佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。

現在は、休業中です。

写真左奥は、観光スポットの町並みです。

建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。

佐原の小野川沿いは、小江戸の風情を感じる町並みが残り、観光客にも人気のあるスポットです。その中で、3階の「カメラの三越」が異彩を放っています。
現在は、休業中です。
写真左奥は、観光スポットの町並みです。
建物の左上に取り付けられている看板。
天体望遠鏡や双眼鏡は、当時の主力商品だったようです。
佐原市街の東薫酒造の工場(写真左側)の西側の通り。
通りのつきあたりに、古風な理容室があります。
1階部分は水色。窓枠は白く塗られています。
地元の方の話によると、かつて、この通りの先には、花柳界の見番がありました(「駅前の看板に書かれていた二業組合とは、時代が異なるのでは」との話)。
佐原市街にある金平湯。
住宅街の中にあります。
現在は、「まちぐるみ博物館」として利用されています。
鮮やかな青色のタイル
京成成田駅前。写真奥は、開運橋(歩行者専用で、前後が階段)です。
居酒屋大ちゃん。
価格もお手ごろです。
もつ煮込みとやきとり、ビールを注文。
JR下総中山駅の東側にあるビル銭湯(写真左奥が総武線の高架です)。
天然鉱泉「滝の湯」。
総武線の車窓からも見える滝の湯の煙突。
建物の北側の通り。
JR下総中山駅南口から100mの場所にある桔梗湯。
まるで、高級クラブのような佇まいです。
残念ながら、つい先日閉店したとのことです。
桔梗の紋。
西船橋駅前にあるホルモン酒場の「フナバシ屋」。
昭和27年の創業です。
居心地の良い店内。
焼き鳥7本盛りと日本酒を注文。
今回は、西船橋(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。西船橋駅前の通りは、予備校の大きなビル、大型の娯楽ビル※1(写真左側)など多彩な顔ぶれです。
交差点の角を曲がったところ。雀荘が入っている雑居ビル※2です。最近は女流棋士が増えているようです。
店の前に多数の写真が張り出されています。
3が雀荘、4Fが風俗店受付です。
国道14号線沿いにある銭湯の紅梅湯。
大型の建物に高い煙突が特徴です。
入口。
隣には、マンションの建物(写真左上)が迫っています。
京成船橋駅近くの商店街(写真左奥に見えるのは京成線のガード)。このあたりまでくると人通りが多くなります。
渋い外観に圧倒されます。
奇跡的に残っている昭和の風景です。
親子丼とビールを注文。
船橋市の海老川沿いの住宅街。このあたりは、道幅の狭い昔ながらの路地が残っています。
立派な門構えの家。
木が生い茂る中に残る「旅館妙泉」の看板。
裏口付近。
船橋駅の東(京成大神宮下駅近く)にあるビル銭湯の宮の湯。
片持ちの外階段を持つ3階建てのビルです。
1階に、コインランドリーが併設されています。
宮の湯の煙突。
ホテル「白川郷」(写真左手前)の並びにある三経82ビル。
一見普通のビルに見えますが、アメリカで出版されたポストモダン建築の本の表紙を飾りました。*1
1階には、飲食店が入っています。ビル脇に2階(ホストクラブ)へあがる階段があります。
三経82ビルから北へ約30mにある三経75ビル。頂上部分が特徴的な形状です。
ホストクラブなどの風俗店が入居しています。
歌舞伎町の北側にある新宿「バッティングセンター」。
1978年に開業しました。*1
入口。
長嶋茂雄と思われる絵看板。
最近は、ストレス発散の場として利用されているようです。
JR総武本線の東千葉駅から、約100m。「東千葉入口」交差点のとろこに、銭湯の喜代の湯があります。千葉市近郊では、数少ないレトロ銭湯です。
入口脇にはコインランドリーが併設されています。
隣接する駐車場からの遠望。
煙突。
千葉市中央区の繁華街。この辺りは、かつて蓮池花街だったところです。
老舗の蕎麦店。
蓮池の提灯が似合います。
名物の箱蕎麦を注文。
西池袋に建つロサ会館は、昭和43年に竣工した娯楽ビルです。*1
ロサはスペイン語で「薔薇」という意味です。*1
開業当初、1階にゲームセンター、5階までほぼ飲食店で埋まり、6階と7階に池袋ロサボウルが運営されました。*1
開業当時、四階以下は亀甲型のアルキャストパネルを使用し、ゴールド・シルバー・アイボリー系を主調とし、娯楽センターにふさわしい派手さと豪華さを表現しました。その後、1989年、ロサンゼルスのピンク色の建物に感銘を受けた現社長の伊部季顕が、ピンク色に染めようと発想し、現在に至っています。*1
池袋駅北口前の2階に珈琲「伯爵」が入るビル。
地下1階に24時間営業の居酒屋があります。3杯券、5杯券など、とにかく飲み物が安いのが特徴です。
えだまめ250円など、つまみも安価です。
食券を買って、それにテーブル番号を書いて注文カウンターへ持っていくのがルールです。
ホッピーセットと枝豆、そして、人気メニューのかけそば(200円)を頂きました。
浅草橋駅北側の路地。閑静な住宅街です。
老舗の女装サロン「エリザベス」。
ビルの外観。
営業中の看板。
銀座2丁目の並木通りにある細い路地の突き当りに、名店「三州屋銀座店」があります。奥まった場所にあるから昼から呑むには都合がいいそうです。*1
1968年創業の老舗割烹です。*1
名物は鳥豆腐、カキフライなど。*1
店の入口から、路地を振り返ったところ。
1963年開業の三愛ドリームセンターは、現在も銀座のランドマークとして君臨しています。
2階の喫茶店の窓際席からは、銀座の景色を楽しめます。
3階のビルからは下着姿の女性が交差点を見下ろしています。
2階の喫茶店からの眺める銀座の風景。
東京駅八重洲地下街にあるカレー店。
店内の張り紙によると、今年で開業50周年だそうです。
東京駅で290円は驚愕です。
人気No.1はチキンカツカレーだそうです。
チキンカツカレーを注文。
スプーンは、昔の学校給食ではお馴染みの、先端がフォーク状になっている先割れスプーンです。
大勝軒※1 の向かい側。同じく戦前の建物の「鳥萬」があります。
食料品の店舗だったようです。
鳥萬の文字。
4階建てのように見える3階建て。
日本橋本町一丁目に残る中華料理店の建物。
昭和32年の建築です。
建物の側面。一面が緑色のタイルで覆われています。
鮮やかな青いタイルで装飾された「大勝軒」の文字。
1階部分は洋風の雰囲気です。
国旗掲揚塔※1 のある通りを南へ進んだ四つ角にある下宿屋の日本館。昭和11年に始まった学生向けの下宿屋です。
玄関。
部屋数は約30室。
穴あきブロック塀の下に、穴あき状に石材を平積みした構造。
早稲田通り沿いにある老舗蕎麦店。ここも2階は学生ローン※1 です。
蕎麦だけでなく、丼ものも充実しています。
店内には早稲田の旗。昭和15年頃まで早慶戦で早稲田が勝つと、商店街に掲げられたそうです。
うな丼セット(980円)と日本酒を注文。
新小岩駅の北。駅前の繁華街からは離れた住宅街に銭湯の千代の湯があります。
シンプルな外観。
レトロな銭湯でありながら、ハイカラな感じの銭湯です。
浴室の背景は、常夏の海をイメージした海岸の絵。天井は、水色、グリーン、肌色の3色模様、と独特の雰囲気です。
コインランドリーが併設。
八重洲一丁目の繁華街。
ビルの谷間の木々が生い茂る中に、理容室のサインポールだけが置き去りになっています。
隣は雀荘が密集する路地。※1
現在、1階は喫茶店ですが、以前は理容室だったのかもしれません。
日本橋は、近隣にオフィス街が多いためでしょうか。とにかく雀荘の多さは群を抜いています。
レトロな看板。
空卓/満卓の看板。ホテルのようです。
狭い路地の奥にある麻雀クラブ。
JR小岩駅から北へ徒歩約10分。昔ながらの銭湯の吉野湯があります。
南側の駐車場から見た建物。
入口。
脱衣場の格子天井。立派です。
小岩駅裏の商店街の「立ち立呑み処くら」。
大きな看板が目を引きます。
つまみは、100円から350円まで、50円刻みです。
まぐろ刺(300円)とビールを注文(1枚50円のチケットを購入するのがルールです。)。
小岩駅南口の商店街「フラワーロード」を南下し五差路を左に折れます。
電柱には「日活」の文字。
かつて、この場所には、日活の映画館がありました。1968年頃までは、日活の名を冠し、その後はスカラ座と改名しました。
南小岩コミュニティ会館、全景
今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
JR小岩駅改札口にある栃錦像。昭和の大横綱です。
右手や両膝の内側あたりは、多くの人に触されて金色に輝いています。
お尻もピカピカです。
乳首も。
千住5丁目にある銭湯の梅の湯(現在は廃業)。
かつては、昭和初期の建築で、外観、脱衣場をほぼ新築時の姿のまま残す貴重な銭湯でした。*1
オゾン浴泉
北側見た建物の外観と煙突。
南側の駐車場から。
北千住駅前から宿場町通り(旧日光街道)を北へ300mほど進んだあたり。
老舗蕎麦店の「中川屋本店」。
店内には、メニューの張り紙がぎっしり。蕎麦屋なのに、なべ焼きうどんのメニューが目立っています(写真、左側)。
もつ鍋うどんと日本酒を注文。
西小岩の武蔵湯。総武線の車窓からも見える銭湯です。
美しい煙突。
入口にはタイル絵。
最近、内装リニューアルされたらしく、床やロッカーは綺麗で快適です。
廃材置き場。
京成曳舟駅の南側。京島西公園の隣の交差点の角に、雰囲気のいい蕎麦屋さんがあります。
レトロな佇まいです。
蕎麦、丼が中心です。
かつ丼とビールを注文。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
入口のシャッターには、富士山の絵。
お湯は木材で沸かしているようです。
煙突。
向嶋墨堤組合のある見番通り沿いにある老舗喫茶店の「マリーナ」。
ランチタイムはマリーナ丼がオススメだそうです。
レトロな店内。
オムライスを注文。
言問小学校前の通りに、成島柳北と依田学海の住居跡の案内板があります。
成島柳北(なるしまりゅほく)は、1859年(安政6年)に、「柳橋新誌」を執筆、柳橋(現在の台東区)の花柳界の変遷を描きました。
依田学海は、森鴎外の小説「ヰタ・セクスアリス」に登場する文淵先生のモデルです。
「ヰタ・セクスアリス」では、若い妾と幸せな日々と送っていたことが描かれています。*1
四谷大木戸跡の近くの新宿通り沿い。
老舗寿司店の「三ます」。
創業は、明治43年(1910年)です。
握り寿司(竹すし)と日本酒(菊正宗)を注文、
浅草の浅草寺の東隣にある旅館「一富士」。
落ち着いた佇まいの和風旅館です。
白い塀に、一富士の看板。
一富士旅館。
西五反田の住宅街。写真の左手は小学校の運動場です。
見事な破風の屋根の外観。大型の建物です。内部は天井が高く開放感があります。風呂桶が木製であることも魅力の一つです。
昔ながらの銭湯です。
短く太い煙突。
五反田駅前のL字型の路地。※1
昭和25年創業の老舗洋食レストランです。*1
飲食店が建ち並ぶ路地に建つ蔦の絡まる建物。
建物の1階部分はレンガ造り。
ハヤシライスを注文。デミグラスソースの有名店だけあって、味は絶品です。
目黒不動尊の南側に、風情のある店舗が連なる「目黒不動商店街」があります。
店舗の前には、懐かしい遊具が設置されています。
郵便バイク。
黄色の新幹線(ドクターイエロー)。
今回は、目黒(東京都目黒区)の町並みを散歩します。
目黒不動尊へと向かうゆるやかな坂道の途中。狭小の商業ビルが建っています。
老舗の「とんかつ八千代」。
風情のある落ち着いた店内。
かつ丼を頂きました。
足立区千住柳町にある銭湯の金の湯。
外観は、近代的銭湯のように見えますが、内部は昔ながらの銭湯です。
玄関の傘立て。
真っ白の煙突。「金の湯」の文字が目立ちます。
今回は、北千住(東京都足立区)の町並みを散歩します。
千住大門商店街は、昔ながらの風情の残る商店街です。
古びた寿司店があります。
ランチは、11:30からラストまで。海鮮丼は600円です。
海鮮丼とビールを注文。味は絶品でした。
西小山商店街の西側。交差点の角にある果物屋さんの「フルーツパーラーたなか」。
小売店の隣にフルーツパーラーが併設されています。
レトロな入口のドア。
フルーツポインチを頂きました。
西小山駅南東側の商店街。スーパーサミットの前にある東京浴場。
ビル型の銭湯ですが、レトロな雰囲気を出しています。
白い四角い煙突。
ビルはマンション兼ねている大きな建物です。
中野区弥生町の住宅地にある清春湯。
建物は、重厚な造りです。
煙突には、温泉マークのみ。シンプルです。
破風の部分にも温泉マーク
王子駅前の北本通りの商店街(王子銀座)。王子のシンボル、スーパー「ほりぶん」です。
先代の名前が堀文文吾(二代目の堀文文嘉さん)も「ほりぶん」が名前の由来です。もともと肉の卸・小売りからスタートしました。*1
王子銀座。
黄色の目立つ外観です。
品川には、看板建築の建物がわずかに残っています。
こちらの建物は、1階が飲食店としてリニューアルされています。
旧東海道沿いの金物店。
2階の上下に銅板の装飾。中央部分は茶色のタイル。斬新なデザインです。
池上本門寺の大堂の裏側を横切る坂道(紅葉坂)をさらに東を進むと、高台に池上本門寺の墓地があります。ここには古今東西の多数の有名人が眠ります。
力道山は、戦後、まだテレビが普及段階だった頃のヒーローです。
力道山は、昭和25年(1950)、親方との感情のもつれが原因で大相撲の関脇を廃業。新田新作(新田建設社長のちの明治座社長)※1 のもとで働きますが、同年の秋、銀座ナイトクラブ「銀馬車」でハロルド坂田と出会ったことをきっかにプロレスに転身しました。*1
1963年12月8日、赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」大日本興行(現住吉一家小林会)の組員であった村田勝志と口論になり、村田に登山ナイフで腹部を刺され、これが原因で悪化。12月15日に化膿性腹膜炎で死去しました。*2
「玉ひで」など老舗料理店が並ぶ通り沿いに建つ洋食屋の「小春軒」は創業100年の老舗です。*1
小春軒は、築地精養軒のコック見習いを振り出しに西洋料理の修行をし、明治の元勲山県有朋のお抱え料理人となった小島種三郎が創業した洋食店です。「芸者さんが多い街はハイカラなものが流行る」と聞き、日本橋人形町に開業したそうです。*1
四代にわたって続くこだわりは「作り置きをせず、できたてを食べていただくこと」。店のモットーは「気取らず美味しく」。*1
海老フライとビールを注文。
大井町の東小路飲食店街にある老舗洋食屋の「ブルドック」。
芸能人も数多く訪れています。
店構えは、洋食店の雰囲気。
オムライスの大盛とビール(中瓶)を注文。ものすごいボリュームでした。
蒲田駅前の東急プラザ蒲田店には、屋上遊園地があります。
蒲田に屋上遊園地が出来たのは1968年。開園当初から観覧車が営業していました。その後2014年に、「かまたえん」としてリニューアルオープンしました(案内板より)。
観覧車からの眺め。以前と比べ遊具が少なくなりましたが、蒲田の憩いの場として営業中です。
観覧車の頂上付近からの遠望。
吉原の土手通り。
いろは会商店街の入口付近に、数年前、あしたのジョー像が設置されました。
顔には絆創膏。
ライバルの力石が見せた「両手ぶらり戦法」は衝撃的でした。
千束3丁目にある名物カツ専門店。
昭和の洋食店の雰囲気です。
店内には、先代がホテルの料理人だった頃GHQから頂いた手紙が展示されています(写真上部)。
とんかつライスを注文。
今回は、入谷~吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
入谷一丁目にある太田ハム。地元の有名企業です。
看板には、「HAMBACON&SAUSAGE」と書かれています。
太田ハムの看板。
隣には、肉の石川。
国道14号線(千葉街道)沿いの歩道にある「鷺沼温泉」。
昭和4年から80年間営業している銭湯です。
映画のセットでも見ているかのような脱衣場。
浴場は、さらにレトロです。
銭湯の裏側。地元の方の話によると、昔は重油で沸かしていたが、最近は供給が多い廃材で沸かしているとのことです。
根岸柳通りは、古い町並みが残る商店街です。
商業ビル※1 の対面に残る看板建築の建物。
1階は美容室。
ドア横にある凝った意匠の小窓。
根岸柳通りにある商業ビル。1階が店舗で2階が居住部分です。中央には、「婦人倶楽部」の看板のある商店。「婦人倶楽部」戦前・戦後を通じて発刊された婦人雑誌です。
女のよろこび・・・・・妻のしあわせ
建物の紋章。スッポンのように見えます。
建物の裏側、表側は、複数の店舗が一体感のある商業ビルに見えますが、裏側の構造は複雑です。
言問い通りから北へ入ったところに建つ洋館の建物。旧陸奥宗光邸です。陸奥宗光は、明治時代に活躍した外交官です。
陸奥宗光は、坂本龍馬、伊藤俊輔(伊藤博文)などと交友を持つ頃から、花柳界にも名を震わし、大阪の判事にとばった頃、堀江の唄女を正妻としました。神奈川県知事となった頃、正妻が死没し、亮子夫人が後妻となりました。亮子は、元新橋の名妓「小兼」で、板垣退助に愛された「小清」と並んで新橋の双美人と称されていました。*1
この屋敷は、陸奥宗光が1884年から1886年のロンドン留学中、「鹿鳴館の華」と称された妻の亮子夫人とその子供たちが暮らしました。(案内板より)
陸奥宗光と亮子夫人。(案内板より)
鶯谷の居酒屋「鍵屋」は、江戸時代創業の居酒屋です。明治時代の建物は、江戸東京建物園に移築保存されています。※1
黒板塀に鍵屋の徳利。
熱燗を頂きました。
鍵屋の暖簾。
三沢市中央町の歓楽街近くにある第一食堂
1軒屋の大衆食堂です。
なべやきうどん、ラーメン、丼もの、カレーが中心です。
なべ焼きうどんとビールを注文。
十和田観光電鉄線三沢駅の駅舎の中では、駅そばが営業中です。
十和田駅※1 と同じ、スペシャルそばがお勧めです。
味付けこんにゃく(50円)は、三沢駅のオリジナルメニューでしょうか。
スペシャルそば(天ぷら、山菜、月見)とビールを注文。さらに、味付けこんにゃくを注文。ビールのつまみに、山菜と味付けこんにゃくが良く合います。
今回は、三沢(青森県三沢市)の町並みを散歩します。
青い森鉄道線三沢駅の西側に、2012年に廃線となった十和田観光電鉄線の三沢駅の駅舎が残っています。
北側の入口。
現在も残る切符売り場
現在は、使われていないプラットホーム。
北野辺地駅へ向かう道路の途中にある若葉温泉。
温泉地が多い青森県の大衆浴場です。
昭和の雰囲気を満喫できます。
煙突。
野辺地町助佐小路の交差点にレトロな美容室があります。
交差点の角に建っています。
隣の建物と繋がっていて、長屋の構造になっているようです。
ショーウィンドウ。
大万旅館のある旧金沢町の旅館街。*1※1
木造建築の旅館がもう一軒あります。
旅館「福よし」。
1階部分は、洋風の佇まいです。
建物は、L字型に連なっていて、かなり大型です。
今回は、野辺地(のへじ、青森県上北郡)の町並みを散歩します。
野辺地の中心街は、駅からは1km近く北東へ向かった、かつて本町と呼ばれたエリアですが、野辺地駅前にも小規模な商店街があります。
ラーメンと丼物、定食が中心です。
駅前のさかもと食堂。
薬草茶「カワラケツメイ」を麺に練り込んだ「のへじ北前ラーメン」を注文。
神田小川町の靖国通りから南へ入ったところにある「みますや」。創業は、明治38年、現存する東京の居酒屋では最古といわれています。看板建築の建物は、昭和3年のたてものです。*1
昭和の雰囲気が残る店内。
昼間はランチ営業です。ごはんの大盛(100円)は、ものすごいボリュームです。
夜になると、居酒屋の営業が始まります。
神田小川町2丁目のビル街。写真右手前は、以前のビルが取り壊され、建て替え予定となっている更地です。
更地の隣の3階建てのビル。正面から見ると2階建てのように見える点は、看板建築の特徴を有しています。
更地の方向から見た建物の側面。
少しだけ3階部分が垣間見えます。
神田多町2丁目にある「栄屋ミルクホール」。銅板葺きの看板建築です。
創業は、昭和20年。*1
ラーメン。
カレーラーメンを頂きました。
神田多町周辺は、神田川と日本橋川まれ、この2つの川の水運により食料も集まりやすうい立地から「やっちゃば」と呼ばれる青物市場ができきました。「越後屋」は創業明治末。市場で買った荷物を揃え、配送する権利を持っていました。*1
正面部分のみ銅板が貼られています。
建物の奥を見ると、3階建てであることがわかります。
逆方向から。
JR駒込駅北口から霜降橋交差点へ向かう道路の途中。
喫茶店のショーウィンドウが目に留まります。
昭和レトロな喫茶店です。
サンドイッチセットを注文。
神保町の靖国通り沿いにある「スマトラカレー」は、大正13年創業の老舗カレー店です。*1
明治の末、広く東南アジアに遊び知見を広めた伊藤友治郎氏より、スマトラ島のカレー の作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジしたのが、共栄堂のカレーです。※1
ポークカレーとビールを注文。
デザートの焼きリンゴ。
リンゴは紅玉。10月から4月までの限定メニューです。*2
今回は、神保町の町並みを散歩します。
神保町シアターは、古い邦画を中心に、上映している映画館です。
今月は、「女たちの街」と題し、色街、花街、ネオン街の名作17作が上映されています。
今回、鑑賞したのは、「赤坂の姉妹 夜の肌」川島雄三監督の昭和35年の作品です。
館内の壁面。
日本橋小網町の首都高速江戸橋ジャンクション近く。閑静なビル街の中に佇む芸術的な看板建築。
桃乳舎。
上部には、桃のマーク。
カレーライスを注文。
人形町交差点。地下鉄の入口のすぐ隣にある洋食店の「キラク」は、1951年開業の老舗です。*1
年季の入ったキラクの看板と暖簾。
一番人気のビーフカツ。*1(これだけで2,600円もします。)
今回は、ハンバーグとビールを注文。
マカロニサラダと千切りキャベツ、パセリが添えてあるのは、昔と変わっていません。*1
大塚駅北口から都電荒川線の庚申塚駅方面へ向かう道の途中。
昭和の雰囲気が漂う大衆食堂の「天平食堂」。
看板メニューはうなぎ蒲焼です。
野菜いため定食とビールを注文。
大塚駅南口。サンモール商店街を進み、天祖神社のさらに先にビル銭湯の記念湯があります。マンションの1階が銭湯の入口です。
シンプルな記念湯の看板。
脱衣場の天井には宇宙の絵が描かれています。
玄関マットにも宇宙の絵。
今回は、錦糸町(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
錦糸町駅の北口の駅前ロータりーから道を1本入ったところ、繁華街の中に旅館の建物があります。建物の屋上には、旅館「草分け」のネオン看板。
1階に焼き鳥やが入る交差点の角の建物の西側の建物が、旅館「草分」けだったのでしょうか。
旅館草分。
1階の焼き鳥屋は、現在も営業中です。
月島西仲通り商店街※1 の北側に位置する佃島は、関東大震災にも第二次世界大戦にも被害を免れた。昔ながらの下町の面影を残す地域です。*1
佃小橋から大きな煙突付きマンションが見えます。
近くには「つり船」の店。
ビルの1階が銭湯です。
大栄マンションの東側は堀(佃川支川)です。
築地7丁目のアパホテルのある通り。
純和風の旅館があります。
周囲は、高層ビルが建ちち並びます。
丸い竹に書かれた「旅館大宗」
築地市場の東側。築地6丁目、7丁目付近には、看板建築が多く残っています。
こちらの商店だったと思われる建物は、正面から見ると2階建てです。
背面から見ると、屋根裏部屋部分*1 は、3階建て部分であることがわかります。
こちらも正面は2階建て、横から見ると3階建てです。
三角屋根部分が3階部分になっている食品会社の建物。
亀戸の旧赤線区域。特殊喫茶店「大福」があった場所に建つ蕎麦屋の建物。
3階建てだと思いますが、4階建てにも見えます。
1階は、蕎麦屋さん。
ざる蕎麦を注文しました。
JR御茶ノ水駅の北側の外堀通り。神田川沿いに建ち並ぶ4階建ての建物※1 の裏側にあたります。
「玉台家具製作所」の木製の文字看板。昔は、ビリヤード台のことを「玉台」呼んでいたようです。
創業50年の老舗ビリヤード場です。*1
カラフルな看板。
旅荘※1 があった小路を抜けると大木戸子ども園の前の商店街に出ます。
新宿区の都心にありながら、レトロ感満載の銭湯です。
現在は、銭湯は休業し、商店の建物として活用されているようです。銭湯脇のコインランドリーは営業中です。
脇の小路。
万世橋近くにあるラジオガァデン。その名の通り、電機部品の店舗です。かつての秋葉原の電気屋街を思わせる風景です。
ラジオガァデンの中になる飲食コーナー。肉の万世の直営店です。
生ビールを注文。写真左側のかつサンドは、見本品です。
店内には、肉の万世の開業当時の写真は、当時の秋葉原の写真が展示されています。
関東大震災以後の商業建築の多くは2階建てで、3階部分に屋根裏部屋を持つものが多く、これは木造3階建ての禁令をクリアするための抜け穴的構造でした。*1
神田須田町では、看板建築のような奇抜なデザインの商業建築以外にも、この「一見2階建て、実は3階建て」の建物を見かけます。
写真の建物は正面から見ると2階建てですが、横から見ると3階建てであることが解ります。
こちらも、一見何の変哲もない2階建て。
横から見ると3階建てです。
今回は、神田須田町(かんだすだちょう、東京都千代田区)の町並みを散歩します。
秋葉原の万世橋を渡り、すぐに左へ曲がり、山の手線のガードをくぐると。柳森神社の前(柳原通り)に出ます。今は神田須田町二丁目ですが、このあたりは、元柳原町と呼ばれていました。柳原は、明治には古着市場であり、その後、既製服問屋街になりました。柳原通りは昭和初期にはかなりにぎやかだったそうです。この一画には、昔からの看板建築の商店が残っています。この付近は戦災の時に焼けないで残りました。*1
写真は、岡昌(おかしょう)裏地ボタン店(昭和3年築)。*2昭和通りに出る少し手前の右手に残るしゃれたファザードの一軒は、海老原商店という服地店です。*1*3*4
海老原商店は昭和初期(1927)につくられました。*1*3
2階窓下には、白漆喰による海老原商店の文字看板*3
上部には、ネオ・クラシックやアール・デコがミックスされたような装飾が上部についています。*1
釧路市大町にある銭湯の草津湯。
建物は、改築していますが、創業は大正8年だそうです。*1
奥行のある建物です。
反対側。
釧路市米町3丁目にある銭湯の岬湯。
正面はこちら側です。
裏側からは、立派な煙突をみることができます。
最近、惜しくも休業となったようです。張り紙が貼られていました。
今回は、生田原(北海道紋別郡遠軽町)の町並みを散歩します。生田原駅構内には、オホーツク文学館と図書館が併設されています。
図書館の入口に、昭和29年発行の「生田原市街地図」*1 が掲示してあります。
当時は、カフェーがあったようです。
北の王鉱山の全景。
網走市街の南側の郊外(網走市南11条西2丁目)。ここに、網走市名誉市民の中川イセ※1 に関連すると思われる「中川記念武道館」があります。
中川イセは、1901年(明治34年)山形県天童市生まれで、網走の遊廓「金松楼」にいましたが、戦後、網走市議に当選し、その後連続7回当選。網走監獄保存財団理事長を務めました。*1
日本大東流合気武道本部の建物として利用されています。
中川イセは、柔道三段。荒くれ人夫を一本背負いで投げ飛ばしたことがあるほど腕前でした。*1
網走市街の中心部にある銭湯のときわ湯。
最近改装されたのでしょうか。綺麗な銭湯です。
年季の入った煙突。
夜の銭湯。
今回は、網走(北海道網走市)の町並みを散歩します。
JR石北本線の網走駅前にある、老舗大衆食堂「長浜」。市街の中心部には本店があります。
麺類や丼物など、和食のメニューが中心です。
和風の店内は、ゆったりとしていてくつろげます。
かつ丼とビールを注文。
宗谷本線の風連駅から約300m。名寄市風連町仲町にある松葉屋食堂。
元祖札幌ラーメンの認定証。
ラーメンの種類は豊富です。
チャーシューラーメンを注文。