沼津駅北口の高島町は、飲食店が集中しているエリアです。

法善寺横丁。大阪の飲み屋横丁と同名です。

建物と建物の間が飲み屋横丁になっています。

東側のアーケード風の通路。

沼津駅北口の高島町は、飲食店が集中しているエリアです。

法善寺横丁。大阪の飲み屋横丁と同名です。

建物と建物の間が飲み屋横丁になっています。

東側のアーケード風の通路。

沼津駅南側の繁華街の十五番街。
かつて、この付近にあった十五番街のゲート※1 は、現在は撤去されています。

祇園小路は現在も健在です。

レトロな雰囲気が漂う小路。

小路の向こう側はJR沼津駅(写真奥)です。

小川路地の北側の入口。

飲食店街を抜けると空地に出ます。

飲食店だったと思われる建物。

軒下に掲げられている屋号。

JR成田駅から、「成田山近道」の坂道を下っていくと、和食店があります。
「赤線跡を歩く」に、「その先がカフェー街があった場所らしい。」と紹介されている「坂道を下ったところにある古風なバー」。

道路に面した側が正面です。入り口があります。「お食事処東洋」と書いてあります。

路地に面した側は、スナックになっています。店の名は「パブ.スナック東洋」となっています。書いて斜め取ってのドアがあり、まるで赤線建築を思わせるようなデザインです。

「パブ.スナック東洋」の看板。

今回は、下総中山(千葉県船橋市)の町並みを散歩します。
JR下総中山駅前にある、通称「こみち通り」と呼ばれる飲み屋街は、小規模ながら飲食店やスナックが密集している通りです。

西側の通りにもスナックが連なります。

駅側に回り込んだ路地。

木造家屋のスナック店。

仲通り商店会の南側と北側を結ぶ通路。

飲食店に混じって風俗店も営業中です。

中華食材や風俗店の看板が密集しています。

短い路地なので、反対側の商店街へ出れます。

船橋市本町四丁目にある仲通り商店会。東側の入口に立派なゲートがあります。

少し行くと、Y字路があって、商店街は二股に分かれています。

Y字路の北側の通り。人気の大衆酒場があります。

南側の通り。

今回は、歌舞伎町(東京都新宿区)の町並みを散歩します。
風林会館前に、現在も闇市の風情を残す横丁が残っています。*1※1
最近、「思い出の抜け道」と書かれたゲートができ、整備されたました。

少し奥へ進むと、以前の雰囲気が残っています。

南側の通路。

屋台のような店舗も健在です。


3階建ての建物。

前面がピンク色のスナック。アパートのような奥行のある建物です。

上の写真の建物の左側。小さな路地になっています。

栄町の歓楽街の東側の一画。Y字路に沿ってスナックが建ち並んでいます。

3階建ての木造建築。

角を曲がるとさらにスナック店舗が続いています。

建物の間の小路。

上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1

地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。

中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。

魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。

上野四丁目に位置する通称“アメ横”は、上野駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下500メートルの商店街とアメ横本通りをはさむ西側商店街の集合体です。*1

朝鮮戦争の頃、米兵がアメ横に横流し物資を持ち込んできたこをきっかけに、昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販されました。*2

その後、アメ横は、“舶来の殿堂”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなりました。*2

アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安く販売することができました。

今回は、池袋(東京都豊島区)の町並みを散歩します。
池袋駅西口広場に広がっていたヤミ市は、徐々に規模を狭めながらも昭和38年まで生き残っていました。昭和38年にマーケットが撤去される前年(昭和37年)に開業した食堂会館「のとや」のビルが現在も残っていあます。(写真左側のビル)*1

翌昭和38年、マーケットは撤去され、食堂会館が西口広場の奥に輝くように建っていました。*1

このあたりに、「食堂会館のとや」の看板が掲げられていました。*1

現在も残る「のとや」の文字。

今回は、浅草橋(東京都台東区)の町並みを散歩します。
隅田川沿い(蔵前橋の西側)に松の木が生えている場所があります。

「首尾の松」の碑。

「首尾の松」の由来については、吉原遊廓に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところから、という説があります。(案内看板より)

隅田川沿いの名所江戸百景のモニュメントで紹介されている「首尾の松」。

かつて、置屋や待合が並ぶ花街だった銀座8丁目の金春通り。近くには、銭湯の金春湯もあります。※1
金春小路(こんぱるこうじ)と書かれた小さな看板。

小路の入口は非常に小さく目立ちません。

かつての花街の路地は、現在はバーやクラグが引き継ぐ夜の街の路地となっています。*1

L字型の路地はさらに奥へ続き、反対側の通りへ出ます。

今回は、銀座(東京都中央区)の町並みを散歩します。
三原小路近くに今も奇跡的に残る袋小路があります。
明治の終わりころ、この付近には、質商「江島屋」が所有する大規模な土地がありましたが、質商は、農地解放とともに施工された戦後の財産税でことどとく土地を失い、この路地が誕生しました。*1

半世紀ほど時間が巻き戻ったようなゲート状の看板。*1

袋小路になった路地。

2階建ての長屋形式の店舗。周囲のビルとの景観のギャップの大きさには感動します。

今回は、高田馬場(東京都新宿区)の町並みと風俗を散歩します。
高田馬場は、学生の町です。この町には「学生ローン」と書かれた看板を多くみかけます。

1977年から続く老舗店。

1階が蕎麦屋、2階が学生ローン

電柱の張り紙。

新小岩駅南口の繁華街は、街全体が碁盤の目のように区画されていて、それぞれの街路が商店街となって南東方向へ続いています。
ルミエール商店街の1本隣の商店街「一番街」もそのうちの一つです。

この通りは、エステが多いです。

さらに南東へ行ったところにもピンク色の看板。

健康マッサージ。

今回は、新小岩(東京都江葛飾区)の町並みを散歩します。
新小岩駅南口から、ルミエール商店街を約500m。かつて赤線があった場所※1 の近くにスナックが密集する一画があります。

通りから細い路地を入ったところにも店が建ち並んでいます。

レトロなスナック。

狭い通路を抜けると入口がありました。

京成小岩駅前にある「みなみ通り」。

居酒屋とスナックが4軒。

狭い路地を進みます。

すぐに反対側に抜けます。

宿場町通り(旧日光街道)をあるいていると右手に、「毎日通り飲食店」の看板が目に入ります。

居酒屋やスナックが連なる小路です。

近隣には高層ビルが建っていますが、奇跡的に昭和の姿を留めています。

小路はL字型になっていて、北側の道路に通じています。

北千住駅前の商店街。立呑み屋の有名店の隣に、飲食店の看板のある路地の入口があります。

道幅の狭い路地に、店舗が密集しています。

何度も出てくる曲がり角。

スナック。

今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
小岩駅南口の駅裏の商店街。飲食店の古い建物が連なっています。

JRの高架と商店街に囲まれ、小さな小島のような一画を形成しています。写真は商店街の北端(右側はJR総武線の高架)。

商店街の裏側(JR側)は、時代を感じさせる風景が残っています。

密集している建物の中には、3階建てものもあります。

北千住の駅前商店街※1 に、ひときわ目立つ三階建ての木造家屋。

1階には、多数の張り紙。

3階部分は見晴台のような高い場所にあります。

奇抜なデザインのバーの建物が隣接しています。

北千住駅前の商業ビル※1 はいくつかの棟が連結された構造になっていますが、棟と棟の間の隙間の1階部分が駅側と商店街側を結ぶ通路になっています。

地元の方々の日常的な通路になっているようです。

通路は数か所あります。

ビルの入り口と隣り合わせの通路。黄色で統一されています。

今回は、北千住(東京都足立区)の町並みを散歩します。
北千住駅前に建つ商業ビル。

1階に飲食店や商店、2階と3階は住居部分です。

建物の裏側は商店街になっています。

上を見上げると3階建てであることがわかります。

高田馬場駅の西武新宿線のガード下は、戦後、バラック飲み屋の一群がありました。*1

現在もその名残の飲み屋街が続いています。

3階建ての建物。

戦後の住宅地図*2 によると、神田川近くまで建物が続いていました。

今回は、高田馬場(東京都新宿区)の町並みを散歩します。

高田馬場の駅付近は、戦後急増したバラック建ての老朽家屋が密集していましたが、昭和37年、駅前再開発が始まり、駅前広場の中央に女神の像が設置されました。*1

完成当時は、周囲に噴流水が設けられたそうです。*1

再開発の経緯を記す碑が建てられています。

浅草の国際通り沿いにある「食堂筑波」。2階部分の大看板に大きく「食堂筑波」と書かれているので、すぐに発見できます。

手作り感のある暖簾。

昭和レトロな雰囲気です。

カレーライス(この店の自慢メニューです。)とビールを注文。

猿之助横町の西側(国際通りに近いあたり)は、スナックが密集するエリアです。

長屋風の建物のスナック。

レトロな外観。

酒処まり。

「猿之助横町」の碑※1 のある通りを西へ向かい、1本目の路地を入ったところ。「ヘルストロン」の看板があります。

昔懐かしい、麻雀喫茶、テレビゲーム。

昭和の初期、この通りは芸妓置屋や料理屋が密集する場所でした。*1

スナックマリ子

五反田の歓楽街「遊楽街」の中で、唯一、通りの名が付けられている「一番街」。

1951年の住宅地図を見ると、飲食店や風俗店が道の両脇に連ねっており、この頃から歓楽街の中心街だったようです。

現在も飲食店が建ち並び、昼間の時間帯から人通りの多い通りです。

通りの北側の風俗店。

五反駅東口の遊楽街は、昭和の初期から続く歓楽街です。

ビル化が進む歓楽街の中に、昭和の頃と思われる建物が残っています。
1951年の住宅地図*1 には、「グランドパレス」という屋号が記されています。

入口の部分は、現在は自販機コーナーになっています。

当時の豪華さが感じられる2階部分の意匠。

西小山商店街にあるスナック。

アパートの建物の1階がスナック店です。

1階の奥のやきとり店。横丁のような雰囲気になっています。

白菊。

王子駅北東側の豊島1丁目は、かつて花街があった場所で、周辺には、いなり通り商店街があります。

もつ焼き、やきとり、の店。

反対側。古い旅館があった場所(写真奥)※1 はには真新しいオフィスビルが建っています。

隣に残るスナック店がはいる共同ビル。

王子駅前にある飲み屋街の柳小路。

スナックですが、時間制(オールタイム60分3,000円)のようです。

ひょうたんの意匠の小料理屋。

中央部分の建物が無くなって更地になっています(写真手前部分)が、飲み屋街は、健在です。

今回は、王子(東京都北区)の町並みを散歩します。
JR王子駅前のさくら新道は、風情のある長屋の建物が印象的な飲食街でしたが※1、数年前に南側半分が火災で焼失してしまいました。

1階部分はベニヤ板でふさがれていて、ほとんどの店舗が休業している模様です。

南側の建物があった場所は空き地になっています。(写真の手前側)

歌えるスナック。

古い町並みが残る旧東海道沿いの商店街。裏道を1本入ると飲食街があります。

居酒屋。

京急本線沿い。

アパートの建物の1階の飲食店。

池上本門寺近く。かつて特飲街※1 があった一画の南側にある飲食街。

雰囲気のあるスナックが建ち並んでいます。

スナック店

逆方向から。

池上本門寺参道には、古くからの商店街があり、情緒のある飲食店の建物などが残っています。

「自由雲」という屋号の店。

現在はピザの店。

サントリーチェーンのバーの看板。

今回は、池上(東京都大田区)の町並みを散歩します。

2階が住居部分となっている商業ビル。

1階のスナック。

菱形の窓。

大井町の東小路の飲み屋横丁。

2本の小路を横に横断する通路。

スナックもあります。

立ち飲み屋チェーンの晩杯屋。

今回は、大井町の町並みを散歩します。

建物の側面。

隣が空き地になっている一画。

周囲は開発が進んでいます。

今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR鶯谷駅は、吉原ソープランド街への最寄り出来です。南口の駅前ロータリのタクシー乗り場は、吉原からの送迎者が発着する場所でもあります。

北口の駅前。こちらも待ち合わせ場所としてよく利用されます。

富士銀行前の交差点も送迎者の発着場所として利用されているようです。

張り紙。

三沢の歓楽街の中で、ひときわ目をひく建物の「道頓堀」

道頓堀。

2階部分にもスナックが入居しています。

某スクリームチェーンと同名のスナック店。

三沢市中央町には、大規模な飲み屋小路が密集しています。中でも狸小路は、入口のゲートが昭和の雰囲気を醸し出しています。

狭い小路の両脇にスナックが連なります。

逆方向から。

小路の奥まったあたり。

三沢は基地の町です。基地の入口には、「U.S. AIR FORCE(アメリカ空軍)」と「航空自衛隊三沢基地」の2つの看板が並んでいます。

基地近くには、アメリカ村と呼ばる外国人のお客さんが多く集まるバーが点在している一画があります。

高層マンションのような外観の基地の宿舎。

米軍基地専用線跡。

野辺地町役場の北側の通りは、飲食店やスナックが連なる歓楽街です。

「銀座館」という名の商業ビル。

小路の奥まった場所にあるカラフルな建物。

1階が、美容室。2階がカラオケスナック店。

大塚三業通りには、料亭や割烹の他に和風のスナック店も点在します。

アパートの建物の1階部分が店舗です。

夜の三業通り。

スナック店が営業中です。

錦糸町駅南側の国道14号線沿い。花壇街と書かれた緑色の看板があります。

飲食店街の「花壇街」です。

1階が花壇街となっている高層マンション。(錦糸堀公園からの遠望)

居酒屋がスナックが営業中です。

月島三丁目。もんじゃストリートから通りを入ったところ。

和風の建物。

沢の鶴の看板。和風スナックなので、日本酒でしょうか。

月島の商業の発展*1 とともに、歓楽街的な要素も出現したのだと思われます。

西仲通り商店街(もんじゃストリート*2)は、日露戦争後の人口に伴い、自然発生的にできたもので、道の真ん中に露店が出ていたのが特徴でした。*1
西仲通り商店街には、2階部分に昔ながらの屋号が残っている「看板建築」商店が残っています。*2※1

一歩路地に入ると、昔ながらの生活空間の雰囲気が残っています。

渡り廊下のある路地。

最近は、開発が進み、周辺は高層マンションが林立しています。

築地場外市場。豊洲移転後も賑わっています。

古い建物が建ち並びます。

築地場外市場の中にある円正寺。寺院の建物と市場の建物がつながっているように見えます。

最近、火災で焼失した付近。マンサード屋根を持つ3階建ての建物です。

江東区亀戸7丁目にある亀七通り。インパクトのある大看板。

看板の派手さに比べると、通りは殺風景です。

飲食店の他、商店が建ち並びます。

反対側(国道14号線沿い)のゲート。

今回は、神田明神下(東京都千代田区)の町並みを散歩します。
JR御茶ノ水駅の東側。神田川に架かる聖橋からみたJR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線が立体交差します。ずっと眺めていても飽きない景観です。

昌平橋から聖橋方面の遠望。

川沿いに4階建ての建物が建ちならんでいます(JR御茶ノ水駅より)。

ビリヤードの建物。

秋葉原の昭和通り沿い。1本入った通りには、ガールズバーやカフェバーなどがひしめいています。

上から下までガールズバーがはいるビル。

秋葉原駅南口。最近、アダルトビデオ製作会社が運営する居酒屋がオープンしました。

立ち飲み屋。

鉄北センター※1 は、東西に2棟あって、現在営業中の店舗が多いのは、こちらの西側の棟です。

反対側(南側)から。

レトロ感漂うスナック店。

夜の鉄北センター。

釧路駅の北側の若松町2丁目。駅前の通りは鉄北幹線通りと呼ばれています。道路沿いに、「鉄北センター」の建物があります。

西側から見た建物の壁面。2階建て建物が延々と続きます。

西側の入口。

夜の鉄北センター。

釧路の久寿里橋通り。久寿里橋は、釧路川に架かる橋で幣舞橋の1本上流です。

かつての飲み屋街「城山歓楽街」の跡が残っています。

かつての栄華がしのばれます。

「城山歓楽街」は2棟あって、こちらは、西側の棟です。

釧路市の歓楽街、栄町2丁目の遊楽街センター。昭和の雰囲気が残っています。

遊楽街センターA(左側)、遊楽街センターB(右側)、の2棟が隣り合って配置されています。この2棟の天井部分が一体となっていて、一つの横丁建築になっています。

店舗は、現在も営業中です。

逆方向から。

大正10年代から昭和初期にかけての生田原は、第一次世界大戦後の経済不況と農業の断続冷害凶作で、商業界は低迷の苦境を余儀なくされましたが、鉱山の操業という起死回生の天恵に救われ、再び活況を取り戻しました。*1
現在の生田原神社の南側に北の王金山跡の入口があります。

林道をしばらく歩くと、眼下に眺望が開けた場所へ出ます。

そこからすぐのところに残るコンクリート造りの建造物。

四角い窓が見えます。

カフェーの「日輪」*1※1※2があった通りの交差点の角。スナックが2軒建っています。

交差点の角にあるスナックは、昭和55年の市街図*2では「ムーラン」という屋号でした。

玄関の隣の丸窓が印象的です。

旧「銀月」。*2

網走市街にある飲食街の楽天地ビル。隣の建物が撤去され更地になったため、壁面がむき出しの状態となっています。

老朽化が目立ちます。

天井部分。

奥まった場所にある公衆トイレ。

名寄市西3条南6丁目。現在も市街の中心部で、その中には古い商店街が残っています。

「どんぐり小路」。1階には居酒屋などの飲食店が入っています。

建物の裏側。屋根裏部屋もあり、一部は3階建てです。

大規模なトタン建築です。

名寄の有楽センター※1 の向かい側には、スナック店が建ち並んでいます。

一軒屋の建物の1階がスナックです。

木造の建物。

南側に西側へ入ったところにあるスナック。

名寄のかつての花街だった場所(現在の西4条南5丁目付近)の南北の通りは、「錦通り」と命名されています。

錦通りに建つ飲食ビルの「遊楽センター」

1階が店舗。2階が居住スペースです。

夜の様子。

すすきの市場※1 の建物の地下1階部分は飲食店街になっています。

バーや小料理屋がひしめく飲食店街。*1

まさに、昭和の歴史空間です。

通路の両側からは、歌声が漏れ聞こえてきます。


ススキノのネオン街ど真ん中に、東西百メートルにわたる地上五階地下一階の細長いビル「すすきの市場」の建物があります。*1

2階-5階は住宅公団のアパートになっています。*1

長く続く廊下。

1階は、市場機能を有しています。
飲食店「みほ」がある小路※1 の1本西側の小路。
料理屋が2軒並んでいます。

料理屋の「小松屋」。

レトロな佇まいです。

小路(写真左側)の裏側は広い駐車場になっています。写真の右側は、飲食店「みほ」※1 がある小路に連なる建物の裏側。

豊川の駅前通り。商店街の南側に細い路地が続いています。

飲食店「みほ」。

斜めドア。

かつては、賑やかな通りだったのかもしれません。

今回は、豊川(愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに増加し、昭和38年には自動車時代を迎え、豊川稲荷の観光化が目立つようになりました。*1
豊川稲荷の門前通りには、レトロな飲食店やみやげもの屋が軒を連ねます。

こちらの飲食店は、現在はかき氷などの甘味類の店になっています。

駅前の西本町通り沿いの飲食店。

バーの看板。

東海道五十三次宿時代の御油※1 は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めました。遊女屋は、中町、中上町、伝馬町に全盛の頃は30軒余りありました。*1

現在は、当時の面影を残す建物は少なくなってきています。*1

イチビキ醤油手前の元女郎屋の建物。*1

中町の銭屋(女郎屋)があったあたり。*1


今回は、御油(ごゆ、愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
御油は、江戸時代、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛で街道筋に聞こえた遊興の宿場でした。*1
写真は、かつての御油宿の入口にあたる旧御油橋です。

江戸時代の御油宿の様子は、歌川広重の木版画「東海道五拾三次之内36御油《旅人留女》」に描かれています。

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんでした。『東海道中膝栗毛』には「両がはより出くる留女、いずれもめんをかぶりたるごとくぬりたてるが・・」とあります。*2

明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていきました。御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されています。*1
かつては、波止浜の中心街だった本町の通り。通りの中ほどに、美容院の建物があります。

1階はタイル貼りのバーが併設されています。

2階は紫色です。

カラフルなタイル。

波止浜の本町通り。
昭和30年代の終わりころには、本町は、波止浜の町の中心でした。*1

洋酒の店。

2階にスナックが入っているビル。

1階は、飲食店だったようです。

今回は、道後(愛媛県松山市)の町並みを散歩します。
道後温泉の北側郊外。ため池の脇の山道を登ります。

1本道の山道が続きます。

道後温泉から歩きはじめて約1時間。ようやく瀬戸風峠に到着しました。

この峠は、標高210mで、松山市街地を見下ろす絶好の場所です。市街地の中心に位置する松山城から北東の方角に約3km離れていて、最も手前に見えるビル群は、かつて伊台・五明方面から道後や城下に通じる交通の要衝でした。(案内板より)

今回は、高松(香川県高松市)の町並みを散歩します。
高松市街の百間町にある「華下天満宮」前の小規模な飲み屋街「古天神味の店」。

居酒屋やスナックが建ち並ぶメインの通り。

裏側の通り。

古びたスナックの入口。

高知市帯屋町1丁目の飲み屋小路。落ち着いた感じのスナック店が建ち並びます。

窓に特徴のある「壁」という店。

小路は、L字型になっていて、大通りへ抜けれます。

夜の様子。

かつての青線街「掛川町」※1 は、現在の堺町8,9,11,12,13付近と思われ、1983年の住宅地図を見ると、スタンドやスナック、トルコ風呂などが密集しています。*1
写真の左手前の交差点の角(現在は駐車場)には、スタンド朱美、スタンドひとみ、スタンド姿、がありました。

スタンド小吉の建物。
昭和33年の売春防止法施行以降、掛川町の特飲街は、旅館、スタンドなどに転業し、従来通りの賑わいを呈していました。(この建物が青線であったかどかは不明です。)*2

かろうじて「小」の文字が残っています。前回(2014年)、この付近を歩いたときの記憶では、「一品料理 スタンド小吉」と書かれていたと思います。

料亭の建物を思わせる2階部分。

JR鳴門線撫養駅(鳴門駅の一つ隣)の東側の交差点。

古いスナックの建物があります。

スナック「青い鳥」。

現在は、休業中のようです。

今回は、小作(おざく、東京都羽村市)の町並みを散歩します。
JR青梅線小作駅東口周辺には、居酒屋やパブ・クラブが入居する雑居ビルが乱立しています。

西方向にある巨大風俗ビル。

ラーメン屋などの飲食店が入るビル。

大通り沿いの大型ビル。

八丁特飲食街の北側。この通りを進むと横河電機の工場です。

古いアパートの建物。

ここには、飲食店「バークロンボ」「はしご」「紅鶴」がありました。*1

腰廻りの石材。

旧中村遊廓の南側の一画。名古屋市中村区賑町。

60年以上も赤ちょうちんを守ってきた居酒屋「善ちゃん」。お世辞にもきれいな店とは言えません。*1

入口脇には、錆びた飲食店の看板。

お食事処「善ちゃん」の提灯。

大門横丁※1 の一本北側の通り。呑み屋街の入口を示す「大門小路」の大看板。

コの字型に呑み屋街が続いています。

反対側の入口にも「大門小路」の大看板。

西側にも入口があります。


今回は、中村(愛知県中村区)の町並みを散歩します。旧中村遊廓の南側。昭和の哀愁の残る大門横丁が今も健在です。

レトロ感漂うアーケード。

反対側から。緩やかにカーブしています。

近くには、高層マンション。
今回は、西荻窪(東京都杉並区)の町並みを散歩します。
JR西荻窪駅南口を下車し、すぐ西側。ディープな呑み屋街があります。

南側の通り。2階建ての木造家屋が連なっています。

北側の通りへ抜ける通路。

北側の通り。

現在の津島市天王通り三丁目あたりを苧之座または小之座と呼びました。

このまちは苧(イラクサ科の植物。丈夫な繊維として利用できる)を取り扱う商人たち(座)のまちであったことから名づけられたと考えられます(看板の説明書き)。

「苧」という文字を見ると、「口之津に「苧扱川(おこんご)」という地名があり、そこにあった遊廓は「おこんご遊廓」と呼ばれていた。」ことを思い出します。※1※2
「苧扱川」の地名も苧麻を栽培していたことに由来します。*1

苧麻は、17世紀前半に木綿が庶民の日常衣料としての地位を確立するまでは、庶民にとっての代表的な繊維原料でした。*2

今回は、大垣(岐阜県大垣市)の町並みを散歩します。
大垣城の東側。城南アパートの建物。

1階に、レトロな呑み屋街があります。入口右側には、喫茶「古城」。

看板の右側の「街」の文字が隠れて見えづらくなっていますが、「お城街」と読み取れます。

和風の飲み屋が連なります。

美濃太田駅の南側、太田町に、小規模ですが、居酒屋やスナックが集まる呑み屋街があります。

雪椿、えん、けい、あさこ、つむぎ、年輪、さっちゃん、等、和風の名前が多いです。

四つ角のあたり。

夜の様子。

今回は、美濃太田(岐阜県美濃加茂市)の町並みを散歩します。
JR高山本線美濃太田駅前から南東方向にまっすぐな道が伸びています。

大楽通り。歓楽街を思わせるような通り名です。

旅館「いろは」。

少し先に別の旅館。

長良川の忠節橋から、岐阜駅へ向かう忠節橋通り(国道157号)は、岐阜市の三大通りのひとつですが、この通りの南端は、金津園の入口にあたります。

この通りをさらに、南進させる計画なのでしょうか。金津園の中央を通り抜けるための拡幅工事が行われています。

拡幅工事のために、立ち退いた店舗もあるようです。
写真中央奥の高層ビルは、「岐阜シティ・タワー」*1

完成すれば、ソープランド街の中央を4車線の道路が貫通することになります。


大正初期以降、戦時中を除き昭和三十年代中期まで、花柳街の老舗が繁栄しましたが、昭和40年代になると、キャバレー、スナック、バー等の登場となり、呑み屋街が発達しました。*1
その中で、東三番街は、現在も残る呑み屋街です。写真右側の焼肉の「食堂園」は、1977年の住宅地図*2 にも掲載されている店です。
カラフルなスナックの店舗が建ち並びます。

看板が密集。

反対側の入口。一方通行の出口です。

今回は、青森(青森県青森市)の町並みを散歩します。
駅前の商業施設「フェスティバルシティアウガ」の東側の商店街「中央古川通り」沿い。1階に風俗店が入る横丁があります。

建物の右側の路地を進むと、スナックが2軒あります。

左側の通り。

奥まったところにあるスナック。

武雄温泉の温泉街の北東側にスナック街があります。温泉街の中心部からは少し離れた場所です。

静かな住宅街の中のスナック。

フロンティア横丁。

ピンク色の建物。

松浦鉄道西九州線は、始発の佐世保駅から市街を通って平戸方面へ向かいます。途中、佐世保中央駅、中佐世保駅の間は高架になっていて、高架下には、飲食店などが連なっています。

和風の料理店。

高架下の飲食街は奥まで続きます。

松浦鉄道から見た高架部分。

今回は、佐世保(長崎県佐世保市)の町並みを散歩します。佐世保市街の山県町。塩浜町の繁華街12 の北側に続くスナック街です。

おくまん。

大使館。

看板が密集しています。

月見町遊廓の入口の門※1 を入ったところにあるスナック店。

2階建ての木造家屋の1階部分がスナックです。

看板。

背後から見ると、料亭のような造りの立派な木造建築であることが解ります。

今回は、相浦(あいのうら、長崎県佐世保市)の町並みを散歩します。
相浦は、佐世保駅から松浦鉄道西九州線で約30分。江戸時代からの港町です。

相浦港は、昭和に入ってからは石炭積み出し港として繁栄しました。

港の近くに、飲食店舗が入る共同建物があります。

スナックの看板。

門司区栄町のスナック横丁。

入口に、呑み屋とスナックの看板。

長い横丁が続きます。

反対側の入口。横丁はL字型になっています。

門司区栄町5丁目の「味の名所 有楽街」。

入口の看板。サッポロビールのレトロポスターが雰囲気を醸し出しています。

入口を入ると、通路は二股に分かれています。

スナックが建ち並んでいます。
