んになり、人形町の地名の由来になりました。
歌舞伎で有名な玄冶店跡の碑。
玄治店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐(せがわじょこう)が脚色し、嘉永6年(1853年)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の「源氏店(玄治店)」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。(案内板より)
成田山への近道を下りきったあたりに、ちょっとした広場のような場所があり、そこに旅館の看板を掲げた古い家があります。
裏の路地へ回ると入り口があります。
風情のある木造の古い家です。
狭いが路地が縦横に入り組んでいます。
川崎南町にある銭湯「政の湯」。平凡なビル型銭湯ですが、ソープランド街の中にあるという点は非常に珍しいと思います。隣の隣にソープランド「京都クリスタル」があります。
四角い煙突。
このあたりは、政の湯通りと呼ばれています。銭湯の名前が通りの名前になっています。
脱衣場にタイル貼りの大きな円柱があります。
料亭だったと思われる家。
お茶漬け屋のある緑色の壁。
緑色の壁は路地の奥まで続いています。
赤線跡を歩く*1 に掲載されていた彫りぬかれた屋号の家紋。家紋の部分は消失しています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
川崎南町には組事務所が集中するあたり。裏手の路地を入ると、まるで時間がとまってしまったかのような空間があります。
反対方向から。
小料理「あわじ」。
長屋風の飲み屋。
当時そのままの料理屋やスナックが残っています。
交差点の角に、入口が大きく開いているスナックがあります。入口部分がレンガで作られており、古さを感じます。
こちらも交差点の角にあるスナック。
右側から見たところ。
住宅街の中の一画。
赤線跡を歩く*1 に掲載されている「酒亭かの子」の建物。
同じ通り沿いにある旅館風の建物。
菱型の窓。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.61
赤線跡の特徴を残す建物があります。正面の概観は、4本の円柱と洋瓦で装飾されています。
これほど大規模に残っているのは貴重存在だと思います。
横から見たところ。
1階の入口のところに、屋号の「スエヒロ」の文字が残っています。
大塚駅南口前にあるバッティングセンター。
バッティングセンター脇に、「大塚三業通り」の入口を示す看板が取り付けられています。
大塚駅周辺では、日露戦争頃より高まった大塚駅周辺では、日露戦争頃の都市開発により、三業地要望の声が高まり、大正11(1922)年、巣鴨町字平松(現在の南大塚一丁目付近)の地(山の手線大塚駅前南口を出て線路沿い)に指定挙以下を受けて、大塚三業地がつくられることになりました。*1
現在も花街だった頃の名残の料亭が散在しています。
老舗料亭の「大豊」。現在も営業中です。
風俗店の大看板が乱立する通り。写真は曙町二丁目北交差点。
目立つ看板。
ファッションブティックのような外観。ここもヘルス店です。
ヘルス店の前にあるオブジェ。ぐるぐると回っていて360度いろいろな角度から楽しめますが、やはりこの角度が一番です。目線も刺激的です。
親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。
1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。
緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。
スナックの横は路地になっています。
横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。
それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。
写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。
バルコニー付きの建物。
弥生三丁目付近に古い支柱があります。
左隣に理容室があります。コンクリートが劣化していますが、補修されています。
支柱が立っている場所は、特殊飲食街の雰囲気が残る路地の入り口にあたります。
かつてこの場所に飲食街の入り口を示すアーケードがあったようです。
今回は、横浜曙町の町並みと風俗を散歩します。黄金町からすぐのところに、映画館の日劇があります。昭和30年代から半世紀にわたって親しまれてきた映画館です。
残念ながら、2005年2月に閉館となりました。古い映画や人気のない映画を低価格で2本見れるというコンセプトだったようです。伊勢佐木町周辺の映画館は閉館が相次ぎ、全滅状態です。
シネマスコープの文字が見えます。
隣のシネマジャック&シネマベティ(旧東映名画座)も閉館と聞いていましたが、こちらは営業しているようです。「ゴシック・ロリータ」上映してました。
ヤマギワ電気本店のビルの建設工事現場です。
鉄板の囲いに秋葉原の昔を懐かしむ写真が4枚掲示されています。
昌平橋
ヤッチャバ
電気街の路地に、コスプレ専門店があります。
今年の流行語大賞のトップテンに「萌え~」が受賞し、テレビ放映された受賞式にメイド服の女の子多数見られました。秋葉原には”萌え”の象徴とも言えるコスプレショップがあります。
店の前に貼ってあるポスター。
こちらの店舗はメイド服やセーラー服を中心に品揃えが豊富です。
店の裏側にも看板があります。
電気街の中になるたちばな書店ビル。
このビルの4Fにブルセラショップがあります。
入り口のドアに「中古品ブルマー、夏冬セーラ制服」と書かれています。実際、店内に入ってみると夏用、冬用それぞれ50着ほどの本物の制服が並んでいます。中には学校名が表示されていものもあります。
雑居ビルにあるアダルトショプ。ここにも中古の本物のセーラ服が置いてありましす。
秋葉原の歩行者天国。メイド服を着た女の子がメイド喫茶のチラシを配っています。いつの間にか女の子を撮影する素人カメラマンが集まり、女の子も撮影に応じています。まるで撮影会場のようです。
個人の撮影モデルでしょうか。制服とメイド服の二人組みです。
このように地べたに座るのが秋葉原流?
ドレスを着た女性がいます。新人歌手のキャンペーンのようです。近くに「歩行者天国内での人寄せ行為は禁止されています。」という看板が近くにありますが、いっこうに関係ないようです。
秋葉原駅昭和通り口は、ビデオボックスなどが散在する小規模な歓楽街です。
こちらのビルは、全フロアがほぼ風俗店です。
不倫クラブの看板。
入口の看板。
今回は、秋葉原(東京都)の町並みと風俗を散歩します。
秋葉原と言えばおでん缶です。チチブデンキの前にあります。
おでん缶には種類があります。だいこん入り、つみれ入り、牛すじ入りなどです。完売御礼の張り紙が貼ってあるところを見るとけっこう売れているのかもしれません。
お土産用もあります。
実際に購入してみました。
旧東海道を葬祭場のところから右に曲がると、スナックが並ぶ一角があります。
料理屋の隣に小さな横丁の入口があります。
小町横丁という名前です。おとなのおもちゃの看板があるのがユニークです。
奥は行き止まりです。
堀の内のソープランド街には立て看板が多数あります。稲毛通り沿いのソープランド街入口付近。
国道15号沿いの道路の歩道にも立て同じ立て看板があります。「暴力団追放!路上の客引きに注意」と書かれています。
ソープランド街の中心部の交差点。四つ角のすべてにこの看板。が設置されています。
ソープランド街のあちこちに「客引き禁止」の看板があります。
今回は、川崎(神奈川県川崎市)の町並みと風俗を散歩します。
堀の内のソープランド街に近い宮本町。
旅館と思われる古い建物があります。
古い黒板塀。
1階は居酒屋です。
黄金町駅から西へ少し行ったところに、銭湯の末広湯があります。
裏へ回ってみると、立派な煙突がそびえています。
煙突にぬいぐるみがあります。
入口には福助さんがいます。
かつての黄金町のちょんの間跡は、現在は営業休止の状態です。
大岡川沿いの通り。
大岡川佐倉通りのゲート。
わずかに飲食店として営業している店舗があるようです。
ちょんの間があった日ノ出町の京急高架下では、警察の浄化作戦は継続中です。
通りには、売春防止の看板が多数設置されています。
警備の拠点となっている交番の出張所
エイズ撲滅の看板もあります。
黄金町の京浜急行ガード下は、かつてのちょんの間地帯でしたが、現在は、ガード下に鉄板の囲いがされています。
ガード下の隣の通りでは、営業を続ける小料理屋や居酒屋が建ち並んでいます。
初音町と黄金町。「初黄商店街」と呼ばれていました。
ガード下から1本路地を入ったところの飲み屋。
日ノ出町の東側を流れる大岡川。黄金橋より北の遠望。正面にランドマークタワーがそびえ立っています。
川沿いに京急線が走ります。
春になると花見の名所となる場所です。
左岸には、黄金町の旧歓楽街の名残。
京浜急行線日ノ出駅。
野毛山のトンネルを抜け、電車が駅に入ってきます。
ここの駅の柱は豆タイルで三浦半島の絵が描かれており、レトロな雰囲気です。
他の駅ではこのような豆タイルの装飾はありませんが、日ノ出駅だけに見られます。
橋の近くから煙突が見えます。
銭湯の浅間湯です。
裏側もいい感じです。
しっかりした木造銭湯です。
小さな稲荷神社があります。
正面の石柱に「新天地カフェー組合」と刻まれたプレートが取り付けられています。
玉垣に寄進者のカフェーの名前が刻まれています。
尾張屋橋の登り坂の途中から見たところ。
保土ケ谷区のカフェーとしては、浅間町の「新天地」と和田町の「楽天地」がありました。
売春防止法施行前の1956年の住宅地図2 を見ると、尾張屋橋の麓の稲荷神社の周辺に約20軒のカフェーが密集していて、「新天地カフェー街」の記述(P.72)があります。売春防止法施行後の1958年の住宅地図3 では、これらのカフェーは、旅館やバーに転業しています。
庇の部分は、タイルで装飾されています。
反対側(尾張屋橋側)から。
【参考文献】
*1 青木正晴:和田町思考(青木正晴,1971)P.42
*2 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1956)P.64,P.72
*3 経済地図社:保土ヶ谷区明細地図(経済地図社,1958)P.64
今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。
尾張屋橋の上り口のあたり。
尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。
尾張屋橋から見た住宅街。
中田宿の遊廓は8軒ありましたが、現在はそのうちの1軒のお宅だけがその威容をとどめています。*1
横から見たところ。
雲形の持ち送りのある窓の庇。
右側から見たところ。
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
古河市には、幕末以来という古い遊廓がありました。光了寺の南側に塀で区画された場所があり、昭和初年には、ここに8軒の妓楼が建っていました。*1
中央の通り。
廓の外側を1周できる道があります。
奥まった一画へ続く道。こちらへも塀が続いています。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(2002,筑摩書房)P.178
中田のバス停から10分ほど、北に歩いたところに、光了寺があります。
入口の石柱に静御前の文字があります。
光了寺には、静御前の遺物が保存されています。
静御前の伝説は全国各地に残されています。
利根川を渡ると旧中田宿の町並みが見渡せます。
中田は、江戸時代から続く宿場町でした。
中田のバス停。栗橋駅からは約10分です。
近くには、古い建物が残っています。
八坂神社の中にレトロな電柱があります。
何のためにこの電柱がここにあるのかは不明です。
てっぺんに裸電球がついています。
関所跡。碑は利根川の堤防の近くにあります。
今回は、埼玉県の栗橋を散歩します。
JR宇都宮線の栗橋駅の駅前に、源義経の寵愛を受けた静御前の墓があります。
今年は、NHKの大河ドラマ「源義経」が放映されているので、栗橋は義経ゆかりの地ということになっているのでしょう。大河ドラマ新聞記事があちこちに掲示されています。
石原ひとみの似顔絵?を使った酒屋の広告があります。
商店に貼られている商品券取扱店のポスターにも静御前の肖像が使われています。
幕張本郷駅からバスに乗って約10分のところにある展示場の幕張メッセ。写真はプリンスホテルのエレベータからです。
コンパニオンのショーが始まると、予め陣取っていた客がビデオやデジカメを手にした客が撮影を始めます。
こちらのブースでは、撮影専用のコーナーが設けられており、黒山の人だかり状態です。
車の展示会というよりは、コンパニオン撮影会になっています。
今回は、千葉県幕張を散歩します。
JR幕張本郷駅から徒歩10分の場所。国道をはさんだ南側(写真左側)には家電量販店のコジマがあります。
北側(写真右側)には、奇抜な建物が屹立するラブホテル街があります。
道路は広々しています。
最上階には窓付きの部屋のあるホテル。「海が見えるラブホ」というのがウリのようです。
ときわ通りと劇場通りが交差する交差点の角。交差点の対面にはカラオケのパセラがあります。
ここに新しいタイプの紹介所があります。
1階に居酒屋がある小さな建物の2階が案内所です。
「案内所」と3文字書いてあるだけです。以前は楕円形の看板のところに「Dellys」と書かれていましたが、今はなぜか消されています。
2階には、5店舗のデリヘルの事務所が入っていて、その場で写真を見て女の子を選べます。指定された場所で待ち合わせをするシステムです。
待ち合わせ場所はいくつかあるようですが、いずれもときわ通り近くの場所です。
蔦に覆われた建物があります。この建物は近年まで旅館として使われていました。*1
入口だけが少し見えます。
横に回ってみます。
2階部分。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.90
現在でも原型をとどめている建物。最近、補修されたようですので、まだまだ大丈夫のようです。
軒下にランプがあります。
隣のアパートの3階から見たところ。建物の奥行きに驚かされます。
2階部分。
通りの奥にある建物。正面から。
裏門付近。
隣のアパートから見たところ。奥行きがあり立派です。
真上から見ると建物の大きさが実感できます。
暁橋の手前の交差点から左に折れる道路は、突然道幅が広くなっています。田町遊廓跡の大門通りです。周囲には卸売り業者の倉庫や物流拠点があります。
地図で確認していみると、周囲の道路の幅と比べ、ここの部分だけが幅の広い道路となっていることがよく解ります。
逆方向(西側)から。
工場だったと思われる建物を転用した雑貨のディスカウントストアがありました。八王子はかつて絹織物工業がさかんでしたが、その頃の工場だったのかもしれません。
千住龍田町は、細い路地が迷路のように続く住宅街です。。
物干し竿が残るお宅。
昭和の風景です。
長屋の建物。
千住は銭湯の町なので、今回は銭湯をハシゴすることとしました。2軒目はキング・オブ・銭湯と呼ばれる大黒湯です。立派な宮造り建築です。
屋根の正面には大黒様。
左右には恵比寿様。
入口。
キング・オブ・縁側と呼ばれているタカラ湯へ寄りました。
柴又帝釈天の仏師の作とされる七福神の彫刻は非常に立派なものです。 お風呂の種類は豊富です。個人的には「座風呂」が気に入りました。浴槽の中が椅子の形になっていて、それに座ると足の裏に気泡があたるようになっています。
さすがは、キング・オブ・縁側。本格的な日本庭園です。
池には錦鯉が沢山泳いでいます。
お化け煙突は、解体されましたが、その一部は千寿双葉小学校のすべり台として保存されています。
千寿双葉小学校は平成17年4月に千寿第三小学校と元宿小学校の統合により誕生し、1年間は元宿小校舎(千住桜木町)を使用し、平成18年に千寿第三小跡地(千住大川町)に建つ新校舎に移転する予定です。
運動場の木々の中にすべり台があります。
近くで見ると頑丈そうに見えます。
すべり台の裏にはプレートが取り付けてあり、次のように書かれています。
「四本煙突記念 通称千住のお化け煙突として親しまれてきた東京電力の四本煙突が解体されるにあたり、その一部(下部、直径6m重量約3t、半円分)の寄贈をうけた。これをながく本校にとどめ児童の遊戯施設として設置し記念とする。昭和40年1月」
千住には「お化け煙突」と呼ばれる大きな煙突が町のシンボルとなっていたそうです。千住柳町はお化け煙突の麓にあったわけです。
元宿堤稲荷神社はこの「お化け煙突」の守護社となっている神社です。
正式には「千住4本煙突」と呼ぶそうです。
略記に「4本煙突」の由来が説明されています。
狛犬
千住柳町の赤線跡(遊廓跡)は大門商店街の隣の路地にわずかに残っています。
二軒続きの家があります。
一階の窓に特徴があります。
二階の窓にはひさしがついています。
今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。
お買い物の散歩道。
商店街の脇の路地。
モダンなデザインの建物。
小山駅東口の北側に、「みつわ通り商店街」があります。
古くからある商店街らしく、道は緩やかにカーブを描いています。
左側に曲がったあたりが、商店街の北端です。
「みつわ通り商店街」にあるカラオケパブ。和田アキ子、坂本九など、懐かしさを感じます。
閉園となった小山遊園地は、いずれ取り壊される予定です。
小山遊園地のシンボルの小山タワーがそびえたっています。
ジェットコースター。
観覧車。写真左下奥は、小山温泉「思川」。
キャンプ村。
今回は、小山(栃木県小山市)の町並みを散歩します。
小山遊園地は、「おやまーあれまー」のCMソングで有名です。口ずさむと癖になってやめらなくなります。
入口のエスカレータ。
残念ながら2005年2月に閉園しました。
現在は、スパだけが営業中です。
小山ゆうえんちドットコムに掲載されていたCMソングのおやまゆうえんちの唄の歌詞を抜粋させて頂きます。
1、オヤマーアレマー 小山ゆうえんち
つつじ花咲く恋も咲く
つつじ祭りを見に行こう
オヤマーアレマー
お隣り日光こりゃ結構
小山ヘルスセンター 小山ゆうえんち
(後略)
吉原ソープ街の周囲には、飲食店もあります。
京町通り北側にある飲食店。
隣には、花柳舞踏研究所。
旧赤線の「美津和」の屋号を引きついだ食堂。
吉原の北東側の土手通りにあるつけ麺チェーン。看板には「吉原店」と書かれています。
台東区日本堤にある廿世紀浴場。建物は、昭和初期に流行したアール・デコ様式を取り入れた建築様式です。
正面入り口の両側のアーチ型窓の曲線は、アール・デコの特徴を残しています。
モダンな文字で、描かれた「廿世紀浴場」
銭湯の後ろ側。老朽化が進んでいます。
ソープランド街の三ノ輪側に銭湯の一葉泉があります。この付近は、樋口一葉ゆかりの地であるため、一葉にちなんでなづけられたのでしょう。
おせんべ屋の一葉煎餅というのもあります。
入口にある見事なペンキ絵。陸中海岸と書かれています。
一葉泉の文字。
脱衣場に入ります。柱時計が時をきざんでいます。
角町二丁目に赤線跡の建物があります。表通りはソープランド街です。
路地の十字路の角にあります。
外壁の装飾が独特です。
軒下にランプがあります。
ソープランド街の中には、旅館もあります。ソープランド「ワールド」の近くにある旅館。雰囲気があります。
正面から見るとかなり大きな立派な建物であることがわかります。
堺町の通りから旅館の側面を見たところ。
入口にあった吉原観光旅館組合員のプレート。
伏見通りは、古い建物が多く残る通りです。
赤茶色が印象的な建物があります。
正面上部には、「マスミ」という屋号が大きく書かれています。
「マスミ」は吉原今昔図*1 にも記載されています。
【参考記事】
*1 吉原神社の吉原今昔図(風俗散歩,2005.9)
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原のソープランド街には、ソープランドの建物以外に、住民のアパートと思われる建物が混在しています。
京町一丁目のソープランド「ヴィナス」の裏手にあるアパート。「ヴィナス」の建物(写真右側の白い建物)にピッタリとくっついて建っています。
「ヴィナス」の裏手の奥まったところにあるピンク色のアパート。
円形のデザインが特徴です。
変わった形のバルコニーのアパート。
現在は住宅街となっている通り。
古いバーの建物があります。
ニューボン。
入口には、ピンクのタイルの装飾があります。
洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。
建物には、屋号が外壁に残っています。
現在は、共産党の事務所として使用されています。
タイルで装飾された大型の丸い円柱。
弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。
通りに入って横から見たところ。
青いタイルが綺麗です。
この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。
洲崎橋の入り口にあたる交差点の角のそば屋の「花村」は、昔からあるそば屋だそうです。ショーウィンドウには当時の洲崎の写真が掲げられています。
ショーウィンドウ
昔の洲崎の写真。(上の写真の拡大)
現在の写真です。
今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
木場駅からすぐのところに洲崎神社があります。
弁天池
洲崎神社に隣接する児童公園に書かれていた絵。当時の洲崎を伝える絵です。
洲崎神社の隣の区民会館のところにある掲示板。江戸時代は洲崎神社は海岸に面していたそうです。
洲崎という地名はほとんど残っていません。洲崎神社、洲崎郵便局、そしてこの洲崎緑道公園です。洲崎緑道公園は、洲崎に遊廓があったころの堀(洲崎川)を埋め立てて公園としたものです。
大門通りと公園が交差するあたり。
「洲崎パラダイス」のアーチがあった旧洲崎橋は大門通りと洲崎緑道公園が交差するあたりです。
この場所に「洲崎橋跡地」の碑があります。
洲崎緑道公園は堀を埋めたたて出来た公園であるため、細長い形をしています。歩行者用の道と自転車用の道が分かれているのが特徴です。
かつての歓楽街「田んぼ」があった通り(南西側から)。
古い建物が残っています。
駐車場側から。
別の棟。立ち入り禁止のテープが貼られています。
町田の通称「田んぼ」と言われるちょんの間地帯が壊滅状態と聞き、立ち寄ってみました。 ここがちょんの間のある通りです。
ちょんの間のあったプレハブの建物は、入口に黄色のテープとベニア板が張られ、閉鎖されています。
もう1軒あったプレハブの建物。こちらはつい数年前な営業していた記憶がありますが、閉鎖されています。建物の内部には窓ガラスが散乱していました。すでに廃墟と化しています。
この建物は、反対側の通り沿いのコンビニのあたりからも駐車場を隔てて見ることができます。
今回は、町田(東京都町田市)の町並みを散歩します。
町田駅の南西側。境川を渡ったすぐの場所(神奈川県上鶴間本町)には、かつて「田んぼ」と呼ばれた歓楽街がありました。
最近、この付近は浄化され、警察署の出張所もできています。
かつての名残の建物も残っています(写真左奥)。
付近には「貸ルーム」と呼ばれる店舗もあります。
吉原弁財天のすぐ近くに吉原神社があります。
境内には、「吉原今昔図」が掲示されています。
明治時代から現在に至るまでの、妓楼の配置が描かれています。
吉原遊廓の写真や地図、解説もあります。