谷田部(飲食ビル)派手な装飾の飲食店。

今回は、谷田部(茨城県つくば市)の町並みを散歩します。
谷田部の旧道沿いの郵便局近くの曲がり角に、飲食ビルがあります。

派手な装飾の飲食店。

居酒屋、クラブ、マッサージ店などが連なります。

飲食ビル口の看板。

参考文献

参考記事

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谷田部(水洗トイレ)高度成長期に多く見られたWCの表記。

人形町(日本橋大伝馬町の路地)江戸の下水道が現代に引き継がれています。

日本橋富沢町の浜町川の水路跡※1 はさらに、北側へ続いています。
しかし、さきほどの商店街のような風景は全く無く、ビル裏側の殺風景な通路です。

水路跡の中央がやや窪んだ通路が延々と続きます。

通路は、「都有地」となっており、東京都下水道局が管理しています。
浜町川跡の地下に、公共下水道の「馬喰町幹線」がつくられているのは、「江戸の下水道が現代に引き継がれている。」といえます。※1

かつての浜町川は、千代田区岩本町まで続き、神田川に合流していました。

参考文献

*1
栗田彰江戸の川あるき青蛙房1999.7
浜町川

P.29
浜町川跡の地下に、公共下水道の「馬喰町幹線」がつくられているのは、…

参考記事

※1人形町(問屋橋跡北側の路地)日本橋富沢町。浜町川跡の商店街。

人形町(問屋橋跡北側の路地)日本橋富沢町。浜町川跡の商店街。

江戸時代、水路として活用されていた浜町川は、戦後、埋め立てられ、跡地のほとんどは、オフィスビルが連なるビルの裏側の路地となっていますが、日本橋富沢町の部分だけは、商店街の雰囲気が残っています。

「梅の家」の屋号が残るお宅。

昭和の雰囲気が残る通りです。

北側から見たところ。飲食店も営業中です。

人形町(真砂座の碑)明治39年、夏目漱石「猫」上演。

 

今回は、人形町(東京都中央区)の町並みを散歩します。

「日本橋中洲(にほんばしなかす)」という地名で呼ばれているこの付近は、もともとは、文字通り、隅田川の中州でした。
1695年(万治2年)、吉原の遊女高尾太夫がこの付近の船上で吊り斬りにされ、遺体が北新堀河岸(日本橋箱崎町)に漂着し、高尾稲荷に祀られたという逸話があります。※1

中洲は、江戸時代から明治にかけて、歓楽街として賑わいました。

マンション脇に鎮座する真砂座跡の碑。

漱石「猫」上演。真砂座跡、と刻まれています。

夏目漱石の「猫」は、小山内薫によって脚色された演劇で、明治39年に真砂座で上演されました。

碑文:
夏目漱石の「我輩ハ猫デアル」は、小山内薫によって脚色された。伊井蓉峰らが出演し、日本橋中洲の眞砂座跡で明治三十九(一九〇六)年十一月三日から三十日にかけて上演された。
平成十五年十月吉日
早稲田大学 第十四代総長 奥島孝康 識

 

日本橋(てんぷら天松)昭和11年創業。

日本橋室町1丁目。

ランチ営業中の老舗てんぷら店。

「てんぷら天松」は、1936年(昭和11年)に渋谷にて創業しました。

てんどんとビールを注文。

参考文献

参考記事

日本橋(清水理美容院)理容室と美容院。

日本橋室町の通り。

ビルの谷間に佇む理容室。昭和の情緒が残っています。

1階が理容。2階が美容です。

懐かしい感じのする店構えです。

参考文献

参考記事

日本橋(十軒店跡の碑)江戸時代の仮設専門店街。人形市。

日本橋の美術店のある交差点。

ここに、美術店などの有志が建てた「十軒店(じっけんだな)跡」の碑があります。
「十軒店」は、江戸時代の仮設専門店街(人形市)のことで、当初、同業者が十軒あったことから、こう呼ばれるようになりました。*1

隣の「コレド室町テラス」には、中央区教育委員会が建てた別の案内板。

三月の上巳(桃)の節句には、内裏雛・禿人形・飾道具等を、五月の端午の節句には、冑人形、鯉のぼり等を商う人形市が立ち、十二月の歳暮の破魔矢・羽子板等を商う市とあわせて、大変なにぎわいを見せていました。

「十軒店」の人形市が、葛飾北斎の「画本東都遊」に描かれていることが紹介されています。

参考文献

参考記事

日本橋(浮世小路)浮世ショウジ。落語「百川」の舞台。

今回は、日本橋(東京都中央区)の町並みを散歩します。
日本橋のCOREDO室町北側に、「浮世小路(うきよしょうじ)」と名づけられた通りがあります(写真下)。近くには、「浮世小路千疋屋ビル」というのもあり、江戸切絵図にも記載のある「浮世小路」の名称は、最近、人気のようです。

現在の浮世小路。写真左奥に見える鳥居は、日本橋福徳神社(芽吹稲荷)。

福徳神社の敷地に、「浮世小路と料亭百川(ももかわ)」の案内板があります。

案内板より:
福徳神社南側の通りは江戸時代「浮世小路」と呼ばれていました。浮世小路の東端北側には 落語噺の舞台としても知られる料亭百川があったとされています。百川は江戸屈指の料理茶屋として繁盛し、幕末にペリー艦隊が来航した時には、乗組員全員にすべて自前で本膳を提供したほどの力がある料亭でした。

参考文献

*1
北村一夫江戸東京地名辞典講談社2008
浮世小路

P.98
大田南畝(おおたなんぼ)の「一話一言」 によれば 江戸に小路(こうじ…

参考記事

柏(掩体壕跡)こんぶくろ池。

掩体壕には、有蓋(ゆうがい)のタイプと無蓋(むがい)のタイプがありますが、柏飛行場にあったのは、無蓋のタイプです。
こんぶくろ池のところに、1基残っています。

掩体壕の案内板。無蓋タイプは、周囲が土手で囲まれているイメージです。

観察路にしたがって進みます。

掩体壕跡。周囲が土手で囲まれていることが解ります。

参考文献

参考記事

柏(ジャンボ蛇口)設備会社の敷地に建つモニュメント。

柏の県道47号線沿いにある「ジャンボ蛇口」。まるで空を飛んでいるようです。

蛇口から水が出ていますが、後ろ側には何もありません。

蛇口は、近くにある水道などの設備会社の敷地に建つモニュメントです。蛇口から出る水の部分が支柱となっています。

支柱の根元部分は、きれいな花壇になっています。

参考文献

参考記事

柏(柏飛行場跡)旧陸軍東部第105部隊の営門。

現在の柏の葉公園一帯は、戦争中、旧日本陸軍の柏飛行場があった場所でした。
現在も旧陸軍東部第105部隊の営門が当時のまま残されています。*1

案内板には、飛行場の滑走路と誘導路の見取り図が示されています。*1

運動公園のあるあたりに、「飛行場跡地」の案内板があります。

つくばエクスプレス開通に伴う区画整理の中で、掩体壕や秋水の燃料庫などの新たな発見があったことが記されています。

参考文献

*1
柏市教育委員会旧陸軍東部第105部隊の営門柏市教育委員会2012.3.31

この門柱は、昭和13年(1938)11月に開設された柏飛行場の兵営施設の営門(旧陸…

参考記事

柏(ミートショップ)豊四季台団地。オリエンタルカレー。

豊四季台団地は、かつての柏競馬場跡地にできた団地です。

団地の中にある商店街のお肉屋さん。

揚げたてのコロッケが頂けます。

懐かしいオリエンタルカレー。通常は名古屋でしか買えません(一部の通販やカルディで購入できるそうですが)この店で買うことができます。

昭和45(1970)年頃、南利明※1 が名古屋弁のアクセントで、「ハヤシもあるでよう」とオリエンタル・スナックカレーのCFに登場するや、たちまち流行語になりました。*1

参考文献

*1
世相風俗観察会現代世相風俗史年表1945→2008河出書房新社2009
1970年 フィーリング時代のCM(1)

南利明が名古屋弁のアクセントで、「ハヤシもあるでよう」とオリエンタル・スナ…

参考記事

※1本庄(立小便看板)手作り感のある看板。大きな鳥居。

柏(柏競馬場跡地)現在の豊四季台団地。

柏の豊四季台団地。

かつて、ここには、地方競馬としては最大・最新の「柏競馬場」がありました。*1

競馬場は1段高い場所にあったため、その段差にかつての名残を見ることができます。写真は、団地の北東部分。

南西部分。こちらにもはっきりとした段差が認められます。

参考文献

*1
流山市立博物館友の会東葛流山研究 12号流山市立博物館友の会1993.11.25
福島茂太幻の「柏競馬場前駅」はどこに

P.139
千葉県畜産組合連合会が大正末期、千葉市外の椿森で草競馬を行ってい…

日本光学工業が柏競馬場敷地を買収

日本光学工業(現在のニコン)は、昭和18(1943年)年2月、陸軍航空本部発注の…

戦後の柏競馬が再開

昭和23年7月13日に競馬法が公布され、県では日本光学工業から競馬場を賃借して …

第一回春季柏競馬開催

経済不況が深刻化するなか、第一回春季柏競馬が昭和3年5月6日から3日間、県畜産…

参考記事

柏(柏銀座通り)柏市の中心地。老舗や飲み屋が多いところ。

JR柏駅東口の柏銀座通り。
柏神社前は柏市の中心地で、このあたりは、老舗や飲み屋が多いところです。*1

1F,2Fに飲食店が入るビル。

「柏銀座商店会」の看板。

賑やかな通りは、奥まで続いています。

参考文献

*1
山本鉱太郎房総の街道繁盛記崙書房出版1999.8
新興都市柏の歴史

P.324
柏神社前は柏市の中心地で、このあたりに老舗や飲み屋が多い。今でこ…

参考記事

木更津(六軒町)俗称六軒町と呼ばれた歓楽街跡地。

木更津市街の東のはずれ。国道16号線と国道409号線が交差するあたり。

この付近は貝塚の遺跡で、貝塚の発掘報告書に、「発掘場所(永井作豆造279番地)は、俗称「六軒町」と呼ばれる遊廓の屋敷跡」と記されています。*1*2

昭和34年頃までは、発掘場所の西側に、旅館や料理店が散在しており*3、歓楽街の名残があったようです。

南側の通り。

参考文献

*1
対馬郁夫木更津市永井作新田貝塚発掘略報対馬郁夫1957

本遺跡は木更津駅の北東方1500mの地点に位置し、現在の行政区分に依れば木更津…

*2
千葉市立加曽利貝塚博物館貝塚博物館紀要 第19号千葉市立加曽利貝塚博物館 リンク
*3
日本都市協会木更津市動態図鑑 昭和34年度版日本都市協会1959.7

参考記事

木更津(富士見亭)焼きそばの名店。

木更津の名店「富士見亭」。焼きそば専門店です。

矢那川の河口近くの交差点に1軒だけ建っています。

メニューは、「焼きそば」「焼きそば大盛」「缶ビール」の3品目のみ。

「焼きそば大盛」と「缶ビール」を注文。

参考文献

参考記事

木更津(富士見町の飲食店ビル)日焼けした広告看板。

木更津駅前から西へ延びる通り(富士見通り)に面して、飲食店のビルが建ち並んでいます。

クラブやバーが入るビル。

反対側から見たところ。

古びた広告看板。「こぶたの館」と書かれています。年数が経過しているためか、看板が著しく日焼けしています。

参考文献

参考記事

木更津(お好み通り)越路ビル。ビルの裏側へ抜けられます。

「お好み通り」は、ビルの裏側へ抜けられます。

富士見通りから、交差点を南へ入ったところにある越路ビル。

ビルの1階左寄りは、横丁になっていて「お好み通り」と名付けられています。

「お好み通り」は、ビルの裏側へ抜けられます。

参考文献

参考記事

木更津(掩体壕)旧日本海軍木更津海軍航飛行場。

江川海岸へ向かうの道路の南側(写真の左側)は、陸上自衛隊木更津駐屯地(旧日本海軍木更津海軍航飛行場)です。

フェンス越しに掩体壕(えんたいごう。戦時中の戦闘機用の壕)が見えます。

「木更津市郷土博物館 金のすず」の展示物によると、飛行場の北西部に単発機(発動機が1基)用の掩体壕が、飛行場の北側に中型機用の掩体壕が、それぞれ数基づつありました。

掩体壕を出て、この道路を移動し、滑走路から飛び立っていく姿が想像できそうです。

附近には、他にも遺構らしきものが見えます。

参考文献

参考記事

木更津(江川船堀)船堀改修記念の碑。

今回は、木更津の町並みを散歩します。
「日本のウユニ塩湖」と呼ばれ、人気のスポットとなっている江川海岸ですが、海岸の入口脇にある船堀は、昭和の雰囲気を醸し出している場所です。

船堀の中に出島のように突き出した場所にある綿津見神社。

高度成長期、東京湾岸の漁業協同組合は、莫大な補償金と引き換えに、次々と漁業権を放棄してきましたが、江川漁業協同組合は、東京湾岸で唯一残る自然干潟の潮干狩りをはじめ、現在も漁業が存続しています。

綿津見神社の敷地に、「江川船堀改修記念」の碑が建っています。

碑文:
遠き昔より海の幸を生業としきた私達は昭和十一年、旧海軍飛行場の建設に伴いこの地に移り、漁業の基地とした。以来四十有余年変遷著しい歴史の歩みの中に整備改修は、ままならず今日に至った。この船堀りの充実が多年に亘る組合員総ての願望であった。防衛施設庁、千葉県、木更津市の援助により、八千五百余万円の巨費を投入し、完成した。
昭和三十六年 江川漁業協同組合

綿津見神社から見た江川海岸方向。水門の向こうが潮干狩り場です。

参考文献

参考記事

谷田部(ホテルニュー梅屋)昭和55年にオープンしてから36年。

街道沿いにあった梅屋旅館※1 からすぐの場所にホテルニュー梅屋が営業中です。

明治に梅屋旅館※1 として創業し、ホテルニュー梅屋を昭和55年にオープンしてから36年、今もつくば市谷田部で続く老舗のホテルです。*1

HOTELUMEYAの屋上看板。

東側の運動場からの眺め。1階は、レストラン「ミルキーウエイ」。

参考文献

*1
ホテルニュー梅屋 公式ページ リンク

常磐道谷田部IC・圏央道つくば中央ICより車で5分の場所に 位置するホテルニュー…

参考記事

※1谷田部(梅屋旅館跡地)現在の梅屋ホテルの前身。

谷田部(梅屋旅館跡地)現在の梅屋ホテルの前身。

谷田川の橋から少し行ったところには、梅屋旅館(現在の梅屋ホテルの前身)がありました。旅館、料亭で芸者も置いていて繁盛していました。*1

梅屋旅館の建物は、しばらくの間、旧街道沿いに残っていました。ガラス戸に「梅屋」の文字が描かれていました。*1

現在も残る「梅屋旅館」の看板。

谷田川方面(西側)の遠望。

参考文献

*1
つくば書店レポート部つくばレポート vol.1つくば書店レポート部

橋から少し行ったところが旧梅屋で、現在の梅屋ホテルの前身があった。旅館、料…

参考記事

この記事を参照している記事

谷田部(ホテルニュー梅屋)昭和55年にオープンしてから36年。

谷田部(玉川堂)老舗和洋菓子店。かつては映画館をを経営。

四つ角のバス停のところにある老舗和洋菓子店の玉川堂。

玉川堂は、かつては、「玉川館」という映画館を経営していました。*1
「玉川館」は、現在の和菓子屋玉川堂の裏手にあり、谷田部の海軍の飛行場の航空隊の人たちが沢山来ていたそうです。*2

大福、柏餅など購入。餡子は非常にあっさりとしていて、いくつでも食べれます。

この付近は、旧町名で「内町」と呼ばれていました。
昭和 4 年~6 年の繁盛記によると、内町には、二業の料理旅館が存在していました。*3

参考文献

*1
小口千明茨城県つくば市谷田部市街にみる往年のにぎわい歴史地理学野外研究 (16):2014.3 p.63-97筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室2014.3 リンク

P.74
その裏側には「大正十三年七月二十二日建立という建立年月日と,建立に…

*2
つくば書店レポート部つくばレポート vol.1つくば書店レポート部

橋から少し行ったところが旧梅屋で、現在の梅屋ホテルの前身があった。旅館、料…

*3
小口千明近現代茨城県旧筑波郡および谷田部市街の活況とその後歴史地理学野外研究 (17):2016.3 p.59-94筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室 リンク

「谷田部商人繁昌記」(以下,原文)

谷田部(獣霊碑)大正13年建立。多数の寄付者名。

谷田部四つ角の交差点近くに、獣霊碑(牛馬の供養塔)が建っています。*1

碑の裏面には、寄付者として、谷田部町料理店として 11名,谷田部町芸妓営業として1名の名前があり、当時の賑わいが想定されます。*1

「大正13年建立」と刻まれています。

周囲は綺麗に整備されています。

参考文献

*1
小口千明茨城県つくば市谷田部市街にみる往年のにぎわい歴史地理学野外研究 (16):2014.3 p.63-97筑波大学人文社会ビジネス科学学術院人文社会科学研究群人文学学位プログラム歴史・人類学プログラム歴史地理学研究室2014.3 リンク

P.74
その裏側には「大正十三年七月二十二日建立という建立年月日と,建立に…

参考記事

谷田部(理容室)四つ角の近く。120年前に開業。

今回は、谷田部(茨城県つくば市)の町並みを散歩します。
つくばエクスプレス線みどりの駅からバスで約5分で谷田部四つ角の交差点へ到着です。

交差点の近く。

中華料理店のような店名のですが、理容室です。

地元の方の話によると、創業120年だそうです。

参考文献

参考記事

野田(蕎麦店)野田銀座の老舗。

野田銀座※1 の通り沿いのそば店「住吉」。

昭和の商工名鑑*1 や商工地図*2 にも載っている老舗です。

店内。

かつ丼の定食とビールを注文。

参考文献

*1
野田商工会議所野田商工名鑑 昭和38年度版野田商工会議所1963.8

P.199
芸妓置屋 中…

*2
東京交通社野田市流山町日本商工業別明細地図之内 No.1195東京交通社1956

参考記事

※1野田(野田銀座)芸妓置屋があった通り。国際クラブ。

野田(野田銀座)芸妓置屋があった通り。国際クラブ。

かつて野田銀座*1 と呼ばれていた通り。

昭和38年の「野田商工名鑑」によると、この付近には芸妓置屋がありました。*2

国際パブ。

明治~大正の頃は、近くに醸造工場(粕谷第五醸造場)があり、この通りには人車鉄道が通っていました。*3

参考文献

*1
東京交通社野田市流山町日本商工業別明細地図之内 No.1195東京交通社1956
*2
野田商工会議所野田商工名鑑 昭和38年度版野田商工会議所1963.8

P.199
芸妓置屋 中…

*3
報文社野田町全図(部分)報文社1915

千葉県野田町全図(大正四年)をもとに作図。

醸造工場
人車鉄道

参考記事

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野田(蕎麦店)野田銀座の老舗。

野田(ビジネス旅館)交差点の角に面した入口。

香取神社の北側の十字路。

旅館の入口は交差点の角に面しています。

「馬酔木」。スナック店などでよく見かける屋号です。

北側の道はゆるやかに弧を描いています。

参考文献

参考記事

野田(香取神社の富士塚)境内の奥。粟嶋大神。

野田市上花輪の香取神社。かつては、この付近に多くの醸造所が密集していました。

境内の奥にある富士塚。3mぐらいはありそうな大きなものです。

麓に安置されている粟嶋大神。

頂上からは、反対側の道路の交差点が望めます。

参考文献

参考記事

野田(明治牛乳の牛乳箱)商店だったと思われるお宅。

醤油発祥の地の碑のあるあたりから東側へ延びる通り。

商店だったと思われるお宅。

木造家屋に木製の牛乳箱はよく似合います。

横開きタイプです。

参考文献

参考記事

野田(野田醤油発祥の地の碑)室町時代に飯田家の工場跡地

今回は、野田(千葉県野田市)の町並みを散歩します。
野田市街の中心部。野田郵便局の流山街道を挟んだ反対側の路地を少し入ったところに、野田醤油発祥の地の碑があります。

この地は、室町時代に飯田家が初めて野田で醤油を醸造した場所です(碑の案内文より)。

野田市の文化財に指定されています。

鳥居に、茂木房五郎(野田醤油(現キッコーマン)社長)の名が刻まれています。

参考文献

参考記事

木更津(吾妻神社の富士塚)社殿の左側。富士浅間大神。

吾妻神社社殿の左側(道路側)。

富士塚があります。

高さ2m近くありそうな富士塚です。

富士浅間大神。
日本神話に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、邇邇芸命(ににぎのみこと)、磐長姫命(いわながたらしめのみこと)が祀られています。

参考文献

参考記事

木更津(吾妻神社)きみさらず伝説。石塔に楼名。

陸上自衛隊駐屯地の近く、木更津市吾妻2丁目にある吾妻神社。
吾妻神社の祭神は、弟橘媛(おとたちばなひめ)。弟橘媛は、日本書紀に登場する伝説上の英雄「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の妃です(吾妻神社 案内板より)。

入口に建つ石柱の側面には、「君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」の歌が刻まれています。

社伝には、日本武尊が東征の際。相模から上総へ海を渡ろうとした時、荒れた海に身を投じた弟橘媛の袖がこの近くの海岸に漂着したので、これを納めて吾妻神社を建てたとあります(吾妻神社 案内板より)。

「君不去」=きみさらず=木更津と呼ぶようになったといわれています(きみさらず伝説)。*1

この「きみさらず伝説」にあやかったのでしょうか、吾妻神社には、遊廓寄進の石塔があります。
右側の石塔には、「第一京都樓」と刻まれています(写真右下)。

左側には「第二京都樓」。

木更津遊廓の遊女たちは、開店前のひととき、吾妻へ参詣したそうです。*2

参考文献

*1
木更津市観光協会木更津市観光情報木更津市観光協会 リンク
木更津市の歴史 リンク

木更津の地名の起こりは、日本最古の歴史書「古事記」(7世紀頃)に登場する武…

*2
高崎繁雄木更津地名散歩新千葉新聞 連載新千葉新聞社
⑥ さかんだな1976.3.5

仲片町公会堂のあたりは昭和10年代は海だったところで、通称八幡屋のカシとい…

参考記事

この記事を参照している記事

浦賀(弟橘媛命の記念碑)弟橘媛命の辞詠。明治43年建立。
久里浜(夫婦橋)横須賀風物百選。人柱伝説。
鶴巻温泉(吾妻山)弟橘媛の伝説。相模湾方面の眺望。
木更津(橘神社)周辺一帯は「恋の森」と呼ばれています。

木更津(紅雲堂書店)木更津町鳥瞰図を販売中。

本町四つ角から少し入ったところにある紅雲堂書店。昔の佇まいのままの建物です。

軒下の屋号。

2010年頃から、まち歩きを目的とした鳥瞰図パネルが設置されるようになったためでしょうか。こちらの書店では、木更津町鳥瞰図の販売も行われています。

紅雲堂の位置が記されています。

参考文献

参考記事

木更津(旧金田屋洋品店)。昭和7年に建てられた看板建築。本町通り。

本町四つ角(中央2丁目)の角に残る看板建築。
「本町通り」には呉服屋などのお店や銀行などが軒を連ね、木更津の商業の中心地として栄えていました。*1

現在の建物は昭和7年に建てられた看板建築です。*1

モダンな外観は今も本町四つ角の目印として異彩を放っています。*1

現在は、時計修理・ラジオメーター・アンティークの専門店「金田屋リヒトミューレ」となっています。(前回(2007年)、訪れたときは、「レディースサークル ひまわり」でした。)

参考文献

*1
みなと木更津再生構想推進協議会ぶらり木更津まち歩きみなと木更津再生構想推進協議会
本町通りの旧金田屋洋品店街なみの情景(現地案内板)2010.3

昭和4年の絵図で金田屋洋品店のところが本町四つ角と呼ばれ、ここから南に「九…

参考記事

木更津(森田屋)江戸時代からの老舗生そば店。3階建ての防火帯建築。

木更津市中央1丁目の田面通り(たもどおり)。
かつては田んぼであった通りにたくさんの商店が並ぶようになったことから、「田面通り」と呼ばれるようになりました。*1
交差点の角に3階建ての防火帯建築が建っています。

1階には、「森田屋本店」。
江戸時代からの老舗生そば店です。*1
入口前には、かすれて、ほとんど読み取れない看板が立っています。

生そばの他に、洋食、中華、も。

天ぷらそばとビールを注文。

参考文献

*1
みなと木更津再生構想推進協議会ぶらり木更津まち歩きみなと木更津再生構想推進協議会
田面通りの久留里商店街なみの情景(現地案内板)2010.3

 木更津の街中から久留里へ通ずる街道は近郷からの人々で賑わい、かつては…

参考記事

木更津(こうもり安の墓)花柳界の寵児と言われるほどの人物。

今回は、木更津の町並みを散歩します。
木更津市中央1丁目にある選擇寺。

境内の奥まったところに、こうもり安の墓があります。

「こうもり安」は、木更津の油屋「紀の国屋」の次男として生まれ、男ぶりがよく、天性の美声に加え金回りもよく、花柳界の寵児と言われるほどの人物でした(案内板より)。

「こうもり安」は、歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の主人公の与三郎※1 の相棒(脇役)としておなじみでした(案内板より)。

昭和6年に、チャップリンの「街の灯」の主人公を「与話情浮名横櫛」のこうもり安に当てはめた「蝙蝠の安さん」が初演されました。

柏(踏切近くの飲食街)居酒屋、スナックが入る長屋風の狭小建物。

気象大学校近くの狭小建物。

長屋風の共同建物です。写真右奥は、東武野田線の踏切。

居酒屋、スナックなどが連なっています。

建物の裏側。わずかに曲線を描いています。

参考文献

参考記事

柏(松ケ丘一号型街路灯)登録有形文化財。

JR南柏駅から徒歩10分。松が丘団地へ向かう途中の寺院の敷地に重要文化財となっている街路灯(レトロ電柱)が保存されています。

電柱は柵で囲まれ、隣には、教育委員会の説明板があります。

プレートの文字も読め、保存状態は極めて良好です。

蓋を開けた中には、スイッチが納められています。

参考文献

参考記事

柏(商店街の質店)脇道を入ったところに看板。

商店街の脇道を入ったところにあるカラオケスナック。

その奥に、質店の暖簾が見えます。

質店の看板。

質店脇の路地。

参考文献

参考記事

柏(柏一小通り商店街)柏第一小学校近くの商店街。

柏駅西口から北側へ柏市立柏第一小学校向かう方向に、柏一小通り商店街が連なっています。

商店や居酒屋などが建ち並びます。

スナック「トミー」。「コーヒー」とも書かれていますが、飲食業柏連合会のホームページでは、業種は居酒屋となっています。

柏第一小学校側から。

参考文献

参考記事

柏(駅西口のもつやき店)憩いの場となっている桜の木。

今回は、柏(千葉県柏市)の町並みを散歩します。
柏駅西口のデッキを北側へ進み。階段を降りようとすると眼下に大きな桜の木が目に入ります。

その桜の木の下に、もつやきのお店。

外にも座席があります。

大きな桜の木の下は喫煙所になっていて、憩いの場になっています。

参考文献

参考記事

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菊川(たばこ店)日本外国。憩いの場となっている桜の木。

関宿(水塚跡)かつての「水塚」を再現。

千葉県最北の関宿町の南。野田市中戸に、古民家カフェの「水塚」が高台に建っています。
店名の「水塚」は、かつての関宿で多く見られた、洪水の際に避難するための土盛りの上に設けられた建物の「水塚」*1 に由来するものと思われます。

反対側から見ると、土が盛られていることがよく解ります。

この日は、残念ながら休みの日でした。

江戸川の土手からの遠望。

参考文献

*1
千葉県立関宿城博物館関宿城博物館千葉県立関宿城博物館 リンク
近現代の治水・洪水 リンク

参考記事

関宿(風呂屋)今では少なくなったヒノキ風呂製造・販売。

関宿町の鈴木貫太郎記念館の近くに、今ではほとんど見かけなくなったヒノキ風呂製造・販売店があります。

「風呂」の文字。

風呂や桶などが販売されています。

工場が併設されています。

参考文献

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関宿(博物館の展示)江戸川、利根川の歴史と産業・暮らし。

関宿城博物館には、房総の河川 の利根川・江戸川の近世~近現代や産業・暮らしに関する展示が行われています。

当時の絵図。
関宿は、河岸の町となり、積荷を扱う商人が集まり、蔵が建ち並び、市場が開かれました。茶屋、旅籠、遊廓。賭場なども当然のごとく生まれました。*1

蒸気船「通運丸」が明治10年に就航し、関宿と両国(墨田区)を結びました。

関宿は、周囲を河川に囲まれ、水害が多かったため、人々は、土を盛って高くしたところに、水塚(みずか)と呼ばれる小屋(洪水時の避難施設)を作って、水がひくまでここに寝泊まりしました。

参考文献

*1
林上川と流域の地理学風媒社2021.10

P.114
関宿は、河岸の町となり、積荷を扱う商人が集まり、蔵が建ち並び、市…

参考記事

この記事を参照している記事

浦安(「蒸気河岸」跡)かつての蒸気船の発着所。

関宿(関宿城博物館)畑の中にそびえ立つ怪しげな天守閣。

今回は、関宿(せきやど、千葉県野田市)の町並みを散歩します。
東武動物公園駅から、バスで30分、そして徒歩で15分。畑の中に怪しげな天守閣がそびえたっています。

関宿城(せきやどじょう)は、野田市関宿三軒家にあった日本の城ですが、現在は、再現され現在は、千葉県立関宿城博物館になっています。

博物館の入口。

天守閣の最上階からの眺め。

参考文献

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茂原(創業50年の洋食屋)店内は、バーのような雰囲気。

茂原駅前に建つ駅前ビル。1階は、飲食店街になっています。

昔ながらの洋食屋。

店内は、バーのような雰囲気。

ナポリタンとビールを注文。

参考文献

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茂原(桜湯)傍らに桜の木のある銭湯。房総横断道路近く。

房総横断道路から北へ入った通り。

銭湯の桜湯があります。

ペンキで書かれた「桜湯」の文字

傍らには、桜の木。屋号の由来の木でしょうか。

参考文献

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茂原(リップスティック)軽食店併設の風俗(サロン)店。

房総横断道路沿い。

交差点脇に1軒屋の建物。

サロン(風俗店)と軽食が併設された店舗です。

現在は休業している模様です。

参考文献

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茂原(榎町商店街)カラフルな看板建築建物群。

今回は、茂原(千葉県茂原市)の町並みを散歩します。
茂原の榎町商店街と駅前通り商店街は1970年代か ら1980年代に最盛期を迎えました。*1

現在も当時からの商店が建ち並んでいます。

商店街は500mほど続きます。東側の通りにも看板建築が残っています。

住居部分と一体となったお菓子屋さん。

参考文献

*1
新名阿津子茂原市における中心商店街活性化への課題地域研究年報28 2006筑波大学2006 リンク
Ⅱ-2 榎町・駅前通り商店街  榎町商店街はJR茂原駅から約500m圏から1 ㎞圏の範囲に位置し,昌平町…

参考記事

上野(三軒長屋の商店の看板建築)3色3階建て。

佐竹商店街の東側(小島一丁目)の清洲橋通り。

三軒長屋の商店。色は3色です。

2階部分。

後方に、3階建て部分が見えます。

参考文献

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上野(佐竹商店街の看板建築)鮮やかな銅板。

佐竹商店街から西へ入った路地。

看板建築の建物が残っています。

銅板建築。

隣のトタン建築の物干し台。

参考文献

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上野(吉田屋モスリン店)佐竹商店街。入口に竹久夢二の作品。

佐竹商店街(台東3丁目)は、江戸時代に佐竹藩の屋敷があたことから名づけられた商店街で、南北300mに及ぶ長大な商店街です。

商店街にある「吉田屋」。

「モスリン店」※1 の看板が掲げられています。」

竹久夢二の作品。

上野(前田モスリン店)歩道橋から見えるモスリン(織物)の看板。

入谷の交差点。遠くには東京スカイツリーが見えます(写真左奥)。

北上野側の交差点の角のビルの2階部分に、「モスリン店」と書かれています。

 「モスリン(織物)」という呼び名は、毛斯綸紡織(株)(1896(明治29)年設立)の社名※1 や大阪の「モスリン大橋」という橋の名前※2 に使われました。明治時代の殖産興業政策を連想させる呼び名です。

歩道橋から見たモスリン店。

上野(燕湯)宮型銭湯とビル型銭湯の融合。

上野3丁目のビル街。

銭湯の燕湯は、国の登録有形文化財に指定されている貴重な銭湯です。

ビルの1階部分が宮型銭湯となっていますが、建物全体はビルになっている独特の建築です。

銭湯の裏側の通り。

参考文献

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上野(玩具問屋「上野屋」)創業は昭和25年。

上野アメ横の東側の通りにある玩具問屋「上野屋」。
創業は昭和25年(1950年)です。*1

店舗の前面には、マスク類が所狭しと陳列されています。宴会などで使用するおもちゃ類を販売しているようです。

看板には、「流行・教材・季節・景品・サービス・花火 各種玩具」「玩具問屋」と書かれています。
2階部分には懐かしいアニメなどのポスター類が貼られています。

ボビーオロゴン、美川憲一(コロッケ)。

参考文献

*1
玩具問屋 上野屋玩具問屋 上野屋 公式ホームページ玩具問屋 上野屋 リンク
・上野アメ横 海産物食料品のメイン通りのおとなりで1950年(昭和25年)よりおもちゃ一筋で営業。 ・最新流…

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上野(ビル街のラブホテル)仏壇店街近くの路地。

東上野三丁目のビル街。通り沿いには、仏壇店が連なっています。(写真の左右の店舗はいずれも仏壇店です。)

通りを南へ入ったところにあるラブホテル。

モダンなデザインの入口。

反対側(南側)から。

参考文献

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上野(純喫茶「古城」)ステンドグラスが美しい老舗喫茶店。

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅の東側(東上野三丁目)のビルの地下1階にある純喫茶「古城」。

入口の階段のステンドグラスには、白馬の騎士が描かれています。

店内は、荘厳な雰囲気です。

ココアを注文。

参考文献

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幕張(中華料理「松楽」)チャーシューたっぷりチャーハン。

京成電鉄幕張駅前。線路沿いの通りに中華料理店があります。

「町中華」という言葉がぴったりくるような中華料理「松楽」。

テーブル席3つとカウンター席。

チャーハンとビールを注文。チャーハンには大きめのチャーシューがたくさん入っていて、風味と歯ごたえが充分です。

参考文献

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幕張(美容室「ローズ」)「パーマ」大看板のある木造家屋。

京成電鉄幕張駅近くの線路沿い。舗装されていない道の先。

美容室「ローズ」の看板

木造家屋の美容室です。

「パーマ」の大看板は、遠くからでも見えます。

参考文献

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幕張(鈴の湯)破風屋根の軒下には「鈴」のオブジェ。

幕張駅の北東側。徒歩5分のところにある銭湯の鈴の湯。

昔ながらの銭湯です。

銭湯には、破風屋根の軒下に細かな細工の懸魚(けぎょ)を見かけることがありますが、鈴の湯の場合は「鈴」のオブジェです。

「鈴の湯」と書かれた煙突。

参考文献

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幕張(UFO)宇宙船の丸窓がデザインされた外観。

今回は、幕張(千葉県千葉市花見川区)の町並みを散歩します。
JR幕張本郷駅の南側。京葉道路幕張インターの東側にラブホテル街に、宇宙船の形をしたラブホテルがあります。

正面入口。

入口のゲートには、ロケットを模したオブジェ。

宇宙船の丸窓。

参考文献

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新小岩(立ち飲み屋)名物は刺身盛り合わせ。

新小岩駅南口の平和橋通りから西へ入る小路。小路の先に飲み屋のほ灯が見えます。

立ち飲み屋「わか」。今年で30周年(暖簾に書いてありました。)だそうです。

周囲は、小規模な飲み屋街になっています。

名物の刺身盛り合わせとホッピーを注文。

参考文献

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新小岩(旭湯)住宅街にある昔ながらの銭湯。

江戸川区松島の住宅街の中にある銭湯の「旭湯」。

都内ではめずらしい、昔ながらの銭湯です。

中庭には金魚が泳いでいます。

建物の南側。

参考文献

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新小岩(住宅街のラブホテル)児童公園の隣の大ゲート。

今回は、新小岩(東京都葛飾区)の町並みを散歩します。
新小岩二丁目の住宅街。

児童公園の隣に大ゲートが出現します。

住宅街の中のラブホテル。

L字型の小路を抜けると反対側にもゲートがあります。

参考文献

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鶯谷(とんかつ店「とん平」)戦後開業の老舗。

鶯谷駅南口の前から言問い通りへ向かう坂道の下。

老舗とんかつ店「とん平」があります。開業は戦後だそうです。

カウンター席だけのこじんまりとした店です。とんかつはロースカツとヒレカツのみ。

ロースカツとライス、ビールを注文。

参考文献

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鶯谷(交差点角の質屋)圧倒的な3階建ての外観。

下谷1丁目の住宅街。

交差点の角に、古いコンクリート製の建物があります。1階には店舗。同じビルに質屋の看板が残っています。

建物の側面。

側面の窓の配置から、3階建ての建物であることが解ります。

参考文献

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鶯谷(プレイスポット「銀星」跡)屋上看板だけが残っています。

鶯谷駅前の「ダンスホール新世紀」。

隣のビルの屋上に残る「銀星 PLAYSPOT GINSEI」のレトロ大看板。パチンコ店か何かだったのでしょうか。現在、「銀星」の店舗はビル内には見当たりません。

1Fにある歌謡曲カフェ。

鶯谷駅からの遠望。

参考文献

参考記事

鶯谷(ラブホテル街)言問い通りの北側。敷地内に祠。

鶯谷のラブホテル街は、駅前の言問い通りの南側が中心ですが、言問い通りの北側にも大規模なホテル街が立地しています。

敷地内に祠のあるラブホテル(写真中央に祠の屋根が見えます。)

メインの通り。

西側には、高層階のホテルが建ち並んでいます。

参考文献

参考記事

鶯谷(スナック「シスター」)線路沿いの木造三階建ての建物群。

今回は、鶯谷(東京都台東区)の町並みを散歩します。
鶯谷駅南口の陸橋を渡った線路沿いに、木造三階建ての建物が連なっています。

飲み屋街。

スナックの入口。

シスタービル。

参考文献

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浅草橋(すし栄)かつては銀座で数店舗をれん分け。

浅草橋5丁目にある「すし栄」。

握り寿司とビールを注文。

かつての「すし栄」は銀座数店舗あったそうです。

ピンクの看板が目印です。地元の方の話によると、かつては「ピンク寿司」と呼ばれ親しまれていたそうです。

参考文献

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浅草橋(鶴の湯)料亭のような意匠。鶴が彫りこまれた懸魚。

蔵前橋通りの南側。浅草橋5丁目に、銭湯の鶴の湯があります。塀や建物の壁面は鮮やかな水色に塗られています。

鶴が彫りこまれた懸魚は見事です。

料亭の建物のような意匠。

入口。

参考文献

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浅草橋(おかず横丁の理美容室)バーバー、パーマの看板。

レトロな建物が残っているおかず横丁。

理容室(バーバー)。

レトロなパーマ屋さん。

交差点の角の赤い建物の美容室。

参考文献

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浅草橋(おかず横丁)昔ながらの商店街。重厚な看板建築。

浅草橋の北側。鳥越1丁目のおかず横丁。

看板建築の商店の建物など、昔の商店街の雰囲気が残っています。

銅板が貼れた重厚な感じの看板建築。

裏側からの眺め。

参考文献

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浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。

かつての花街があった柳橋一丁目。

篠塚稲荷神社の隣に、老舗やきとり店があります。

釜めしと焼き鳥。

焼き鳥定食と日本酒を注文。

参考文献

参考記事

浅草橋(花柳街跡地)墨田川沿い。現在はビル街に。

かつての柳橋の花街は、墨田川沿いにありました。
「昭和37年の柳橋マップ」*1 によると、この通りの東側(写真左側)に、「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭はやし」「料亭津久松」「料亭柳水」がありました。

佃煮屋の「小松屋」のマーク

反対側(南側)から。

墨田川からの遠望。現在はビルが建ち並んでいます。

参考文献

*1
西本頑司柳橋 花柳界盛衰譚荷風!vol.12日本文芸社
P.34 昭和37年の柳橋マップ 墨田川沿いに、北から「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭は…

参考記事

浅草橋(美家古寿司本店)創業は文化年間。風情のある路地。

今回は浅草橋(東京都台東区)の町並みを散歩します。
かつての花街だった柳橋の路地に老舗寿司店が営業中です。

建物は道を挟んで、本店は2棟あります。

創業は、文化5年。

風情のある路地。

参考文献

*1
美家古鮨本店美家古鮨本店公式ホームページ美家古鮨本店 リンク
文化年間(1804~1817)、初代 加藤赤助が始めた屋台が、美家古鮨本店のはじまりです。 慶應2年、二代目…

参考記事

上野(寿湯)当時の佇まいを残す銭湯。稲荷町駅近く。

銀座線稲荷町駅近く。

銭湯の寿湯。

本格的な銭湯ですが、内部は改装されている部分もあって快適です。

入口。

参考文献

参考記事

上野(犬糞看板)繁華街からは少し離れた場所のブロック塀。

東上野五丁目。繁華街からは離れた場所です。

駐車場の脇に設置された犬糞看板。

ブロック塀は、犬がおしっこをかけやすい場所です。

非常識。犬のくそ!

参考文献

参考記事

上野(レンタルルーム)繁華街で多く見かける業態。

上野6丁目の繁華街にはレンタルルームが数軒点在しています。最近、繁華街で多く見かける業態です。

1階がラーメン店。2階がレンタルルーム。

赤い看板のレンタルルーム

英語と中国語の看板。

参考文献

参考記事

上野(老舗洋食店「とうかい」)小ぶりながらも味は絶品。

上野公園通りを北へ進んだところにある老舗洋食店の「とうかい」。

洋食店のメニューはひとおり揃っています。

店内は質素ですが、非常に落ち着きます。

オムライスとビールを注文。オムライスは小ぶりながらも味は絶品でした。

参考文献

参考記事

上野(吉原の妓楼「三浦屋」の再現展示)下町風俗資料館。

下町風俗資料館の2階の特別展示(令和元年12月7日~令和2年2月24日)は、資料館が所蔵する「江戸風俗人形」の展示です。
吉原の妓楼「三浦屋」を再現したものです。檜細工師・三浦宏氏による建物(模型)は30年以上も前に制作されたものだそうです。*1

内所」と呼ばれる、妓楼の楼主の居間。

格子を組んだ「張見世」。

花魁。

参考文献

*1
台東区立下町風俗資料館特別展「江戸風俗人形」の世界下町風俗資料館号外台東区立下町風俗資料館2020.12.7
特別展「江戸風俗人形」世界 建物・人形・小物三位一体の妙 「江戸風俗人形」は、かつて日本有数の歓楽…

参考記事

上野(大正期の下町の町並みを再現展示)下町風俗資料館。

上野公園にある台東区下町風俗資料館。

1階は大正時代の下町の町並みを再現した常設展示です。長屋の井戸端が再現されています。

物干し竿。

駄菓子屋の店内。

参考文献

参考記事

上野(カレー専門店「クラウン」)王冠のマークが目印。

今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅ガード下にあるカレー専門店「クラウン」。王冠のマークが目印です。

開業当時の上野の写真なども飾られていて、歴史を感じます。

自販機で食券を買います。大盛りはダブルまで。チキンカレーはチキンカツではありません。

カツカレー大盛りにさらに大盛り券(1枚)とビールを注文。満足のボリュームでした。

参考文献

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真金町(酔来軒)からしを効かせた特性のタレで味わう酔来丼。

眞金町1丁目の「よこはまばし入口」交差点の角にある酔来軒。

広東料理の店です。

名物の酔来丼は400円です。

酔来丼とビールを注文。
酔来丼は、チャーシューとメンマ、モヤシ、刻みネギがのっていて、からしを効かせた特性のタレをかけて食べます。

参考文献

参考記事

真金町(三吉演芸場)昭和5年12月25日の創業。風呂屋から転業。

真金町の南側の三吉橋商店街。中村川に架かる三吉橋の上には、首都高速3号線が通っています。

「三吉演芸場」は、昭和5年12月25日の創業で、現存する演芸場では横浜最古です。

昭和初期、コークス製造業し、その熱を有効に使うために風呂屋を手掛けましたが、法令に規制されるようになり、劇場として利用することに着目しました。

入口。

参考文献

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真金町(旧遊廓街のホテル)旧遊廓街の北側。

真金町2丁目の旧遊廓街の北側の通り。中央に緑地帯を持つ道幅の広い道路です。

ラブホテルの建物。

入口には、フリータイムとSTAYの2つの看板。

古い看板。

参考文献

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真金町(スナック店)横浜橋交差点の東側の3軒長屋。

今回は、真金町(神奈川県南区)の町並みを散歩します。
横浜橋交差点の東側に。スナックが建ち並ぶ通りがあります。

1軒屋のスナック。

3軒長屋のスナック店。

2軒が並ぶスナック街。

参考文献

参考記事

福富町(てんぷら「登良屋」)伊勢佐木モール近くの老舗。

福富町に隣接する吉田町。「野毛おでん」のある通り。この通りの向こう側は伊勢佐木モールです。

老舗天ぷら店。

「登良屋」の暖簾

天ぷら定食と日本酒を注文。

参考文献

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福富町(韓国看板)ハングル文字の小料理店、美容室。

今回は、福富町(神奈川県横浜市中区)の町並みを散歩します。福富町の商店街には、ハングル語の看板が密集しています。

韓国料理の店。

小料理店の看板もハングル語です。

美容室。

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(緑のタイルのアパート)親不孝通り裏の路地。

伊勢佐木通りの隣にある親不孝通りは、現在は風俗街となっていますが、その中に古いアパートが残っています。

玄関部分は、黄緑色のタイルで装飾されています。

建物側面のタイル。

黄緑色とピンク。

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(目的不明のタイルの柱)丸玉石 モザイク。

曙町4丁目の四つ角の古い住宅。

建物の角に目的不明のタイルの柱があります。昔、お風呂場などでよく使われていた丸玉石モザイクのタイプです。

ほぼ正方形の四角柱。

かなりの年数が経過していると思われますが、タイルの輝きは失われていません。

参考文献

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伊勢佐木町(アール形状の庇を持つ建物)赤線建築を彷彿させます。

曙町の親不孝通り。

2階部分がレトロな感じです。

赤線建物を思わせるアール形状の庇。

白い円柱。

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(スナック街)片側のみが残っています。

曙町の親不孝通りを西へ進んだ伊勢佐木町六丁目。

昔は左側にも飲食店が建ち並んでいました。※1

現在は、片側のみが残っています。

以前は、この写真の右手前のあたりに、黒い円柱を持つ建物が残っていました。※1

伊勢佐木町(根岸家跡地)パンパンたちのたまり場。

伊勢佐木モールのピアゴイセザキ店の角を曲がった先。

ここにある駐車場は、大衆酒場「根岸家」があった場所です。

「根岸屋」は、昭和21年5月、伊勢佐木町で営業を始めた大衆酒場でした。終戦後、 進駐軍のカマボコ兵舎からドラム缶詰で吐き出される残飯の中には、”牛肉もゴム製品も”いっしょくただった。これを選り分けて、”食べられる残飯”を野毛の「くじら横丁」などの闇市に雑炊用として提供していました。

まずは、パンパンたちがお店の上得意になり、そしてそして彼女たちを追って進駐軍の米兵たちが多く集まってきたほか、ヤクザ、愚連隊、ポン引きなどが割拠するたまり場として、その名を轟かせることになりました。

参考文献

*1
中村高寛ヨコハマメリーかつて白化粧の老娼婦がいた河出書房新社2017
ドキュメント根岸家
関内方面から伊勢佐木モールを歩いていくと、両側に松坂屋と有隣堂本店。その先の角を右折すると、大きな…

参考記事

伊勢佐木町(伊勢佐木町ブルースの歌碑)ボタンを押すとため息が聞けます。

伊勢佐木町に、青江三奈さんが歌った伊勢佐木町ブルースの歌碑があります。
青江三奈さんは、横浜の「ナイトアンドデイ」というナイトクラブの歌手でした。*1

伊勢佐木町ブルースを歌った青江三奈さんは、当時、森進一さんと並んで、「ため息路線」として大きく売り出されました。*2
歌碑の楽譜には、冒頭の「あ~、あ~」の部分には、「ため息」と記されています。

伊勢佐木町ブルースのおかげで、伊勢佐木町の名は全国に知れわたることになりました。

歌碑の台座のボタンを押すと、内蔵されているスピーカーから、青江三奈さんが歌う伊勢佐木町ブルースが再生されます。
*1

【参考文献】
*1 松葉好市,小田豊二:横浜物語(集英社,2003)P.259-P.260
*2 鈴木則文:日本の映画とロックと歌謡曲(2007)

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(イセブラ小路)謎のL字型の小路。

伊勢佐木町の長者町8丁目。

イセブラ小路と名付けられた小路があります。

気が付かずに通り過ぎてしまいそうなL字型の小路。

反対側の入口。

参考文献

参考記事

伊勢佐木町(国際クラブ「三千里」跡)屋上に残る大看板。

今回は、伊勢佐木町(神奈川県横浜市中区)の町並みを散歩します。
伊勢佐木町通りを北西に入った通り。

昼間は閑散としています。

屋上には、国際クラブ「三千里」の大看板。

現在も高級クラブが営業中です。

参考文献

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石川町(小山湯)住宅街のビル銭湯。入口は両側にあります。

JR根岸線石川町駅の西側。中村川の南側の住宅。

ビル型銭湯の小山湯。

階段を下りると入口です。反対側の入口にも通じていて、建物の両側から入れる構造になっています。

小山湯の木製看板。

参考文献

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石川町(ホテル街)マンションのような外観。

JR石川町駅前の高速道路の向こう側は、ラブホテル街です。

まるでマンションのような外観のホテル。

老朽化が進んでいますが、近日中に建て替えが計画されているようです。

最近建てられたと思われる上層階に露店風呂が設置されたホテル。周囲はマンションが建ち並んでいますが、ホテルもマンションと同じような外観です。

参考文献

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